ハントゥ・トゥラング・マワス

短編 List-2
短編 List-2

 その悪意の一撃を目で追うことができたのは一重に天賦の才を日頃の鍛錬が底上げしていたからに違いない。ただ手を振り上げ、振り下ろす。たったそれだけの動作で人の身体はこんなにもかんたんにちぎれ、へし折れ、吹き飛んでしまうのか。
 マワス。マレーシアに伝わる精霊の一種、ハントゥ・トゥラング・マワスを彷彿とさせる類人猿の白骨死体を使った死霊兵器。全身に燐火をまとい空洞の眼窩はまだ見ぬターゲットへの殺戮衝動で煌々と輝いていた。
対物防御壁シールド!」
 思考を押しのけ本能が叫ぶ。駆けだした先はたった今マワスの襲撃を受けた花屋だ。店頭には横っ腹を裂かれて倒れ伏す従業員が一人。
「待ちなさい、マサキっ⁉︎」
 対物防御壁を展開したシュウの制止を振り切りマサキは当然のように従業員に駆け寄る。発動時間を優先したため対物防御壁の展開範囲は狭い。花屋の店頭は圏外だった。再構築するよりも先に頭上から強襲する三匹の悪意。
「ちくしょうっ!」
 とっさに従業員を背にかばう。逃げ場も対抗する手段もない。反射的に掴んだのは襲撃のさいに割れた植木鉢だ。正面に迫った悪意の顔面に向けて力一杯叩きつける。そして、背後から強襲した悪意の爪がマサキの背中に触れたまさにその刹那、七色の閃光がはじけ、同時にこの世のすべてを呪う怨嗟の咆哮が大気をどよもした。
「へ?」
 無傷だった。それどころかマサキの正面に迫っていたマワスは顔面を押さえてのたうち回り、マサキを背後から襲った二匹もまた数メートルほど吹き飛ばされていた。
「……ああ、まだ使っていなかったのですね」
 不幸中の幸いです。安堵するシュウにマサキはただ首を傾げるばかりだ。
「スフェーンですよ」
 指さしたのはマサキの首元。普段はTシャツに隠れて人目に触れることはないがそこには光を受けて虹色にまたたく希少石のペンダントがあった。宝石に魔力を装填して展開する宝石魔術。対魔術に特化した装飾品とは別に一回かぎりの対物防御壁としてシュウがマサキに贈ったものだ。
「え……、っと。一回発動したら魔力の再装填がいるって言ってたよな?」
「ええ、言いました。接近するエネルギーに応じて自動的に発動するタイプの対物防御壁ですから、白兵戦もこなすあなたならすでに一度使っているものとばかり」
 運が良かった。そう、本当に運が良かったのだ。
 チカの予感は的中した。
 セーフハウスを出て無事にショッピングモールへ到着してから数十分。食事を終え、気分転換に書店を歩いてから護身用グッズの店を回った。長剣や大剣の扱いこそなかったものの懐剣や催涙スプレー、魔力を込めた使い捨ての対物・対魔術護符。スタンガン、防犯ブザーなどの品揃えは豊富だった。
「使い捨ての護符とかあるんだな。初めて知った」
「とはいえ店頭で扱える程度のものですし、しょせんは使い捨てですからね。性能についてはそれほど期待はできませんよ」
「お前の基準で測るな。一般市民の危機管理向けなんだからこの程度で十分なんだよ」
 これだから完璧主義の研究者は。呆れるマサキの背を悪寒が走ったのはまさにこの直後のことだ。反射的に振り返れば飛んで来たのは成人男性のものと思われる腕だった。肘から上は圧倒的な力で握りつぶされていた。
 狂乱のオーケストラ会場は数十メートル離れたフードコートだった。状況を確認するまでもない。全速力で走る。
 基本、どのショッピングモールにも非常時に備えてシェルターが設計されている。もちろん魔術を原因とする災害に対しても有効なシェルターだ。避難させるならそこしかない。
「その前にセニアへ連絡を。いったんインフォメーションセンターにも寄りましょう」
 軍の派遣。あるいはモールと契約している警備または民間軍事会社PMCからの応援を手配するためだ。幸い脱走したマワスの半数はすでに「処分」されている。おそらくモールを襲ったのは残る半数だ。なら、絶対にここで仕留める。
「インフォメーションセンター? 何をするつもりだよ」
「文字通り『案内』をしてもらうのですよ——あなたにね」
「え」
 狂乱の最中にもっとも必要なのは冷静な判断だ。そのためにはまず事態を沈静化させなくてはならない。
「この非常時においてあなたの存在ほど強い意味を持つものはないでしょう。ランドール・ザン・ゼノサキス——風の魔装機神サイバスター操者マサキ・アンドー」
 ラ・ギアスにおいてその名はすでにひとつの『権威』であった。
 
 シュウが予想した通り全館にアナウンスされた「救国の英雄」の存在は狂乱の平定に絶大な威力を発揮した。さすがに完全な沈静化には至らなかったもののそれでも多くの人間を安全にシェルターへ誘導することができた。
「セニアの話では、軍よりもモールの親会社が契約している民間軍事会社の部隊のほうが先に到着するそうです」
 情報の共有は正しく完了しており装備は最新のものを用意したという。ありがたいことに対死霊に特化した魔術師も同行するとのことだ。
 フードコートに現れたマワスは四匹。一匹が足止めをし、それを頭上左右から残る三匹が強襲する。複数人が一度に狙われることもあった。【調教】されたターゲットが存在しないゆえにマワスの攻撃はハントゥ・トゥラング・マワス同様無差別だった。
 圧倒的な暴力による四肢損壊、内臓破裂などによって死者はすでに十数人を超えていた。マワスの襲撃を遠因とする重軽傷者に至ってはその十数倍だ。まさに呪詛という名のウイルスが生んだバイオハザードであった。
 モール内の各所にあるシェルターにだいたいの民間人を避難させ、ひとまず民間軍事会社の部隊が到着するまで警備室で一旦待機しようと移動していたときだ。通り過ぎた花屋の奥で絶望が大気を裂いたのは。
 そして、時は再び現在に巻き戻される。
「……あきらめなさい。彼はもう助かりません」
 横っ腹を裂かれた従業員はマサキが駆け寄った時点すでに失血死していた。
「てめぇらっ‼ ……え?」
 思わぬ反撃に激怒するかと思われたマワスたちは復讐よりも撤退を選んだ。まるで目に見えぬ魔の手から逃れるように一目散にモールの天井へと駆け登るとそのまま凄まじいスピードで逃げ去ってしまったのだ。
「な、何だ?」
 尋常ではない反応だった。
「彼らにとってよほど忌避するものがあったのでしょう」
 だが、一連の行動のどこに彼らが恐れおののく要素があったのだろう。
「マサキ、あなた何かしましたか?」
「植木鉢叩きつけただけで何もしてねえよ。対物防御壁に驚いたんじゃねえのか?」
「対物防御壁自体には何の効果も付与していませんよ」
 だとすれば残る可能性は一つ。
「まさか……、植木鉢?」
 マサキがマワスの顔面に叩きつけた植木鉢。だが、マワスにとって問題であったのはおそらく植木鉢自体ではない。
「土、ですか」
「土って……。何でそんなもんが怖……あ!」
 本来のハントゥ・トゥラング・マワスは死んだオランウータンの白骨死体が埋葬から一〇年ほどの歳月を経て精霊へと変じるものだが、今現在モール内を恐怖のどん底に叩き込んでいるマワスは人為的に呪術を刻印され、生き埋めにされた末に死霊へと変じたものだ。逃げることを許されない「土の棺」は彼らにとってまさしく「恐怖」そのものであったに違いない。
「そういや、唯一五体満足だった目撃者って」
「当時、溝に落ちて全身ヘドロまみれだと言っていましたね」
 これでほぼ確定だ。マワスは「土」を怖れている。
「だとすれば、マサキ、今のあなたなら彼らのターゲットになれますよ」
「は? 何でだよ」
「マワスが『土』を怖れているのであれば、それを投げつけてきたあなたは彼らにとって今もっとも忌むべき存在でしょうからね。恐怖から脱するためにマワスはあなたを排除しようとするでしょう。——これで一網打尽にできますね」
 それはもう、にっこりと。
「お前の辞書に人権と倫理の四文字はねえのか——っ‼」
 しかし、差し出された選択肢に「拒否」の二択目はなかった。
  
 幸いモール内には観葉植物が適度に配置されており休憩エリアには何箇所か噴水も設けられていた。
「命がけの泥団子作りってどうなんだよ、ちくしょう」
 噴水の脇、観葉植物のプランターから取ってきた土でマサキは泥団子の製作に追われていた。噴水の周りはプランターの土をぶちまけたせいで今や土まみれだ。
「実際、この泥団子があなたの命綱になるのですから文句を言っている暇はありませんよ」
「それはわかってんだよ。愚痴くらい言わせろ! にしても、泥団子でクリティカル食らうバイオハザードって……」
 セニアと再度連絡を取り共有情報を更新。確証はできないがそれでも高確率で部隊の到着を待たずに事態を収束できる。そう伝えれば返ってきたのは予想通りのGOサイン。売れる恩は売れるときに売れるだけ売っておきたい。政財界はもちろん民間にも。
「それにそんな兵器、排除できるなら速攻で排除するべきだわ」
 すでに死傷者が出ているのだ。これ以上、被害を拡大させるわけにはいかない。
「そういやまだ連中はこの辺に来てねえのか?」
 噴水周辺にはシュウが周辺を走査スキャンするための結界を張っている。当然、襲撃に備えて内側には対物防御壁も展開済みだ。でなければ安心して泥団子作りなどできはしない。
「魔力は再度装填しました。スフェーンの対物防御壁も問題ありません」
 マワスの撃退方法は非常に単純だった。文字通り泥団子をぶつけるのだ。ただし、「浄霊」の魔術を仕込んだ泥団子である。ベースは護身用グッズの店で扱っていた使い捨ての護符だ。生憎、対死霊に特化したものはなかったが平均的な対魔用の護符は取り扱っていたのである。それを限界まで「補強」したのはシュウだ。
 高速で移動するマワスを常人が目で追うのは至難の業であったが、幸いマサキの動体視力にはそれが可能であった。だてにエースパイロットの看板を背負っているわけではないのだ。
「保険の魔方陣も敷き終わりました。あとは彼らを待つだけですね。囮役、がんばってください」
「うるせえ。終わったら覚えてろよっ!」
 水の魔術でカチコチに凍った泥団子を手にマサキががなる。対してシュウは涼しい顔だ。
「夕食くらいなら奢りますよ?」
「明日の昼もだ‼」
「喜んで」
 そうしてシュウは噴水近くの建物の影へと身を隠す。
 マサキは命綱である泥団子を握りしめきっと頭上をにらむ。ここから先はマサキの動体視力と強肩にかかっている。最悪、外したとしてもスフェーンの対物防御壁がある。一度きりだが仕切り直しは可能だ。「射程」の都合で結界内の対物防御壁はすでに解除済みである。
 マワスの知能は同種の類人猿の中でも高い。これほどの無防備をさらせばむしろ待ち伏せを警戒されるだろう。だが、彼らはその点を含めた【調教】をまだ終えていない。加えてストレス過多の状態にある。状況を冷静に判断する余裕はまずないだろう。
 結界が反応するまでただじっと立ちつづける。泥団子を握る手に汗がにじむ。「切り札」としてこれほど心許ないものもないだろう。だが、今はこれだけが頼りだった。
 息を殺し、耳を澄まし、気配を探り、床を踏みしめる。
 ストレスからの解放を求めマワスは間違いなくマサキを狙う。そうとわかっていても微動だとせずそれを待ちつづけるのは過酷だった。
 突然、噴水の周辺が七色に光る。侵入者に結界が反応したのだ。慎重で賢明な侵入者たちは無言であり無音であった。圧倒的な悪意は四つ。背後に一匹が。そして頭上左右から残る三匹が襲いかかる。
「シュウ‼」
 床に敷かれた魔方陣が起動する。魔方陣から吹き上がる風は噴水周辺にぶちまけられていた土を一斉に巻き上げる。響き渡る絶叫の四重奏。
「逃がすかよっ‼」
 まず頭上の強襲者へ一発。「浄罪」の泥団子が顔面にクリーンヒットし、燐火をまとう死霊はいっそ哀れなほど呆気なくはじけ飛んだ。次は振り向きざまに背後の二匹目のみぞおちへ。これも一瞬だった。
 さすがに罠だと理解したのだろう。残る二匹は逃走経路を求めて近くの柱に飛びつく——つもりだった。
「逃がしませんよ」
 寸前、凄まじい土煙が二匹を飲み込みマワスは「土の棺」の恐怖にすくみ上がる。
「これでしまいだっ!」
 そして、ついに二匹の後頭部を泥団子が直撃した。

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