「え、何この花、変な色。これが地上で一番大きな花なの?」
「ああ。こいつラフレシアって言うんだぜ。花なのに根も葉もねえんだ」
「植物なのに?」
「おう。あと光合成もしないんだと」
「植物なのにっ⁉︎」
一〇〇インチのモニターに出力された映像と手元のタブレットを交互に確認しながらプレシアは首を傾げてばかりだ。二人が手にしているのは、以前、マサキの暇つぶし用にとシュウが用意したタブレットだった。
「あとな……、何だっけ。ああ、こいつこいつ。サカバンバス、ピス?」
サカバンバスピス。全長約二五センチ。常に口が開いた状態で口の形は半月状。目は車のヘッドライトのように前方に位置する。約四億五〇〇〇万年前のオルドビス紀に生息していた無顎魚。
「顎、ないんだ」
「みたいだな。だから口開けっぱなしなんだろ」
「そうなんだ。何て言うか……、その、強烈な顔だね。虚無って、こんな感じかな?」
「虚無って言うか、何考えてるかわかんねえ顔だな」
一寝入りしてほんの少しではあるが精神的な余裕が出てきたのだろう。二人がタブレットのぞき込み始めてからそろそろ三〇分が経過しようとしていた。
「知識を深めるのは良いことですが過度な集中は心身に負担を強いるだけですよ」
本音を言えばいっそのこと明日の朝まで休んでいてほしかったくらいなのだ。
「何よ。食事の支度も掃除も洗濯も駄目だってあんたが言ったんでしょっ!」
療養を理由に「日課」を取り上げられたプレシアは大変おかんむりであった。
「当然でしょう。一時避難と療養を兼ねているのですよ」
最優先は心身の回復だ。
「さ・い・あ・くっ‼」
正論である。プレシアの機嫌は急降下を続けるばかりだ。
「まあ、実際その通りなんだからしばらくは適当に過ごすとしてもよ。普段のルーティンがこなせないのもそれはそれでストレスになるんだから、そこそこ体調が戻ってきたら好きにすればいいんじゃねえか?」
マサキとしても妹の不調——しかも原因がアレである——はできるだけ早く回復させたかった。
「……お兄ちゃんがそう言うなら」
そして、マサキがそうであるようにプレシアもまた兄であるマサキの体調が気がかりだったのだ。
「兄妹仲睦まじいことは素晴らしいですね」
「あんたが言うと何かすごいむかつく」
「つーか、うさんくせえ」
偽りない本心であったのだが評された側は素直に受け入れられなかったようだ。
「まえまえから一度聞いてみたかったのですが、あなた方は人のことを何だと思っているのですか」
「シュウ・シラカワ」
「すごくいや」
血のつながりこそないがそこは兄妹。息ぴったりである。
「まあ、仮にもご主人様相手に命知らずですね!」
どこからともなく現れたチカにけれど兄妹の対応はやはり厳しい。
「自業自得でしょ!」
「日頃の行いを振り返りやがれ」
「そうですか。でしたら、ちょうど手に入ったクスィーティーハウスのシーズナルティーはまた今度にしましょう。あなた方から見て私はずいぶんと底意地が悪い人間のようですから」
手元に出していた金色の茶缶をさっと棚へしまう。
「ああ! 何よそれ、ずるい。この卑怯者っ⁉︎」
「てめぇ、大人げねえぞっ‼」
「何とでも」
家主の横暴に仲睦まじい兄妹は全身の毛を逆立てて真っ向から噛みついていく。食後の一杯、死守すべし。
「で、結局あげちゃうんですね。それ」
「健闘に対する褒賞のようなものですよ」
結果、数分間にわたる舌戦はついに報われ希少なシーズナルティーは無事食後に振る舞われたのだった。
マサキとプレシアがシュウの元に匿われて五日目。さすがにじっとしていられなくなったのだろう。最初に動いたのはプレシアだった。
「もう、ほんとだらしないんだから!」
炊事に洗濯掃除と家中を縦横無尽に駆け回る。何とも忙しないながらその表情ははつらつとしてまるで花開いたかのように輝いていた。普段であればもう少しだらだらと過ごしているマサキもさすがに飽きがきたのだろう。プレシアを手伝って洗濯物を干しに出ていた。
「ねえ、お兄ちゃん。他に何か洗うものってない?」
「シーツとかはどうだ。確か予備があったから大丈夫だろ」
そうして駆けるように向かった先は書斎の家主。
「洗濯するから!」
扉を開けるなりの大音声。
「予備のシーツあるからいいよな。行くぜ、プレシア!」
「うん!」
そうしてくるりと踵を返しあっという間に駆け去ってしまう。もはや人間の皮をかぶった嵐である。
「……一応、私が家主なのですが」
しかし、家主といえどしょせんは人間。傍若無人な嵐の前では無力なのであった。
「えぇ……。何この魚。お兄ちゃん、これ顔に尾びれがついてるよ?」
「変な魚だろ。マンボウって言うんだぜ。で、こいつはカクレマンボウな。今の今まで気づかれなかったからカクレマンボウなんだと」
「すごくわかりやすいけど……。名前を付けた人ってネーミングセンスがお兄ちゃんと同レベルなんだね」
「おい、待て。それどういう意味だっ⁉︎」
家事が終わればシュウが用意したタブレットをモニターに繋いで勉強会である。昨日は地上から持ち込んだ体感型のゲーム機を使ったボクシング大会で盛り上がっていた。
「こうやってコントローラーを握ったまま殴るんだよ。見てろよ」
スティック状のコントローラーを拳に収めマサキが画面に向かって右ストレートを放つ。するとモニターのモンスターが大きくのけ反りそのままひっくり返ってしまった。
「え、すごい。倒れたっ‼」
「慣れると結構面白いぜ。やってみるか?」
「うん!」
ストーカーたちによる襲撃以降、ためにため込んでいた鬱憤が爆発したのだろう。プレシアの猛攻は一気にラストバトルへと躍り込んだ。
「あ・ん・た・た・ち・な・ん・か・どっ・か・に・行・けぇ——っ‼」
初見ながらスコアは見事トップ10にカウントされたのだった。ちなみにボクシング全国区の経験者であるマサキは最高難度を余裕のノーダメージクリアであった。
「順調に回復できているようで何よりです」
家事をこなせる程度に回復したとはいえ過信は禁物。メンタルに対するダメージは不可視である分、より慎重な扱いが必要になる。
「それにしてもにぎやかになりましたね」
【家族】であるサフィーネたちと暮らしているときとはまた違ったにぎやかさだ。
「まあ。マサキさんとかもともと存在自体がやかましいですからね。それよりもご主人様を捕まえてやれ洗濯物干してこいだの皿洗えだの、しまいには好き嫌いせず飯を食えとか無礼にもほどがありません? もう唖然呆然のレベル越えちゃってますよ。サフィーネさんたちが聞いたらショックで卒倒してますね!」
「呆れが礼に来るほどですか?」
「隊伍を組んで突撃してくるレベルです!」
おのれの使い魔からしてもなかなか衝撃的な光景であるらしい。しかし、こき使われている当人からしてみれば、
「それほど不快ではないのですが」
こき使うといってもその内容は実に可愛らしいものばかりだ。小言とて純粋な善意から来ている。そもそもあの兄妹にかぎって悪意などあろうはずもない。
「考えようによっては感謝するべきでしょうか」
事の発端は不愉快きわまりないがおそらくこれは二度とない僥倖だ。この一点だけは感謝に値するかもしれない。とはいえ蛮行は蛮行。その報いは細胞の一片に至るまで余すことなく受けて取ってもらわなければ。
それからしばらくして昼食の時間を迎えたのだが。
「もう、好き嫌いしないでちゃんとお肉も食べなさいよ。大人でしょ!」
「つうかよ、サプリとかで食べた気になるのいい加減やめろって前から言ってんだろ。しょうがねえ奴だな」
本日もまた厳しいお説教は免れなかった。
奇妙な共同生活が始まった初日。マサキからシュウの食生活を聞いたプレシアの怒りは凄まじかった。せめて自分たちがいる間は健康的な食生活を守ってもらう。冷蔵庫と地下の貯蔵庫の中身を確認し、手早く一週間分の献立を書き出したプレシアは献立表をシュウに突きつけ言った。
「アレルギーや食べられないものがないか確認して。ただの好き嫌いは駄目だけど人によってはどうしても食べられないものってあると思うから」
それから現在に至るまでシュウは実に健康的な食生活を送っている。二人の小さな心づかいのおかげで精神的にも充実した毎日だ。
「棚からぼた餅とはこういうことを言うのでしょうね」
今日の皿洗当番はシュウだった。もっとも食洗機があるので皿洗いといっても食洗機に対応していない一部の食器や鍋くらいなのだが。
「なあ。この間、地上で買ってきたってダージリン、まだ残ってるよな?」
シンクを向くシュウの背に声を投げて来たのはマサキだった。
「残っていますが、どうかしましたか?」
「プレシアがスコーン作りたいんだってよ。まあ、ビスケットとかクッキーとか市販のものでも十分なんだけど、うちじゃあ自分たちで作ることのほうが多かったんだよ」
「なるほど。でしたら、まだ未開封のアッサムがあります。それも開けましょう」
「マジか。プレシア、前に言ってたアッサムあるってよ!」
「ほんと? あたし飲んでみたいっ‼」
拭いきれない気まずさとぎこちなさはあったもののそれなりに平和なアフタヌーンティーとなった。
そして、夜半。
「意外とうまくやってるじゃない」
「二人とも人の善意を無下にできる性格ではありませんからね。助かりました」
モニターの向こう側で目をしばたたかせるセニアにシュウは口許を緩める。
「言われてみればそうね。とりあえず、あんたが拿捕した連中の【出荷】は終わったわよ」
これでしばらくは牽制できるだろう。だが、しょせん一時的なものだ。根本的な解決にはならない。
「こちらで精査し直した分の『履歴書』も関係各所へ送付しました。対象は一部ですが適当なタイミングで回収してくれるでしょう」
「相変わらず抜け目ないわね。それで、予定通りこっちに帰ってこれそう?」
「今の調子でいけば問題ないでしょう。正直に言えばもう数日は休ませておきたいところですが」
彼らには魔装機神隊としての任務がある。特にマサキは魔装機神最強と畏怖されるサイバスターの操者であり魔装機神隊のリーダーだ。いつまでもその席を空けておく訳にはいかない。
「じゃあ、準備ができたら連絡ちょうだい。迎えに行くわ」
そうして短くも希有な日々は終わった。終わったはず、だった——のだが人の歴史とは繰り返すもの。
「もうトーナメントじゃなくて【聖戦】たきつけて共倒れさせたいレベルだからちょっと協力しなさいよ。——つぶすわ」
最重要手配犯のリストを手にしたセニアの目はモニター越しにもはっきりと血走っているのが見て取れた。
「先日更新した教団支部のリストならありますよ?」
対するシュウが手にしているディスクにはここ最近の調査で新たに入手したヴォルクルス教団支部に関する報告書が収められていた。【聖戦】の舞台としてはうってつけだろう。
何でも今度はゼノサキス邸に不法侵入した末の刃傷沙汰だったらしい。しかも深夜。情状酌量の余地はない。
「安全が確保できるまで二人の身柄はこちらで預かりましょう」
もはや拿捕など生ぬるい。
「ご主人様、顔。真顔。顔がマジ。マジのガチ」
「すぐに必要な手配をしておきましょう」
そうして数日後。
「……よお。また、邪魔するぜ」
「……………………お邪魔、します。やっぱり——、すごく、いや。だけど」
以前にも増して悄然とした兄妹に、
「少し考えが甘かったようですね」
「作戦」内容の見直しを決意した背教者がいたとかいなかったとか。
ちなみにゼノサキス邸に不法侵入し光の速さで【出荷】されたストーカーたちは、ただ一人の例外なく「地獄」のど真ん中をバッドエンドに向かって全力疾走中だったそうな。
蛮行、処すべし。慈悲などいらぬ!
バッドエンドトーナメント
短編 List-2 12
