竜蛇の返礼

短編 List-2
短編 List-2

「それはどうしたのですか?」
 グローブを付け直しているさいたまたま目に留まったのだろう。マサキの右手首に残る木の葉形の痣にシュウが怪訝な顔をする。
「知らねえ。気づいたらあった。たぶんどっかにぶつけたんだろ。何か変なとこでもあるのか?」
「いいえ。ただ」
 痣を見た瞬間、波の音がしたのだ。
「波の音?」
「ただの気のせいだと思うのですが何せここは地の底ですからね。少し気になったのですよ」
「波の音ねえ。おれは何も聞こえなかったけどな」
 それ以上の追求はせず再び足を進める。時間が惜しかった。
 もといた場所からさらに地下へ進むこと十数分。【かくれみの】を使い切りようやくたどりついた製造場所は何もかもが異様だった。
 壁から天井に至るまで見たこともない象形文字がみっしりと刻まれ淡く発光していた。床に敷かれた三種類の魔方陣は三角形に並び、その三つの魔方陣をさらに一回り大きな六角形の魔方陣が囲っている。
 合計四つの魔方陣の中心には直径二メートル、高さ二メートルほどの円筒形のガラス管が立っていた。蓋はない。中で渦巻いているのは得体の知れぬ「何か」だ。そして、ガラス管の周りには大きな甕が置かれておりそこから掴み出したものを数人の人間がガラス管に投げ込んでいた。
「あれ……、蛇か?」
「そのようですね。咒殺の贄に使うくらいですから相応の価値があるのでしょう」
 ガラス管を囲む三つの魔方陣の中央にはそれぞれフードを被った術者らしき人間が立っていた。微動だとしない。呼吸をしているかどうかも怪しいくらいだ。十中八九、この三人が主犯だろう。
「……」
「マサキ?」
「嫌な、感じがする……」
 右目が焼けるように熱い。とてもではないが立っていられず片手で右目を押さえたままその場にしゃがみこむ。
 空気が震えている。これは断末魔であり歓声だ。むさぼり喰われ穢されていく神性の苦鳴。その憤怒と絶望。そして自らの暴虐に愉悦する邪悪たちの哄笑。
 何と痛ましい。何と度し難い蛮行か。
「ッてぇっ⁉︎」
「マサキ!」
 目が焼ける。右目だけではない。左目も——両目が焼ける。血が沸騰していくのがわかる。きっともうすぐこの両目は破裂するだろう。
「マサキ、しっかりなさい!」
「触るんじゃねぇっ‼」
 倒れ込みそうになる身体を支えようと伸ばされた手を容赦なくはたき落とす。目が合った。
「⁉︎」
 そこにあったのは赫怒かくどに燃え盛る猩々緋の双眸。
「待ちなさい!」
 制止の手を振り払い激痛に追い立てられるまま物陰から飛び出すとマサキは文字通り疾風のごとき勢いで魔方陣の中央に躍り込み、そのままガラス管に体当たりする。衝突の衝撃に耐えきれず倒れるガラス管。表面に走った蜘蛛の巣状の亀裂は一瞬にしてガラス管を噛み砕く。
「貴様、何をするっ⁉︎」
 その絶叫は断末魔と同義であった。
 潮の匂いがする。
 両目を焼く痛みはいつの間にか引いていた。ふと右手首を見ればそこには右手全体に広がる木の葉形の痣。否、これは。
「……鱗?」
 刹那、激震が神殿を突き上げる。一瞬にして無数の亀裂が床を引き裂き神殿内が潮の匂いに飲み込まれる。床を吹き飛ばして吹き上がったのは紛う方なき海水であった。同時に長大な何かが水底から神殿に這い上がってくる。
「冗談……、だ、ろ?」
 目の前には蛇がいた。背は鮮やかな瑠璃で腹は黄金。そして、両目は煌々と燃え盛る猩々緋。一度見たら二度と忘れないだろう。それは絢爛な蛇だった。サイバスターすら絞め殺されるのではないかと戦慄するほどに巨大な綿津見わたつみ座す水晶の宮——「竜宮」に住まうであろう大いなる蛇神。
「話を聞いた時はまさかと思いましたが……。本当に【竜蛇様】だったようですね。まったくあなたときたら。少しはその強運を他のことに使ったらどうですか」 
 呆然と突っ立つマサキの隣でため息をつくのはシュウだ。博学な男も「本物」に遭遇するのはこれが初めてであるらしかった。
 眷属を悪逆の贄にされた【神】の怒りは凄まじく海の底から溢れ出た無数の蛇たちは愚かな人間をただの一人も逃がさなかった。首に手足に巻きつき締め上げ、ついには千切り。細切れになった身体を我先にと飲み込んでいく。それはまさに【神罰】と言う名の殺戮であった。
 結界——ガラス管から溢れ出た魔性たちも例外ではなかった。人間は贄を捧げただけであったが魔性たちは贄をむさぼり喰らった張本人なのだ。【神】は贄を喰らい大いに成長した魔性たちを逆に締め上げ喰い殺した。
 容赦ない【神罰】を終えた【竜蛇】がマサキに向かってゆっくりと振り向く。ずるりずるり音を立てて這いずってくる巨体。顔を背けることすらできず硬直するマサキを囲むように【竜蛇】はとぐろを巻いていく。しばらくして【竜蛇】の動きが止まったかと思えばあっさり身を翻して離れて行ってしまった。
「え?」
 そうして呆気にとられるマサキを振り返ることなく【竜蛇】とその眷属たちは海の底へと沈んで行った。
「な、何だったん……、だ、よ」
「単純に褒美を授けたかっただけのようですね」
「褒美?」
「周りを見てごらんなさい」
「へ?」
 見ればマサキを囲むように黄金色の山々が無数にできあがっていたのだ。
「何だこれっ⁉︎」
「砂金ですよ。これだけあれば当面の活動資金になるでしょう。砂金に埋もれた宝飾品もあるようですからきっと『竜宮』の秘宝でしょうね。あなたも元に戻ったようですし」
「もとに戻った?」
「瞳の色と右手の痣ですよ」
 言われて気づく。焼けつくような目の痛みも熱も右手全体に広がっていた「鱗」もきれいさっぱりなくなっていた。
「でも、何で……」
 おそらく【竜蛇】との接点になったのはエリアル王国で海に帰したあの蛇だ。しかし、たったそれだけのことでどうして。
「あなたの善性が問題解決の糸口になると判断されたのでしょう。現にあなたのおかげで無事【神罰】を下せたわけですから」
 これで組織は壊滅した。シュウは依頼を果たしマサキも出動する必要がなくなった。万事解決だ。
「そうかよ。それより、どう言やいいんだよ、これ……」
 まさか地の底で【海の神様】に助けてもらったと正直に言えばいいのか。さすがに正気を疑われそうな気がする。
「事実、その通りなのだからそう言うしかないでしょうね。それにこの砂金と宝飾品が何よりの証拠です。心配せずとも皆すぐに忘れますよ」
「そういうもんか?」
「その程度の暗示はかけてあるでしょうからね」
「ならいいけどよ……。何か、もう疲れた」
 緊張の糸がついに切れたのだろう。マサキはまだ無事な床を見つけて座り込む。これはしばらく立ち上がれそうにない。
「まあ、あれほどはっきりとした実体を持つ【神】と遭遇するなどまずあり得ませんからね。貴重な体験でした」
「あれを貴重で済ませるお前の神経どうなってんだよ……」
「至って普通ですよ。その様子ではしばらく動けないでしょうからおとなしくしていなさい。私は一度王都に戻り事情を説明してきます」
 【神罰】の対象はあくまでも「大罪人」たちであってこの施設自体ではないはずだ。おそらくゲートは無事だろう。
「へいへい」
 そうしてマサキはそのまま床に寝転がる。いっそこのまま寝込んでしまいたいくらいだ。ふと頭上に何かしらの気配を感じて起き上がればそこには一匹の蛇がいた。浜辺で見たあの蛇だ。根拠はないが確信はあった。
「何だお前、無事だったのかよ」
 しかし、声をかけたところで人間の声帯を持たない蛇はただ舌を鳴らすばかりだ。
「よくわかんねえけどよ。お前、もう無茶すんなよ。次は蹴飛ばされても知らねえからな」
 目を開けているのも億劫になってきたのだろう。再び寝転がり今度こそマサキは寝入ってしまう。沈黙の中に置き去りにされてしまった蛇はしばらく舌を鳴らしていたが、ふと何かを思いついたように口を大きく開けてマサキに向かって何かを吐き出す。それは黄金色に輝く大粒の真珠であった。マサキの周りに二十数粒ほど吐き出して満足したのかその蛇もまた仲間たちを追って海の底へと沈んで行った。
 それからさらに十数分後。シュウから説明を受け半信半疑で駆けつけた仲間たちが床に広がる砂金の山々に跳び上がったのは言うまでもない。
「ちょっと、ねえ。これ黄金真珠ゴールデンパールに見えるんだけど気のせいじゃないわよね?」
 マサキの周りに転がる二十数粒の真珠にセニアの頬が引きつる。貴石の中でもずば抜けて希少性の高い黄金真珠。それがまるで石ころのように転がっているだなんて。
「ええ、間違いなく黄金真珠です。ここまで大粒のものがそろっていればBクラス相当の魔装機を一個分隊一括購入できるのではありませんか?」
「……真面目に定期【放流】検討しようかしら」
 迷子のたびにトラブルを持ち帰られては困りものだが「お土産」がついてくるなら話は別だ。
「今後は拾う幸運の規模も考えなくてはいけませんね」
 次に彼が出会い、あるいは遭って拾ってくるのは何なのか。そして、関係者一同の気苦労に終わりは待っているのか。
「ところで真摯な協力者に対する返礼はないのですか?」
 元王族はいけしゃあしゃあと言ってくる。
「真摯な人間は自分から見返りを求めたりしないのよ! あんたほんっとに図々しいわね。でも、次の任務まで少し時間が空いたのは事実だし、いいわ。貸し出しは三日間よ。延長はなし!」
 床で眠りこけているマサキが目を覚ませば全力で抗議したに違いない。現役王族と元王族は善良な一市民に対して大変横暴であった。
「クロ、マサキを起こしたほうがいいと思うにゃ?」
「無駄よシロ。どうせ逃げられにゃいわ」
「ご主人様が相手ですからねえ。逃げたところで秒で拿捕ですよ、拿捕。いつものことですよ」
 結果、二匹と一羽は現役王族と元王族の支持を決め、しばらくして目を覚ましたマサキは問答無用で貸し出しされることになったのだった。
「おれの人権っ⁉︎」
 ちなみに不慮のぎっくり腰により貸し出し期間は三日ほど延長になったそうな。

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