クイーン・ジェイド

短編 List-3
短編 List-3

 豊かな毛並みにモップと見紛うほどにふさふさで大きな尻尾。そして、地上の大型ネコ科動物に勝るとも劣らない巨体。ラ・ギアスでもめずらしい豪雪地帯で自然発生したと言われる大型猫クイーン・フォレスト——「森の女王」はそのふかふかで真っ白い前足を行儀よくそろえ、呆然と突っ立つ救国の英雄にくわえていたビニール袋を押しつけたのだった。
 
「ああ、それなら『クイーン・ジェイド』でしょうね」
「クイーン・ジェイド?」
 とある文献の調査のため先々週から街に逗留していたシュウは迷子の末に街を訪れたマサキに当然のごとく答えて見せた。
 クイーン・ジェイド。街から少し離れた森を住処とする大型猫でその体長は何と一メートル五〇センチ前後。もはや猫のサイズではない。ずいぶんと賢いようで森で迷子になった子どもを連れて街中まで出てくることもたびたびあるのだとか。
 今回もまた森に迷い込んだマサキの前に現れたクイーン・ジェイドはマサキを案内する前にひとつのビニール袋を押しつけてきた。中に入っていたのは三匹の子猫。人の手を怖れる様子がないことからおそらく人の家で生まれ捨てられたのだろうとは子猫を引き取ってくれた動物保護団体の言だ。
「クイーン・ジェイドが捨てられた猫の保護を求めて街に来るのはめずらしくないそうですよ」
 いつだったか野良猫の親子二組を引き連れて動物保護団体の事務所前に列を作ったこともあったらしい。
「いや、そいつ本当に猫か?」
 マサキの疑問はもっともだ。何せこのラ・ギアスは精霊と破壊神が実在する正真正銘のファンタジー世界なのである。猫の姿をした精霊がいても何ら不思議はない。実際、マサキが連れ歩いているクロとシロも見た目が猫なだけでその実体は魔力で創られた使い魔だ。
「そうですね。クイーン・ジェイドが森に住むようになったのは半世紀よりも前からと聞いています。その可能性は否定できないでしょう」
 どれだけ長寿であっても猫の寿命は四〇歳が限界と言われている。それを当然のように越えているとなれば普通の生態ではあるまい。だとしたら聡明な彼女は明確な意図を持ってマサキを「迎えに来た」のだ。子猫たちを託す相手として。だが、果たしてそれだけが理由だろうか。
「彼女は正しく人間の善悪を判別できるようですからね」
 間違いなく本命は別にある。彼女はただ迎えに来たのではなくマサキを「選んで」迎えに来たのだ。救国の英雄。否、風の精霊王に選ばれた「善き人間」を。
「あの森にそれだけの価値があると?」
 「善き人間」を迎えなくてはならない理由。それはきっと「善き人間」が振るう力すなわち「魔装機神」の力を必要としているからだ。おそらくこの地にある「問題」に彼女だけでは対処しきれないのだろう。
「あなたのそばにいると本当に退屈しませんよ」
 さて、シュウの予想が正しければ彼女は今夜にでも行動を起こすだろう。さすがに日中は人目が多すぎる。
「今のうちにしっかり休んでおくべきですね」
「何言ってんだ、お前?」
「休養はしっかり取る。ただ、それだけの話ですよ。どうせ特にすることもないのでしょう。なら、少し寝ていなさい。夕食前には起こしてあげますから」
「……何か変なもんでも食ったのか? 気持ち悪いぞ、お前」
 大変素直で大変失礼な反応である。だが、これも普段の言動が招いた結果だ。不本意ながら受け入れねばなるまい。
「純粋な善意ですよ」
 ただし、これから訪れるだろう「興味深いイベント」のための善意であったが。
「純粋な善意ねえ。お前の場合、だいたい裏に何かあるじゃねえか。絶対善意って言わねえぞ、それ」
「疑り深い人ですね。少なくとも悪意は微塵もありませから安心なさい」
「だったら余計に気味が悪い。お前、絶対変なもん食っただろ」
 【方向音痴の神様】はいっそ無慈悲なほどに正直であった。

 シュウの予想は当たった。草木も眠る丑三つ時を過ぎる頃、クイーン・ジェイドがシュウの逗留する宿のすぐそばに現れたのだ。シュウに叩き起こされたマサキは女王の突然の来訪とその巨体に改めて絶句した。
「やっぱデケぇっ!」
「陛下に対して無礼ですよ、マサキ」
 部屋の窓はちょうど森に向かって設置されており窓を開けると当然のようにクイーン・ジェイドは部屋に飛び込んでくる。
「何なりとご用命を女王陛下」
 正しく人間の言葉を理解しているのだろう。シュウがうやうやしく頭を垂れればクイーン・ジェイドはさっと身を翻し再び窓の向こうへ。
「なあ。もしかしてあいつ、おれたちについてこいって言ってるのか?」
「そのようですね。行きましょう」
 ためらうことなく窓を乗り越え外へ出る。行儀は悪いが時間帯が時間帯だ。やむを得まい。
 宿から森までの距離は数百メートル。街の周辺は開けた平地になっていて特に障害物らしいものもない。何事もなく森にたどり着いてからもクイーン・ジェイドの歩みは止まらなかった。
「……ここ、変じゃねえか?」
「どうしてそう思うのですか?」
「だって、まっすぐ歩けてるだろ。今夜中だぞ。絶対おかしい!」
「さすがにそこは気づきましたか」
 そう。当然のように歩けているのだ。月明かりなど存在しない真夜中の森の中を躓くことなくまっすぐに。それはまるで森が自ら道を開いているかのようであった。
「おそらく女王陛下の威光でしょうね」
 比喩などではなく真実、クイーン・ジェイドはこの森の女王なのだろう。森は彼女の従僕であるのだ。
 これはいよいよ大事になってきた。シュウは口角を上げる。彼の女王陛下はやはり人智の埒外に座を置く貴人であるらしい。
 肩越しに見やればそこにはおっかなびっくり辺りを見回す青年が一人。納得がいかないのだろう。何度も首を傾げてはいるがその表情に戸惑いこそあれど恐怖はない。この地に悪意が存在しないことを本能的に悟っているのだ。
「あなたは本当に希有な人ですね」
 種族を問わず招かれる善性。しかし、当の本人は自身の価値にいまだ自覚がないのだ。シュウからすればもう開いた口がふさがらないレベルの鈍感さである。
 真っ暗なはずの森を歩きつづけること約二〇分。不自然に開けた場所に出た。
「何だここ。広場みてえだな?」
 そこは文字通り「広場」だった。中央には直径一メートルを超える大きな切り株があり、切り株を中心にして円を描くようにそこだけ地面がむき出しになっていたのだ。
「何かしら意味のある場所には違いないでしょうが、今は時間がありません」
 立ち止まることを知らぬクイーン・ジェイドを追って足早に「広場」を通り過ぎる。そうして歩きつづけた先に待っていたのは森の最奥を抜けた先にそびえる岩山——その壁面を割いて現れた巨大な洞窟であった。
「デケぇ穴だな。サイバスターでも通れそうだ」
「にゃあ!」
「うわっ⁉︎」
 マサキの言葉に反応するかのようにクイーン・ジェイドがマサキに飛びつく。危うくひっくり返りそうになるがそこは寸前でシュウが受け止めた。
「どうやらこの奥が『目的地』のようですね」
「まだ歩くのかよ。わけわかんねえな」
 ふたりがクイーン・ジェイドの意図を把握したのはそれからさらに十数分後。漆黒一色の洞内をまたしても当然のように下りつづけた末にたどり着いた巨大なドーム状の空間を目撃してからであった。
「何だよ……、ここ。あちこち緑色に光ってやがる⁉︎」
 ドーム内のそこかしこには大小の岩石が転がり、一部は割れて緑色に光っていた。同様の光景は地面の一部やドームの壁にも見受けられた。
 さらにドームの中央には見たこともない象形文字で描かれた魔方陣があり光の供給元はまずこの魔方陣と見て間違いないだろう。また、よくよく見ればこの魔方陣も描いたというよりむしろ引っかいたような跡があった。
「……まさか」
 思い当たるものがあったのだろう。発光する岩石のひとつに歩み寄るとシュウは迷うことなくそれを手に取った。
「おい、シュウ。何してんだよ!」
「女王陛下が私たちを招いた理由がわかりましたよ」
 そうして放り投げられた岩石を受け止めたマサキは注意深くそれを観察する。
「何だこれ……。緑色の、石か?」
「エメラルドですよ」
「は?」
 今とんでもない単語が聞こえなかったろうか。
「ここは鉱床です。それもエメラルドのね」
 クイーン・ジェイドはこれを知らせたかったのだ。だが、何のために。
「この鉱床がどの程度の規模かは詳しく調査してみなければわかりませんが質は悪くないようです。本格的な開発が始まれば洞窟の入り口をふさぐ森は確実に伐採されるでしょう」
「……それじゃあ!」
 マサキは足にすがるクイーン・ジェイドを見下ろす。クイーン・ジェイドは女王としての務めを果たすため——森を守るためにマサキを招いたのだ。風の精霊王に選ばれた「善き人間」を。
「お前、ここを閉じてほしいのか?」
 ぱしんっ、と大きな尻尾が地面を叩く。どうやら正解らしい。
「いいのですか。エメラルドの鉱床ですよ? 街にとって大きな収入源になるでしょう。新しい雇用も生まれる。けれどここを閉じればその未来を断つことになる」
 シュウの言葉は重い。確かにこの鉱床の存在を伝えれば街は歓喜に沸くだろう。けれどこの小さな「世界」は本来。
「……もともと無いものが無くなったって、誰も困らねえだろ」
 それが長く苦い沈黙の末に吐き出された「選択」だった。
 この鉱床を知る人間はクイーン・ジェイドに招かれたマサキとシュウだけだ。他は誰も知らない。なら、それは最初から無かったも同然ではないか。何よりそれが人であれそれ以外のものであれ一方的な都合で一方的に滅ぼされる【世界】など誰が好きこのんで見たいものか。
「慈悲を配る相手を見誤ると痛い目を見るだけではすみませんよ?」
「うるせえな。だからって見過ごせるわけねえだろ!」
 足下のクイーン・ジェイドと一緒になって全身の毛を逆立ててうなる。息ぴったりだ。
「なら好きになさい。そもそもあなたの『選択』が間違っているならサイバスターが拒絶するでしょうからね」
 もっともそんなことは万が一にもありえないだろうが。
 そうしてシュウの予想通りサイバスターはマサキの選択を受け入れ、マサキはバニティリッパーとファミリアの連撃をもって鉱床を木っ端微塵に吹き飛ばした。鉱床の残骸を遙か地の底へと沈めたのはいつの間にか後方に控えていたグランゾンの重力波だった。
「何か変なもんに化かされた気分だ」
「まあ、貴重な体験ではありましたね」
 気づけばクイーン・ジェイドは姿を消していた。だが、特に追う理由もなかったふたりはそのまま踵を返し宿へと戻ったのだった。
「それにしても、なぜでしょうね」
「何がだよ」
「クイーン・ジェイドがあなたを迎えに来た理由です。森を守りたかったのは当然でしょう。ですが、それだけだとはとても」
 腑に落ちない。あの森にはきっとまた別の「価値」がある。
「何言ってんだよ。自分が住んでる場所なんだからそれが一番だろ。お前、何でもかんでも難しく考え過ぎなんだよ。ハゲるぞ」
「……その言い方は下品ですよ」
「事実じゃねえか。ほら、さっさと寝ろ寝ろ!」
 慣れた手つきで外套を引っぺがされたかと思えば次の瞬間にはシーツを頭にかぶせられていた。恐るべき早業である。こうなっては素直に眠るしかない。観念したシュウは消化しきれない疑問を抱えたまままぶたを下ろしたのだった。
「……ああ、なるほど。ここは『謁見の間』だったのですね」
 気づけばあの「広場」に立っていた。隣にいるマサキは両目を見開いたまま固まっている。無理もない。ふたりの正面には大きな切り株を囲むように猫がいたのだ。一匹や二匹ではない。軽く一〇〇匹は超えるだろう。もしかしたら見えていないだけで木々の向こう側にもいるかもしれない。
 中央にある切り株の上にはクイーン・ジェイドがいた。そして、その正面で頭を垂れていたのは一匹のサバ猫。目の錯覚だろうか。その尻尾の先はふたつに別れていた。
「みゃう!」
 まるで何かを知らしめるかのようにクイーン・ジェイドが声を張り上げ、切り株を取り囲んでいた猫たちが一斉に尻尾で地面を叩く。まるで喝采だ。そしてゆっくりとクイーン・ジェイドが切り株から下りると入れ替わるようにサバ猫が切り株へ飛び乗る。クイーン・ジェイドがそうであったようにサバ猫もまた声を張り上げた。再び轟く尻尾の喝采。
「何、な、何んだこれっ⁉︎」
「戴冠式ですよ」
「は?」
「よく見てごらんなさい」
 シュウの言葉に促されるまま目をこらして見ればサバ猫は小さな冠をかぶっていた。
「『彼女』が新しい女王陛下のようですね」
 クイーン・ジェイドが森を守ろうとしたのはもちろんここが彼女たちの住処であったからだろう。だが、同時にこの森——この「広場」こそがクイーン・ジェイドに取っての「玉座」であり新たな女王を迎える「戴冠」の場であったからだ。
 即位の儀を終えたサバ猫がふたりに振り向く。
 闇夜にきらめく猫眼金緑石。
「みゃあ!」
 三度目の喝采と同時に暗くなっていく視界。どうやら「賓客」はここで退場らしい。
「まともに眠れる気がしねえ……。つか、おれたち今夢見てるんだよな? そうだよな? つかそうだって言え!」
「そうですね。目が覚めればわかりますよ」
 そしてそれは後の覚醒によって証明される。夢ではなく紛れもない事実であったのだと。
 枕元に転がっていた二粒の猫眼金緑石。
 やや緑がかったその貴石が鑑定の結果、一粒が八五万クレジット——日本円に換算して約八五〇万——相当というとんでもない品であることを知らされたマサキは文字通り猫のごとく跳び上がり、だいたいの検討をつけていたシュウといえば。
「褒美としては妥当ですね」
 と受け取った一粒を当然のように換金して即日研究費へと充てたのだった。

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