それはまるで星空を染めたようなシュシュだった。
メインは四角い青紫のスワロビーズ。添えられているのはライトグレーのコットンパールだ。特に大きく透明感のある青いビーズや金のビジューは輝く星々を表しているのだろう。散りばめられた小さなビーズはまるでオーロラのごとく多色に輝いている。
店の前を通り過ぎるさい偶然目に留まったらしい。天然石を扱う店だったらしく壁一面が天然石で埋まっていたそうだ。
「ラ・ギアスには星空なんてないだろ。だから、地上の星空がどんなもんか自分なりにイメージしながら作ったんだと。きれいだろ?」
だからつい手に取ってしまった。
「プレシアも喜ぶかなって思ったしよ」
「ああ、そういえばもうすぐホワイトデーでしたね」
「去年はシュテドニアスの南北で内戦ぎりぎりまでいっちまって、ホワイトデーどころかバレンタインデーも吹っ飛んじまったからな」
それでも仲間内で小さなパーティを開いたそうだ。贈り合ったのは市販のチョコやビスケットであったが過酷な任務を終えたばかりの彼らにとっては十分過ぎるプレゼントだったに違いない。
「では、そのシュシュが今年のお返しですか?」
幸い今年は無事にバレンタインデーを迎えることができた。日頃の感謝に相応しい品をと選定役に引っ張り回されたシュウも有名ブランドの板チョコを二枚、仲睦まじい兄妹から頂戴している。
「いや、もうちょっと何とかしたくてよ」
聞けばビーズの一部を天然石に取り替えることができるというのだ。マサキは一番大きな青紫のビーズをラピスラズリに変えるつもりだった。
「ラピスってあれだろ。幸運のお守りとかになるんだろ?」
「そうですね。少し根は張りますが相応の術者に依頼すればきちんとした加護にもなります。ただ、その場合はなるべく純度の高いものを使うべきでしょう。仮にも魔術を施すのですから不純物は極力避けたほうがいい」
「でも、そんな高品質なもんどこで……」
「差し支えなければこちらで用意しますよ。バレンタインデーのお返しです」
シュウが受け取ったのは有名ブランドの板チョコ二枚。ブラックはマサキ。ミルクはプレシアが不承不承に選んだものだ。
「板チョコだぞ?」
まさに渡りに船の提案であったが板チョコ二枚の返礼としてはいささか高価過ぎる。
「ええ。とてもおいしかったですよ」
けれどシュウにとっては貴石などよりずっと価値があったのだ。それはマサキたちがシュウのためにと選んだものであったから。
「ラピスってわりと高いんだろ?」
「お返しだと言ったでしょう。大した額ではありませんから」
「……じゃあ、頼む」
「ええ、任せておきなさい」
その後、緊急の出動要請に飛び出して行ったマサキを見送ったシュウはテーブルに置いていたタブレットを手に取る。マサキの希望を確実に叶えるためには一つ片付けておくべき問題があったのだ。
「賞味期限切れが近いカードもありますし、ちょうどいいでしょう」
シュウは迷うことなくカードを切った。
某国が政府、反政府、武装組織の三つ巴による泥沼の内戦状態に突入したのは一年前。
事の発端は一部の難病に劇的な効果をもたらす新薬——そのもっとも重要な材料となる薬草が国内で発見されたからだ。地割れによって数百年にわたり隔絶されていた未踏の森林地帯で発見されたすみれ色の薬草。いまだ効果的な治療が確立されていない難病であったためその薬草は莫大な利益を国にもたらしたが、同時に国内にくすぶっていた争いの火種を再び大火へと燃え上がらせたのである。
政府と反政府組織との対立は十数年に及んでいた。近年、武力衝突の規模が縮小化しつつあったのは互いの国全体の経済力が落ち込んでいたからだ。理想と決意だけで装備は買えない。兵を育てるための時間と衣食住もそろわない。
だが、すみれ色の薬草はその莫大な利益でもって乾ききった国の経済に「黄金の滴」を垂らした。薬草が自生する森林周辺を支配していたのは反政府組織。衝突は再び激化し漁夫の利を狙う武装組織の参戦もあって事態は一気に逼迫したのである。
飛び火を怖れた隣国の協力もあって現状は現政府有利に動いているものの武装組織による妨害と略奪の被害は著しく、政府はもちろん反政府組織もまたその対策に労力を割かねばならなかった。
「文字通りの火事場泥棒ですが今回に関してはいい攪乱になりました」
番狂わせの略奪者。彼らの参戦は「場外の指揮者」たちにとってどれほど忌々しいイレギュラーであっただろう。
某国はA王国から独立した新興国であった。現在、政府軍の要職はA王国から派遣された内通者が一定数を占めておりそれは反政府軍も同様であった。長年にわたる政情不安はA王国によって指示されたものであったのだ。目的は一つ。独立という叛逆を犯した大罪人への処罰と領土奪還。
「トカゲの尻尾をいくら切り落としたところで根本的な解決には至らない。一掃するなら根元から」
それが一枚目のカード。
A王国の枢機に携わる為政者とその親戚縁者および関係者一同を地獄のスキャンダルパレードが見舞ったのは数日後のことだ。
世襲により引き継がれてきた裏金の総額は一二億クレジット——日本円に換算して約一二〇億——を超え、天下りの斡旋に現役議員らによる定期的な集団児童買春。国際法を無視した武器の密輸出。反社会的組織との癒着。数十年に及ぶ人事権の濫用と悪質なパワハラ。辞職・閑職に追い込まれた被害者は四桁に達し自殺者は一〇〇人を超える地獄絵図。それぞれに被害者の会が結成され残された遺族が怨恨から何人もの暗殺者を雇ったという真偽不明の話まで出回ったのだ。
糾弾された為政者たちは事の一切を対立国による陰謀。悪質なフェイクニュースとして鎮火を試みたが、そんな悪あがきを叩きつぶしたのが生中継された白昼堂々の議会襲撃事件であった。幸い襲撃自体は失敗に終わったものの逮捕された襲撃犯はその全員が被害者遺族であったのだ。中継を通して国内に響き渡る呪詛の咆哮に偽りは一片もなく為政者たちの命運が尽きた瞬間であった。
A王国の機能不全は某国の政府・反政府軍に派遣された内通者たちにも波及した。指示を仰ごうにも司令系統がほぼ麻痺してしまったのだ。個々の判断で事態の最適化を図るにも限界があった。何より武装組織というイレギュラーにも対応しなければならなかったのだ。
「これで時間は十分できました」
事態が今以上悪化するようであれば来週中にも魔装機神隊へ出動要請がかかる予定だったのだ。だが、この有り様ではそうかんたんに「再起動」はできないだろう。長期間における戦線の停滞化はほぼ確実だった。
切るべきカードはもう一枚ある。
「公共の利益を理解できない人間には速やかに退場いただきましょう」
内戦に加わった武装組織はもともとある武装組織グループに属しており今回の参戦について上位組織の同意を得ていなかった。彼らもまた「黄金の滴」をもってグループから独立する野望を抱いていたのだ。
「身内の恥は身内でそそいでください」
そうして送信したメールの宛先はグループの上位組織。セニアいわく会心の作と言わしめた悪辣極まるコンピュータウイルスはすでに件の武装組織内に浸透させてある。メールに記載したのはその起動コマンドだった。
「幸い彼らは分をわきまえている。必要以上の略奪はしないでしょう」
「出張費」分の略奪は必要経費と割り切るしかない。だが、シュウはメールの送信元として自身の身を明かしている。牽制としては十分だろう。
切ったカードは合わせて二枚。国が一つ傾いたがもともと対立国の諜報機関が半ば把握しつつあった情報だ。国際社会への告発時期が前倒しになったと思えばいい。そんな些末なことより。
「品質を優先するならやはり仕入れ先はアフガニスタンですね。行きますよ」
「そんな近所のスーパーに行く気軽さで言われましても……。というか、あそこ今も某宗教勢力が政権握ってる政情不安ど真ん中の国じゃないですか!」
「無視すればいいでしょう。こちらから彼らに干渉するつもりなどないのですから」
「いや、テロリストに『私、関係ありませんから』って言ってもそれこそ向こうには関係ありませんからっ‼」
「その場合はやむを得ないので強制終了するだけです」
「はなから平和的解決をする気がないっ⁉︎」
「言葉が通じても会話が通じないのですから仕方ありませんね」
実に合理的な判断である。
シュシュの中央を飾るのは濃い紫を帯びたロイヤルブルーのラピスラズリだ。目をこらせば石の中に加護の咒文が浮かんでいるのがわかる。
「すごいきれい! お兄ちゃん、これ本当にいいの!」
「ああ。去年はほとんど何もできなかったからな」
歓声を上げ跳び上がらんばかりに喜ぶプレシアにマサキの頬も緩む。やはり己の直感は正しかったのだ。
「ありがとうお兄ちゃん。今日はお兄ちゃんの好きなもの全部作るから、どんどんリクエストしてね!」
椀飯振る舞いである。これは意地でも食べ尽くさねば。
「……あいつのはどうすっかなあ」
ホワイトデー当日を迎えながらマサキはいまだシュウへの「お返し」を用意できていなかった。
先月のバレンタインデーでマサキが受け取ったのは地上の有名食料雑貨品店のチョコレートビスケット。聞けばバレンタイン限定でお一人様一点のみの先着三〇〇〇名まで。それを当然のように差し出されたのだ。しかも、缶に刻印されていたシリアルナンバーは二桁であった。
「あれに限った話じゃねえけどよ、あいつほんと何をどうしてんだ?」
昨今の【総合科学技術者】は謎が多すぎる。
「……シュウからすればきっとマサキの思考回路のほうが謎過ぎるんだにゃ」
「言うだけ無駄にゃ。もう手の施しようがないにゃ」
「お前らおれの 使い魔 だって自覚はあんのかっ‼」
一人と二匹の追いかけっこが終わりを告げたのはそれから一五分後のことであった。
ホワイトデーから数日。意を決したマサキがシュウに差し出しのはチラシの裏で作った白紙のチケットだった。
「書け」
「何をです?」
「何かやって欲しいことあるだろ。掃除とか飯とか買い物とかよ。無茶なことでなけりゃあ、やってやる」
「なるほど。『お手伝い券』ですか」
「『お手伝い』とか言うな!」
「事実でしょうに」
むしろ微笑ましい。
「ところで有効期限は?」
「いや、別に考えてねえけど……。でも、忙しくなったら無理だと、思う」
「では、今使いましょう」
即断即決。いつやってくるかもわからない「任務」にせっかくの機会をふいにされては事だ。
まずは一枚目。
「書斎の掃除を手伝ってください」
渡されたのはのははたきと雑巾。向かった先はデータ化されていない紙媒体専用の書斎だった。所狭しと積まれているのはほとんどが単行本でいずれも厚さが三センチ以上。それがおよそ三〇〇冊。これをすべて手作業で年代別著者別に収めていくのだ。
「……腰」
「適度に休憩を入れますから大丈夫ですよ」
魔装機操者にとって腰痛は大敵なのだ。
「次はお茶の準備ですね」
掃除という名の重労働から解放されたかと思えば次に渡されたのはいくつもの茶缶だ。
「あなたの好きなものを淹れてください。クッキーは奥の戸棚に入っていますから」
「お、おう」
キッチンで茶葉を計りながらマサキは首を傾げる。
「何か違くねえか?」
そうして最後の一枚は。
「このまま一日一緒に過ごしてください」
「いや、いつもと変わんねえじゃねえか。お前、それでいいのかよ」
「ええ。とても満足していますよ」
実際、シュウはとても機嫌が良かった。
「いつもと変わらねえだろ?」
「違いますよ」
「どこがだよ」
「私へのお返しためにあなたが自分の意志で私の『お願い』に応えてくれている」
やぶ蛇とは今この瞬間のことを指すのだろうか。マサキは頭を抱えながらその場に崩れ落ちる。この男、憶面もなくよくも真顔で。
一人敗北感に打ちひしがれるマサキに離れた場所から事の成り行きを見守っていた使い魔たちの視線は冷たい。
「いや、ご主人様を相手にしてるんですからいい加減学習しなさいよ」
「相手がシュウの時点でもう学習するだけ無駄なんだにゃ」
「人間、ドツボにハマるとああなるにゃ」
助ける気は皆無であった。
あなたの願いは
短編 List-3