マグノリア・タンブラにようこそ

短編 List-3
短編 List-3

 突然の訪問だった。文字通り台風のように駆け込んできたマサキはシュウを引っ掴むなりはつらつと笑ったものだ。
「ハリファのおばちゃんからいい店紹介してもらったんだよ。だから、てめぇも来い!」
「ハリファ夫人とは……、あなたがよく行く食料雑貨品店のオーナーでしたか?」
「おう。おばちゃん、若い頃はダル何とかホテルで食材の仕入れ担当してたらしくてよ。その時の先輩の店なんだと!」
 上機嫌なマサキに半ば連れ出される格好でシュウがたどり着いたそこはフラモス州の地方都市。川辺に立つ小さな白壁のカフェ「マグノリア・タンブラ」。涼やかな水音とマグノリアの木々に囲まれたそこはまるで小さな隠れ家であった。
 入り口にはCLOSEDの看板。しかし、迷うことなくマサキは足を踏み入れる。小さく鳴り響くマグノリアのドアベル。
「知り合い連れてくるって言ったらおっさんが開けてくれたんだよ」
 店内には二人がけのテーブル席と四人がけのテーブル席がそれぞれふたつ。テーブル中央の花瓶で輝くのはフリーズドライされた季節の花々だ。カウンターには手作りのクッキーやスコーンがずらりと並び、ツヤ光るフルーツタルトに至ってはさながら宝石のデコレーションのようであった。
「ダル何とかとは、もしやホテルダルニアのことではありませんか?」
「あ、それだそれ。お前が知ってるってことはそうとう有名なとこなんだな」
「マラカ州にある老舗のホテルですよ。しかし、あそこで食料品の仕入れを任されていたほどの逸材なら引く手あまただったでしょうに。どうして商店街に?」
「旦那と一緒に自分たちの『城』を作りたかったんだと。当時はほんとスゴかったらしいぜ」
 しかし、ミセス・ハリファは一顧だにしなかったという。彼女にとって『夫婦の城』はそれほど代え難いものであったのだ。
「これはマサキ様」
 カウンターの奥から顔を出したのは四十過ぎと思われる壮年の男性であった。
「ラムダのおっさん、連れてきたぜ!」
 マサキが当然のようにシュウを正面に押し出す。
「いらっしゃいませ。オーナーのタニス・ラムダと申します。もしや、こちらの方が以前お聞きした?」
「おう。紅茶に詳しい奴。産地とか店とかいろいろ知ってんだ。わけわかんねえことも知っててよ。ほんと変な奴なんだぜ!」
「……マサキ、あなたは人のことを何だと」
「ほんとのことじゃねえか」
 悪意がないことは重々承知しているが、だからといって初対面の相手に「こいつは変な奴です」と紹介されてはたまらない。シュウの心中を察したかタニスはそうそうに二人を奥の個室へと案内する。
 個室には川に面した大きな窓があり陽射しにきらめく水面がよく見える。部屋には六人がけのテーブル席がひとつ。テーブルの中央には二段のケーキスタンドが陣取り、ビスケットと各種スコーンがひしめき合っている。ガラス製のティーウォーマーに鎮座するのは白い陶器製のティーポットだ。
「このカップはフォーミュラですか?」
 席についてすぐ、シュウは目の前のカップの「正体」を看破する。
「フォーミュラ? 何だそれ?」
「世界三大陶磁器メーカーのひとつですよ。このデザインはアニバーサリーコレクションですね」
 シュウの指摘にタニスは破顔する。
「お客様は本当にお詳しいですね。実は私の個人的なコレクションでして。前職のツテもあっていくつか集めることができたのです」
「おっさん、パティシエだったんだよ」
「はい。二四年ほど務めておりました」
「それは素晴らしい」
「いいえ。私よりも妻のほうが何倍も素晴らしいと思いますよ。何と言っても料理長でしたからね」
 これにはさすがに鈍感なマサキも驚いた。
「へえ、料理長ってスゲぇな! だからランチもうまかったのか」
 ラムダ夫妻がカフェをオープンしたのは二年前。退職を知った熱心なファンたちの応援や前職のツテもあってカフェはオープン時から大盛況。今では客の半数以上が予約客だという。時には同業者の商談にこの個室を提供することもあるそうだ。
「表じゃ騒ぎになるからって裏口を教えてもらったんだよ」
「ミセス・ハリファから事前に連絡は受けていたのですが、あの時はさすがに驚きました」
 マサキ・アンドー。剣神ランドール・ザン・ゼノサキスの聖号を賜与された救国の英雄にしてラングランが誇る魔装機神サイバスターの操者。そんな人間が白昼堂々、供も付けず素のままで現れたのだ。困惑するのは当然であろう。
「シュウ、そのハニースコーンとミルクティースコーン取ってくれよ。クリームチーズ付ける!」
 いつの間にか「いただきます!」を済ませていたマサキはすでにケーキスタンドのスコーンをふたつ平らげていた。
「前はいちごジャムとかちみつとか、あと生クリームで食ったんだよ。あ。ついでにそっちのマーマレードも取ってくれ。まだ付けたことねえんだ!」
 ふたつに割ったミルクティースコーンをマサキは豪快に頬張る。その左手はすでにハニースコーンを構えている。
「ありがとうございます。マーマレードは当店一番の人気商品なのです」
 どうやら奥方自慢の逸品らしい。少し強めな香りは太陽の気配すら感じさせそのきらめきはさながらスコーンを飾り立てるドレスのようだ。
 あっと言う間にマサキの胃袋へと消えていくハニースコーンとミルクティースコーン。しかも、右手はすでに新たなチョコチップスコーンを摘まんでいるではないか。
「あまり食べ過ぎるとお腹を壊しますよ?」
 マサキの圧倒的な食欲・消化力とは対照的にシュウは甘さ控えめのハニースコーンをひとつ手に取るのが精一杯だった。
「は? この程度で腹壊すわけねえだろ。何言ってんだお前?」
 マサキは心底不思議そうに首を傾げる。聞けば、前回は一人でアフタヌーンティーセットを当然のように平らげたらしい。だが、マグノリア・タンブラのアフタヌーンティーセットは基本二人用だ。それを一人で完食したというのだから恐ろしい。
「ミセス・ハリファからマサキ様は健啖家だと聞いてはいたのですが」
 念のため量を少し減らしたアフタヌーンティーセットを用意した結果、逆にスコーンのおかわりを要求されたという。少し固めのミルクティースコーンとしっとりとしてほんのり甘いハニースコーンが特に気に入ったらしく、おかわりしたうえにお土産として持ち帰ったというのだからそうとうだ。
「少しは食事のバランスに注意しなさい。魔装機操者は身体が資本でしょう」
「うるせえなあ。何だよお前までプレシアみたいなこと言いやがって」
 どうやら甘いものを食べ過ぎだと説教されたらしい。
「仕方ねえだろ、うまいんだから。プレシアも食べればわかるって!」
「一緒に来ていないのですか?」
「今度連れてくる約束なんだよ。それがどうかしたか?」
「どうしたも何も……」
 まさか唯一の家族である妹を差し置いて一番最初に連れてきたのが自分とは。素直に喜ぶべきか呆れるべきか。返答に窮するシュウに心中を察したタニスが助け船を出す。 
「お客様、先日仕入れたケニスはいかがですか?」
「お心づかい感謝します。……では、ストレートを」
「承知いたしました」
 ケニスは渋みが特に強い紅茶だ。ストレート向きではないが甘さに浸った思考にはちょうどいいだろう。
「何だよ。変な顔して。腹でも痛ぇのか?」
「その程度の問題であればまだよかったのですがね」
 素直に答えられるわけがない。これは年長者の沽券に関わる大問題なのだ。ふと暖かな気配を感じて振り返れば素早く戻ってきたタニスと視線がぶつかる。にこり。
「大丈夫ですよ。私も妻にはめったなことでは敵いませんので」
 最初からこちらの関係はお見通しだったようだ。差し出されるケニスのストレート。やはり渋い。自然、眉間にしわが寄る。
「なあ」
「どうしました?」
「これやる」
 半ば突きつけるように差し出されたのはクリームチーズが乗った小皿と真っ二つにされたハニースコーンだ。
「あんまり甘くないから大丈夫だと思うけどよ、もし甘かったらそれつけろよ。さっぱりするから」
 めずらしい心づかいにシュウは素直に小皿を受け取る。
「ところでそれは一体何個目ですか?」
「六個目だけどどうかしたか?」
 すでにチョコチップスコーンを平らげたマサキは再びハニースコーンに手を伸ばしていた。甘さが控えめなので胃袋も大歓迎らしい。シュウは危うく天を仰ぎそうになる。
 ふっと湧いた見守るような気配に振り向けばいつの間にキッチンへ戻っていたのか新しいトレイを持ったタニスが立っていた。トレイの中央にどん、と鎮座しているのはスクランブルエッグと照り焼きチキンをぎゅうぎゅうに挟んだサンドイッチだ。
「……申し訳ありません」
 思わず謝罪が口を衝いて出る。
「いえいえ、元気なことは良いことですから」
 これだけ上機嫌にタニスの「作品」を堪能してくれる客はそうそういないらしい。だとしても限度があろう。
「テュッティの基礎代謝もですがあなたの消化力も十分常識の埒外ですよ」
 スコーンを食べ終え、今度はサンドイッチを頬張るマサキにシュウは人体の神秘——主に消化器——を思い知らされた気がした。
 短くない現実逃避から数分。何とはなしに振り返ればいつの間に用意したのかお土産用のスコーンと各種ジャム・クリームを詰めたバスケットを手にしたタニスが立っていた。
「仲睦まじいのは良いことですよ」
 シュウは無言でバスケットを受け取る。マサキは二個目のサンドイッチに夢中でこちらに気づく気配もない。全粒粉のパンに甘辛い照り焼きソースと溢れんばかりのスクランブルエッグ。しゃべる時間も惜しいのだろう。この勢いでは三個目のリクエストもあり得そうだ。
「重ね重ね申し訳ありません」
「いえいえ。次も貸し切りですのでどうかご安心ください」
 にこり。人生の先達は偉大であった。
 なお、次回はなぜかランチ会となった。

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