パウエリファンタ・アウグスタ

短編 List-3
短編 List-3

 ラ・ギアスにはめずらしい長雨だった。特に任務もなくゼノサキス邸の自室で文字通りごろごろ寝転がっていたマサキはあまりの退屈さにむくれていた。
「よし、出るぞ。お前ら!」
 打開策に悩むことを十数秒。マサキはベッドから飛び起きると足下で惰眠をむさぼっていた使い魔たちの首根っこを引っ掴んでゼノサキス邸を飛び出す。退屈は苦痛だ。なら、それとは無縁の場所に行けばいい。マサキが取るべき選択肢は一つだった。
「パウエリファンタ・アウグスタの産卵シーンの動画ですか。よく残っていましたね」
「何て?」
 マサキが乗り込んだ先は案の定、シュウのセーフハウスであった。どうやら何かしらの資料を整理中だったらしくタイミングよく鼓膜に飛び込んで来た単語に思わず聞き返していた。
「パウエリファンタ・アウグスタです」
「何だそのパエリアもどき」
 産卵というからには何かしらの生物なのだろうが如何せん聞き覚えがなさ過ぎる。もしやからかわれているのか。あからさまに眉をひそめたマサキにシュウは軽くため息をついて簡潔に言い直す。
「カタツムリですよ」
 面倒くさいのは名前だけであった。
「でも、お前が感心するくらいだからめずらしいんだろ、そのカタツムリ」
「ええ。パウエリファンタ・アウグスタはニュージーランド西海岸にあるブラー高原の限られた地域にのみ生息する絶滅危惧種です」
 露天掘り鉱山開発によって生息地であった「マウント・アウグスタス」をほぼ完全に削り取られ、絶滅の危機に瀕したパウエリファンタ・アウグスタを保護すべく「ニュージーランド環境保全省DOC」が飼育下保護プログラムを開始したのは二〇〇六年からだ。
「絶滅危惧種のカタツムリってあんま聞いたことねえな」
 絶滅の危機に瀕している動植物ならまだ耳にすることもあるのだが。
「オランウータンとかパンダとか。あと虎か? その辺はよく聞くけどよ」
「まあ、カタツムリですからね。パウエリファンタ・アウグスタは『国際自然保護連合ICUN』のレッドリストで『絶滅危惧IA類』に分類されているのですよ」
「IA類? 何だそれ」
「レッドリストにおけるカテゴリーの一つですね。野生の種がもっとも高い絶滅リスクに直面している状態を指します。何せ一時は約一〇〇個体まで減少したと推測されていたくらいですから当然でしょう」
「ひゃ⁉︎」
 恐ろしい数字を聞いてしまった。世界でたった一〇〇個体。しかも生息地が限定される固有種である。マサキは途端に背筋が寒くなった。仮にこれが人類であったならどうなっていたことか。
「とはいえ保護活動によって個体数自体は順調に増えていますし別の地域への再導入計画も進んでいます。そこは前向きに捉えるべきでしょう。ただ、本来の生息地については鉱山開発による破壊が著しく現在に至っても回復できていませんが」
 そう。たとえ個体数が回復したとしても肝心の生息地は破壊されたままなのだ。それだけではない。生息地を回復させるための手段は誰が用意し、かかる費用と時間はどこから捻出するのか。また、野生へ再導入するのであれば導入先の生態系にどれだけの影響が出るかそれも考慮しなくてはならない。問題は山積みだった。
「話がそれましたね。これが先ほど言っていたパウエリファンタ・アウグスタの産卵シーンの動画ですよ」
 そうして差し出されたタブレットの画面一杯に表示されたカタツムリは黒い身体にすすけた錆び色の殻をかぶっていた。
「……何かうにょうにょ動いててグロい」
 思わず顔を背けそうになるところを意地で踏みとどまり、手にしたタブレットをなるべく顔から離した状態で画面を凝視すること数十秒。
「あ、もしかして卵ってこれか!」
 真っ黒に近い身体からこぼれ落ちたその卵はまるで月光を浴びてつや光る一粒の真珠のようであった。
「そうです。今首の生殖孔から排出されたそれがパウエリファンタ・アウグスタの卵ですよ」
「え」
「卵です」
「いや、待て。その前!」
「首の生殖孔から排出された卵です」
 律儀にリピートしてくれた。
「首っ⁉︎ 何で首から卵産むんだよ、おかしいだろ。首だぞっ!」
「だからめずらしいと言ったではありませんか」
「お前はもうちょっと一般的な角度のめずらしさを追えっ‼」
 マサキは声を荒げる。首から産卵。字面だけならもはやホラーである。映像的にもショッキングだ。
「あなたの反応もわかりますがこれはとても貴重な映像なのですよ?」
 何せ一二年かけてようやく撮ることができた数十秒なのだ。
「じゅ、一二年?」
 聞けば動画を撮影したのは一二年間にわたってパウエリファンタ・アウグスタの保護活動に従事してきたリサ・フラナガンというDOC職員だという。
「ちょっと待て。一二年も世話してて初めて卵産んだの見たっておかしくねえか?」
 マサキの認識ではカタツムリは年に数回、梅雨の時期に産卵しているものであったのだ。
「パウエリファンタ・アウグスタは一般的なカタツムリに比べて成長がとても遅いのですよ。性成熟については八年程度かかりますからね」
 そのうえ長寿で一般のカタツムリが三年から五年生きるのに対して飼育下のパウエリファンタ・アウグスタは最長で三〇年近く生きるという。
「カタツムリなのに何かいろいろスゲぇな、こいつら」
 ちょっと感動してしまう。同時にふとあることを思い出す。
「お前ときどき変なデータ持ってくるけどよ、これも研究に必要なのか?」
 そう、目の前の男は十指の博士号を有する【総合科学技術者】なのだ。常人には理解し得ないところから情報を収集していても何ら不思議はない。
「いいえ。ただの気分転換ですよ」
「……ほんとか?」
「本当ですよ。結果的に何かしらのインスピレーションを得ることもありますが、まったく未知の世界に触れることはそれ自体とても有意義なことですからね」
 ただ、データの収集自体はAIに任せているのでその中身は玉石混交らしい。
「中には倫理観を問う実験も多くありますから」
「倫理観を問うって……、何だよ。そんな物騒なもんがあるのか?」
「あなたの価値観で言えばまだヴォルクルス復活の儀式のほうがマシに見えるレベルですね」
「どんな実験だよ、それっ⁉︎」
 途端に全身が総毛立つ。あの破壊神復活の儀式よりもおぞましいものがこの世に実在するのか。
「二〇二一年にオンラインプラットフォームである『bioRxivバイオアーカイヴ』で発表された中国海軍医科大学の実験なのですが、雄マウスと雌マウスの下半身を皮膚で結合させ、子宮を移植・妊娠させることで雄マウスに健康な子マウスを出産させたのです」
「仕事しろ倫理ぃ——っ‼」
 テーブルをひっくり返さなかっただけ褒めて欲しい。マサキの足下で惰眠をむさぼっていた使い魔たちも全身の毛を逆立て跳び上がる。
「頭イカれてるにもほどがあるだろ。今すぐ地獄の一丁目で閻魔相手に人身事故起こしてきやがれっ‼」
 そして、向こう一年、懲罰として阿鼻叫喚地獄で奉仕活動に明け暮れればいいのだ。
「落ち着きなさい。心配せずとも研究はすでに凍結されていますよ」
 案の定、軽いパニックを起こしたマサキにシュウはどこからともなく取り出したミルクティーを手渡し、そのまま隣に座らせる。
「そもそもこれは二〇二一年——何世紀も前に発表されたデータですからね。以降、類似した研究の発表記録もありませんから研究は完全に頓挫したと見ていいでしょう」
「……継続してたらぶっ飛ばす」
 よほどショックだったのだろう。その顔色は青いままだ。
「このさいですから今日はもうここで休みなさい。しばらく任務もないのでしょう?」
「まあ……。今のとこは、ねえな」
「なら、ちょうどいいではありませんか」
 マサキ自身はもちろんのこと彼の愛機にも「羽休め」は必要だ。
「好き勝手にするぞ?」
「ええ、好き勝手になさい」
 ここにいる限り誰もマサキの邪魔をしない。シュウがさせない。いつもの「お約束」だ。
「……あのな。人間、甘やかし過ぎると駄目になるんだぞ?」
「この程度で駄目になるあなたではないでしょう?」
 あやされている自覚があるのだろう。血色とともに活力も戻ってきたマサキはほんの少し頬を膨らませる。
「そうそう。片付けておきたい用事があるので少し出かけてきますが、何か欲しいものはありますか?」
「ミルクティージャム。あればっかりはうちじゃ作れねえからよ」
「メーカーはいつものところでかまいませんか?」
「任せる。お前が選ぶやつなら外れはねえだろ」
「これは責任重大ですね」
 すっかり機嫌を直したマサキに留守番を任せ、シュウはそのままセーフハウスを出て愛機の元へ。
「地上であれ地底であれしょせんは同じ人類。どれほど時代が変わろうとその思考回路に大した相違などありませんか」
 モニターに映ったデータは『bioRxiv』で発表された件の実験に酷似していた。ダークウェブ上の「友人」から雑談のついでに仕入れた悪趣味な噂話。内容はデータが示す通りほぼ同様の実験についてだった。問題は実験に使われたのがマウスではなく類人猿であったという点だ。
 少し探ってみればその研究者たちはヴォルクルス教団から少なからず資金提供を受けている組織に属していた。連中の目的など知りたくもないが捨て置くにわけにもいかなかった。実験体にマウスではなく類人猿を使っている時点で実験のエスカレートがほぼ確定していたからだ。
「研究は完全に頓挫したのですよ。ええ。地上地底を問わず、ね」
 そう。継続されては困るのだ。
 存在しないものはこの世のどこにも存在しない。
 でなければ彼はこの事実にいつまでも心を痛めるだろう。
 ゆえにすべては今、ここで。
「さようなら」

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