【地獄の門】へ行きましょう

短編 List-3
短編 List-3

 その性格と言動からマサキを猫に例える人間は多い。自由気ままで気が強く、しぶというえにたくましい野良猫。ゆえに首輪などつけられるはずもなく。
「でも、つけてもらわないと困るのよ! ちょっと目を離した隙に捻挫してくるなんて。これで長期任務が入ったどうするつもりだったのよっ‼」
 スパナとドライバーを手に叫んだのは真っ先にマサキ帰還の一報を受け取ったセニアだった。
 いつもの「散歩」に出かけて数日。ようやく帰ってきたかと思えばこの有り様である。聞けば道に迷った末に酔っ払いの乱闘現場にたどり着き、そこで巻き込まれた母子を助けたさいに右足をひねったというのだ。
「すぐ隣の家で屋根の修理しててよ。いきなり上から木材降ってきて焦った」
 頭上約一〇メートルの世界から木材だけでなく金槌や釘、のこぎりなどの工具一式も一緒に降ってきたというのだから恐ろしい。そして、それを紙一重でかわした代償が右足の捻挫だったと聞いた仲間たちはもう絶句する他なかった。プレシアなど顔を真っ青にして今にも悲鳴を上げる寸前だったのだ。
「お兄ちゃんの馬鹿。お兄ちゃんなんか足が治るまでどこかに家出すればいいのよっ‼」
「いや、何で家出っ⁉︎」
「だって家に居たら、マサキ絶対また何かやらかすじゃん」
「おとなしくすると約束しても、あなた任務が入ったら絶対に出動しようとするでしょう?」
「しばらくはおとなしくするしかない場所に出て行け。そして、治るまで帰ってくるな」
 ミオ、テュッティ、ヤンロンは冷静かつ非情にマサキの抗議を切り捨てる。説教がつかなかったのはせめてもの温情だ。
「ふざけんなぁーっ!」
 かくして勝手気ままな「野良猫」は温かい我が家から問答無用で叩き出されたのだった。

「セニアから事情は聞いています。彼らの判断は妥当だと思いますよ。実際、任務が入ったら意地でも出動するつもりだったのでしょう?」
 セニアが手配したのだろう。叩き出されたマサキを「保護」しに来たのはシュウであった。拒否権を発動する間もなくグランゾンのコクピットに放り込まれ、気づけばラングランの端。トルマン州のさらに北端にある街の一軒家で療養生活を強いられる羽目になってしまった。
「……だって任務だぞ?」
「一〇〇歩譲って後方支援ならまだしも、戦闘の最前線に殴り込む怪我人がどこにいますか。いいですか。軽度の捻挫でも完治までに最低半月から一カ月。中度であれば三週間から二カ月はかかるのですよ。魔装機の操縦など論外です」
「治癒術あるだろ」
「治癒術の濫用は身体本来の回復力を落とします」
 むくれるマサキにしかしシュウは冷静だ。そして、それが事実なだけにマサキはますます機嫌を急降下させる。わがままを言っている自覚はあるのだ。
「おとなしくしているなら、気分転換に面白い場所へ連れて行ってあげますよ」
 まるで子ども扱いだ。マサキはさらに口をへの字に曲げてシュウをにらみつける。
「何だよ、面白い場所って」
「地獄の門です」
「は?」
 地獄。今地獄と言ったのかこの男は。
「……お前、ついにあの世の門を開けたのか」
 破壊神すら木っ端微塵にした男だ。冥府の門を開けるくらい造作もないのだろう。
「あなたは人のことを何だと思っているのですか。ダルバザ・ガス・クレーターですよ」
「ダルバザ・ガス・クレーター?」
 クレーターというから月面の話だろうか。しかし、そんな話を聞いた覚えはない。
「ダルバザ・ガス・クレーターはトルクメニスタンにある陥没穴です。この写真を見た覚えはありませんか?」
 差し出されたタブレットには荒野らしき場所の真ん中に空いた燃え盛る巨大な穴が映っていた。
「これ……。何か、どっかで見たかも」
「これがダルバザ・ガス・クレーター。別名地獄の門です。カラクムの光とも呼ばれていますね」
「なあ、これ消えないのか?」
「地下から放出されるガスに引火して燃えていますからね。ガスが尽きない限り消えることはありませんよ」
 ダルバザ・ガス・クレーターの出現は不幸な事故の結果であった。
 当時、ダルバザ村近くで天然ガスの埋蔵を調査していたソ連の地質科学者たちが地下に豊富な天然ガスが埋蔵されていることを突き止め、採掘作業を開始しようとして落盤事故が発生したのである。その結果、出現したのが直径約七〇から九〇メートル、深さ三〇メートルの巨大な陥没穴であった。陥没穴からは有毒ガスが放出され、ガスによる被害を防ぐために地質科学者たちは穴に火を放つ決断をしたのだった。
 もっとも一連の詳細についてはソ連時代の報告が欠落しているか、不完全または機密扱いが続いているためどこまでが真実なのかは定かではないという。
「その後、永遠に燃え盛る炎の陥没穴としてダルバザ・ガス・クレーターはトルクメニスタン最大の大観光地となりました」
 だが、それも間もなく終わる。
「終わるって、何でだ?」
「穴から放出されるガスが間もなく尽きるからです」
 地球温暖化対策に併せ近隣住民の長期的な健康被害や周辺環境へ及ぼす悪影響の懸念から、ダルバザ・ガス・クレーターの天然ガス採取計画を政府が発表したのである。
「予定のペースで順調に採取が進めば数年以内に地獄の門は閉じるでしょう」
「へえ。……なあ、観光地ってことは近くまで行けるのか?」
「行けますよ。クレーターから徒歩五分の場所にキャンプもありますからね」
「マジかよっ‼」
「行ってみたいでしょう?」
「……」
 ここで素直に行きたいと言えば目の前の男はあっと言う間に何もかも手配してしまうだろう。それはもう腹立たしいほどスマートに。
「…………」
 意地と負けん気を総動員すれば目の前の誘惑を突っぱねることはできる。シュウも無理強いはしないだろう。だが、行こうと思って自力で行ける場所ではない。特に言葉の壁はマサキ一人ではどうにもならない絶望の絶壁だ。
「………………行く」
 長い長い葛藤の末にマサキはついに屈した。
「なら、しばらくはおとなしくしていましょうね?」
 それは紛う方なき勝利宣言であった。
「ちくしょうっ!」
 後日。半ば八つ当たりで土産に希望した大型トルクメン絨毯が日本円に換算して約一〇〇万円であった事実とそれを当然にように即日発送させたシュウの金銭感覚に、自称一般市民のマサキはいつものように頭を抱えたのだった。
「金の使い方ぁー‼」

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