フォスディオン。ナブロ州の片田舎にあるその湧水泉は直径約三〇メートルの円形をしており泉の底には複雑な水中洞窟が広がっている。世界的にも有名なダイビングスポットであったが洞窟内部はその複雑な地形と水流から過去に何度も遭難事故が起きており、現在、洞窟ダイビングは街によって禁止されていた。
「ほんときれいな色してんだな、この泉」
日の光にきらめくサファイアブルー。まさに宝石を溶かし込んだかのような鮮やかさだ。いっそ神々しささえ感じてしまう。
「この中に潜るのか?」
「行ってみますか?」
「……やめとく。何か罰が当たりそうだ」
興味本位で侵していい場所ではない。そんな気がする。
「あながち間違いではないでしょうね」
「何かあるのか?」
「フォスディオンはこの街ができる前からここに存在しているのですがいまだに洞窟内部の調査が終わっていないのです」
「そういや、地形が複雑過ぎて遭難事故が何度も起きたって言ってたよな。そのせいか? でも、ドローンとかあるだろ?」
「水流が激しすぎてドローン程度の推進力ではとても先に進めなかったのですよ」
水中がだめならと地上からの走査も試みたそうだがどういうわけか走査のたびにノイズが入ってしまいまともな結果が得られなかったのだ。
「それって……」
「最終的に何かしらの精霊の領域である可能性が高いと判断され、以降、洞窟内への侵入は禁止されました」
「……のわりに観光客のダイビングはOKなのかよ」
マサキは呆れてしまう。そこまでわかっているのにダイビングスポットにしてしまうなど罰当たりも同然ではないのか。
「洞窟の入口にはきちんと結界が張ってありますからね。街としてもこれ以上犠牲者は出したくないでしょうから」
貴重な観光資源である。活用できるうちは最大限活用したいというのが本音だろう。結界の維持にかかる費用は決して安くはないだろうがそれも必要経費と割り切っているに違いない。
「それにしてもほんときれいだよなあ」
ついついのぞき込んでしまう。水底に本物のサファイアが敷き詰められていると言われても信じてしまいそうだ。
「ん?」
揺れる水面に浮かんできたのは「手」だろうか。
「マサキっ!」
先に気づいたのはシュウだ。マサキの腕を掴み泉から引き離そうとするが一呼吸の差で「手」のほうが早かった。
「うわっ⁉︎」
抗う間もなく泉に引きずり込まれる。「手」の先にいたのは女性。否、全身に燐火を帯びた青い『人魚』であった。精霊。そうだ。目の前の『人魚』こそがこの【フォスディオンの精霊】に違いない。その額にはこぶしほどのサファイアが輝いていた。
サファイアブルーの両手がマサキの頬に触れる。何かを確認しているかのようだ。二、三度触れて納得したのかマサキの右手をがっしと掴み、一気に水底へ向かって潜る。
「ちょ……、まっ……⁉︎」
反射的に目をつむる。しかし、次の瞬間にはマサキの両足は地に着いていた。そこは洞窟の中であった。目の前には小さなペンダントが転がっている。ロケットには一枚の家族写真が入っていた。
脳裏をよぎるのは洞窟内で過去に起きた遭難事故だ。間違いなくマサキが今立つ場所はフォスディオンの水中洞窟だろう。おそらくあの『人魚』はこのペンダントをマサキに引き取らせたかったのだ。
「いや、だからって何でおれ……」
可能性としてはテュッティの代わりに呼ばれたのだろう。この役目は水の精霊王の加護を得た彼女にこそふさわしいものだ。
「なら、仕方ねえ……、か?」
遭難事故が何年前に起きたのかはわからない。遺体らしきものが見当たらない以上、おそらくペンダントは何らかの事情で持ち主の手から離れてしまったのだろう。
「……じゃあ、帰ろうぜ。あんたの家族は何とか探してやるからよ」
ロケットを閉じる。振り向けばそこには全身に燐火を帯びたフォスディオンの『人魚』が宙に浮かんだままマサキを正面から見据えていた。
「仕方ねえから引き受けてやるよ」
戸惑いながらもロケットを握りしめた右手を差し出す。サファイアブルーの手がそれを握り返し、次の瞬間には再び激流に引きずり込まれていた。
「マサキっ⁉︎」
水面に押し出されたマサキを引き上げたのはシュウだった。
「うかつでした。……申し訳ありません」
「いや、これはさすがに察しろってのが無茶な話だろ。それよりよ、これ役場に聞けばわかると思うか?」
「それは……、ペンダントですか?」
「洞窟の中にあったんだよ。おれを連れて行ったのは『人魚』だったんだ。たぶん、あれが【フォスディオンの精霊】なんじゃねえか?」
「あなたという人はどうして……」
『人魚』の一言で事情を察したシュウは軽くこめかみを押さえる。まさか正体不明と言われていた【フォスディオンの精霊】がこうもかんたんに姿を現すとは。
「たぶん、テュッティの代わりに呼ばれたんだよ。おれも魔装機神操者だし」
「そうかもしれませんが、それ以上にあなたの善性によるところが大きいのでしょうね」
シュウから見てマサキは典型的な善人だった。これだけ心根が素直であれば精霊も喜んで迎え入れるだろう。
「そういうもんか?」
「そういうものですよ。それよりそのペンダントですがやはり一度役場に持っていきましょう。遭難事故があったのは七年前という話ですから」
「じゃあ、まだ探してるよな……。先に行くぜ!」
そうして全身ずぶぬれのまま駆け出す。じっとしてなどいられなかった。
「待ちなさい、マサキ。あなた役所の場所を知っているのですかっ!」
足早に追いかけるもあっと言う間に引き離されてしまう。
「……チカ」
「はい、ご主人様」
ナビゲートはお任せを。そう言って飛び立ったチカを見送り、深くため息をつく。
「たまには穏やかに過ごしたいものですが」
相手がマサキである以上、どだい無理な話なのかもしれない。何せ方々からあらゆる意味の『幸運』を拾って、あるいは押しかけられるのが彼だ。長年にわたって正体不明であった【フォスディオンの精霊】に招かれ、遭難者の遺品を持ち帰ってくるなどもはや奇跡に等しい。
「本当にどうしようもありませんね、あなたは」
本当に呆れてしまう。けれど同時に誰よりも誇らしく思う。シュウにとってマサキは真実、称賛に値する「英雄」であった。
そして、後日。遭難者の遺品を持ち帰った礼として遺族から相応以上の品を贈られて困惑するマサキにシュウが肩をすくめたのはいつもの話である。
フォスディオン
短編 List-3