ある休日。縁あって地域猫のボランティアを手伝っていたときのことだ。
「あれ?」
「どうした、プレシア」
「ねえ、お兄ちゃん。この子の目、オレンジ色になってるよ?」
プレシアの足下には一心不乱に餌を頬張る地域猫の親子。三匹の子猫たちは生まれてからそろそろ三カ月がたとうとしていた。
「……ほんとだ。こいつら生まれたときは全員、青い目してたよな?」
母猫が出産したのは長期任務が入る直前だった。その時点では確かに子猫たちは青い目をしていたのだ。
「うん。みんなきれいな青色だったよ」
仲睦まじい兄妹はそろって同じ方向に首を傾げる。まったく、不思議なこともあるものだ。
「キトンブルーですよ」
仲良く首を傾げる様が微笑ましく映ったのだろう。にっこり笑ってそう言ったのはボランティアスタッフだった。
「キトンブルー?」
「何だそれ?」
「キトンブルーは文字通り『子猫の青』という意味です。多くの子猫は生後二カ月から三カ月くらいまでは目がキトンブルーなんですよ」
スタッフの説明に目をしばたたかせながらマサキとプレシアは顔を見合わせる。初耳だ。それがそのまま顔に出ていたのだろう。餌を補充しながらスタッフは丁寧に教えてくれた。
「子猫たちの目が青いのはメラニン色素がほとんどないからなんです」
「……メラニンって何だ?」
「日焼けとか肌の色の話で出てくる色素だよ、お兄ちゃん」
「メラニンは髪の毛や肌の色を作る大事なものなんですが生まれたばかりの子猫たちの目にはメラニンがほとんどなくて、そのせいで短い波長の青い光が散乱する現象が起こるんです」
「何だそれ」
短い波長、青い光、散乱。マサキにはさっぱりだ。
「そうしたらどうなるんですか?」
身を乗り出さんばかりの勢いで尋ねたのはプレシアだ。
「子猫たちの目の中で青い光だけがたくさん跳ね返って、それが私たちの目には青く見えるんです。レイリー散乱というんですが空が青く見える仕組みと同じだと聞いています」
「へー。それでガキの頃はみんな目が青く見えるのか」
正直、いまいちわからなかったが空が青く見える仕組みと同じというならそうなのだろう。プレシアも初めて触れる知識に少々興奮気味だ。
「そうなんだ。あたし、初めて知った!」
加えてこのキトンブルーが猫に限ったことではなくほとんどの動物で見られる現象だと説明すれば性根が大変素直な兄妹はまたしても驚きに顔を見合わせていた。
「じゃあ、大きくなったらみんないろんな色の目になるんだ。すごいね、お兄ちゃん」
「ああ。何か面白いな」
その後、善良な兄妹は親切なボランティアスタッフの一日助手となることを決め、地域猫たちの世話に奔走しつつ実に有意義な休日を過ごしたのだった。
「あなたもつくづく暇人ですね」
某月某日。悪運持ちの男をマサキが訪ねたのは男のセーフハウス近くで野良猫が子どもを産んだと聞いたからだった。
「まさか本当に来るとは思いませんでしたよ」
声には出さず内心で呆れてしまう。
キトンブルーの話を自慢げに聞かされたついでにと野良猫の話題を振ってみれば「行く!」の一声。それからわずか数日。魔装機神隊の任務もあっただろうによくも駆けつけられたものだ。
「だって何か面白いだろ」
「成長して本来の目の色になる。ただ、それだけのことでしょうに」
冷然と返せばマサキはたちまち機嫌を急降下させて吐き捨てる。
「はっ。相変わらず面白みのねえ野郎だな」
「単なる事実に面白みなど不要でしょう。あとその下品な口の利き方をいい加減どうにかなさい」
「うるせえよ。人間がひん曲がった奴が人様に指図するんじゃねえ!」
「ねじ曲がった度合いで言えばあなたのほうこそ言えた義理ではないでしょうに」
動物保護団体から借りた捕獲器に野良猫親子を無事保護し、団体への引き渡したのはつい数時間前のことだ。そして、生まれて間もない子猫たちはやはり青い目をしていた。
「あいつらどんな目の色になるんだろうな」
喜色満面。本当に楽しみで仕方がないのだろう。しかし、シュウからすればさっぱり理解できない話だった。色素が足りず青く見えていた目が色素の沈着にともなって本来の色になる。ただそれだけの話ではないか。
「本当に何がそんなに楽しいのですか?」
「何がって、何か面白いだろ」
好奇心が今にも踊り出しそうな勢いだ。まるで宝物を見つけたばかりの幼子ではないか。
「だって、あいつらの目って大きくならないと変わらないんだろ?」
「ええ、そうですね」
「大きくなれたら嬉しいじゃねえか。目の色が変わるってその証明だろう」
「……」
自由とある程度の餌を保証された地域猫や今回の野良猫親子のように運良く保護された例外を除けば自然界では大人になれずに死んでしまう命のほうがずっと多い。両手のひらに収まるほどに小さな命。それがほんの数カ月生き延びた証明。そこにマサキは何を見いだしたのか。
「……本当にどうしようもない人ですね」
問うまでもなく自覚などないだろう。さまつな幸運を心から喜べる善性。シュウにはそこにメリットよりもデメリットしか感じられなかった。これが無辜の民ならば素直にその希有も享受できよう。だが、マサキは違う。彼は魔装機神操者なのだ。その善性はいつか必ずマサキを裏切り、手ひどい方法でその命を危険にさらすだろう。
「何だよ急に黙って。腹でも痛ぇのか?」
「そんなわけないでしょう。あなたでもあるまいに」
「あ? 喧嘩売ってんなら買うぞ」
「まさか。あなた相手に喧嘩を売るほど暇ではありませんよ」
売り言葉に買い言葉。毎度のことではあったが今回はいろいろ運が悪かった。
「ああ、そうかよ。てめぇなんぞもう知るかっ!」
そうしてそのままマサキは飛び出していった。あの様子ではしばらくこちらには来ないだろう。シュウは素直に諦めた。一度へそを曲げた癇癪持ちは取り扱いが難しいのだ。しかし、ほどなくしてそれが最悪の選択であったことをシュウは思い知る。
「あのさ、もうちょっと冷静に会話しなよ。これで何度目?」
仲裁役を押しつけられたテリウスの視線は冷たく鋭い。もはや錐のごとくといっても過言ではないだろう。
「……善処はしましょう」
一週間程度で終結するかと思われた冷戦は実に一カ月半に及び、その間、マサキは一切シュウと口をきかなかった。面会拒否は言うまでもなく通信も完全にシャットアウトである。使い魔経由の代理交渉に至ってはチカが顔を見せた瞬間、即行で叩き出されてしまった。セニアの仲裁すら突っぱねたのだ。結果、いつかと同じくシュウはテリウスに仲裁役兼防波堤役を頼み込む羽目になったのだった。
ちなみにおわびの品は動物保護団体へ寄附する犬猫用のおやつセット一〇箱であった。
終戦協定は無事締結された。
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いつかのどこかであった仲裁役兼防波堤役依頼
「はぁ。つまり、僕に防波堤になれってことだね。仲裁役よりひどくない?」

