「あなたにぴったりの『修行』がありますよ」
実に機嫌良くマサキを呼び出したシュウにマサキは背筋を流れ落ちる悪寒を禁じ得なかった。誰がどう考えてもろくな話ではない。経験則からすぐさま回れ右をしたマサキをしかしシュウは見逃さなかった。そもそも逃げられるはずがないのだ。男は魔術の使い手であった。
「さあ、行きますよ」
「お前の辞書に人権って言葉はねぇのか——っ‼」
シュウの手を振り払い何とか愛機の元にたどり着いたときにはすでに遅く、多層結界によって隔離されたサイバスターはマサキの叫びに応ずることなくただ黙するのみであった。
あまりの仕打ちに打ちひしがれるマサキが拉致された先は地上韓国ソウル市内を流れる漢江沿い「ボーっとする選手権」会場受付であった。
「何て?」
「『ボーっとする選手権』です」
「真顔でふざけたこと言ってんじゃねえっ‼」
全身の毛を逆立ててがなるマサキにけれどシュウは冷静だった。
「落ち着きのないあなたにはおあつらえ向きの『修行』でしょう。それにとても歴史のある大会なのですよ?」
何せ始まりが遠く懐かしきは西暦二〇一四年である。実にとんでもない歴史だ。現役新西暦人であるマサキはいろいろな意味で絶句してしまう。
逃げ出す手段がない以上、前に進むしかない。不承不承に受付を済ませて会場に足を踏み入れればそこにはただひたすらぼーっとする人間が一〇〇人近く。
「……何だこれは」
思わず口を衝いて出る。痛いほどの沈黙の中でただひたすらぼーっとする集団が目の前にいる。それも三桁。もはやホラーである。
「言ったでしょう。ここは『ボーっとする選手権』だと」
観戦者であるシュウはポーカーフェイスながら皮膚の一枚の下では実に楽しげだ。マサキにはわかる。この性悪男は本当に張り倒してやりたいほど性悪なのだ。
「ふざけた光景に見えるかもしれませんが、何もしない時間を作ることは大切なのですよ?」
「そりゃあ、話には聞いたことあるけどよ。それにしたって……」
さすがにこの集団に混ざるのは勇気がいる。だってちょっと怖いのだ。しかも大会の規約で九〇分間もぼーっとしつづけなければならない。適当に「ぼーっと」を装うことも考えたが参加者には心拍数を測るモニターが装着されるためそれも叶わない。気を紛らわせるためのスマホや時計の持ち込みは当然禁止だ。そろそろ泣いていいだろうか。
「希少な体験だと思ってがんばってみなさい」
何より「ボーっとする」という行為は創造性や感情処理、問題解決とかかわりがあるデフォルト・モード・ネットワークと呼ばれる脳の活動を活性化する。相応の恩恵はあるのだ。
「何だよデフォルト・モード・ネットワークって」
「自己に関する思考が働いているときに活動する神経回路のことです」
自分の内面や感情を振り返る時間を持つことは思考や行動を制御する助けとなりうる。そう主張するのは韓国のソウル大学人類学部准教授であるパク・ハンソン精神科医だ。氏の言葉では「このプロセスはストレスに関連するホルモンを減らし、長期的には不安やうつを軽くする効果を発揮することがある」という。
「あくまで発揮することがあるって話だろ。絶対ってわけでもないなら」
「ですが、試す価値は十二分にあるでしょう? 特にあなたのような魔装機操者には。要は九〇分間『瞑想』していればいいだけの話ですからね」
その九〇分がとんでもない苦行なのだ。
「ヤンロンじゃあるまいし……!」
あの炎の体育教師ならこのふざけた大会を聞きつけるなり全力で乗り込んでくるだろう。「心頭滅却すれば火もまた涼し」を地で行く男だ。優勝は無理だとしても準優勝くらいは余裕で勝ち取るに違いない。そして、その「実績」のとばっちりを食らうのは間違いなくマサキだ。
「ぼーっとすることにそんなに価値があるってんならてめぇもやれっ‼」
「ご心配なく。ある程度の心得はありますから」
「マジかっ⁉︎」
せめて道連れをというマサキの執念は呆気なく打ち砕かれる。そうだ。この男はそういう男だった。悔しさのあまりマサキはその場で地団駄を踏む。大人げないのも愛嬌だ。
「命の危険をともなわないのですから精霊界での『修行』に比べれば気軽なものでしょう?」
確かに「乱舞の太刀」を修得したときに比べれば児戯にも等しい——そう言ってしまえるならどんなに良かっただろう。方向性が違うだけでマサキにしてみればどちらも高難度の『修行』であったのだ。むしろ武技が通じない分、正直「ぼーっとする」ことのほうが遙かに困難であった。
「何事も経験ですよ。優勝する義務はないのですから観光ついでとでも思いなさい」
マサキを拉致した挙げ句、当然のように大会参加を強いておきながらシュウはどこまで観戦者だった。本当に腹立たしい男である。
「あとで覚えてやがれよ、この最悪野郎がっ‼」
「暇があれば覚えておきますよ」
マサキにしてみれば全身全霊をかけた怒りの咆哮もすでに慣れっこのシュウにとっては今や子猫の威嚇と大差ない。真面目に受け止めるどころか軽くあしらわれてしまう。
「……っこの‼」
「いいのですか。そろそろ始まりますよ?」
不承不承とはいえ申し込んだ以上は参加せねばなるまい。思い切り眉をつり上げてシュウをにらみつけると額に青筋を立てたままマサキは会場へと駆け去って行く。あの様子ではとてもではないが「ぼーっとする」ことなど不可能だろう。
「遅かれ早かれ経験しなければならないことです」
何せマサキの「任務」は常に命がけなのだ。肉体的な面だけでなく精神的な面においても日々のメンテナンスは必須。そしてそれを維持するための手段は一つでも多いほうがいい。
「でも、現実問題、マサキさんにできるんですか。瞑想なんて高等テクニック」
「まずは一分のレベルから始めていけばいいでしょう。これは好き嫌いの話ではありませんからね」
「その一分がすでに高難度クエストだとあたくしの勘はささやいてるんですけど」
事実、マサキの大会順位は最下位グループのほぼ真ん中であった。
「これはヤンロンにも伝えておくべきですね」
「鬼悪魔シラカワかてめぇはっ⁉︎」
「そうですがそれが何か?」
ヤンロンが主催する「ボーっとする選手権」の恐怖が魔装機神隊を襲うのはこれよりわずか数日後のことである。
いざ、「ボーっとする選手権」!
短編 List-3