南風が集う場所

長編・シリーズ
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第一話 南風が集う場所

 これは世にいう過保護なのではなかろうか。平素はもちろん戦場ではいっそ冷酷なほど辛辣だというのにこちらから住居に押しかけたときは鬱陶しいほどに構ってくる。かと思えば日頃の疲労もあってうたた寝をしがちなマサキのためにリビングとゲストルームの家具一式を密かに買い替える散財ぶり。食に関してもそうだ。
 いくら何でも無駄づかいが過ぎると咎めれば必要経費なので問題ないと一蹴される始末。必要経費とは何だ必要経費とは。あの男は人のことを深窓の令嬢か何かと勘違いしているのだろうか。
「それはないんだにゃ」
「それだけはにゃいわね」
「ありえませんねえ。だってマサキさんですよ?」
 間髪入れずに見事な三重奏トリオがマサキの背中を蹴り飛ばす。
「よくわかった。シロ、クロ。食っていいぞ」
「動物虐待反対! あたくしか弱いローシェンなんですよっ⁉︎」
「シュウの使い魔やってる時点でか弱いもクソもあるか!」
「ご主人様のせいであたくし大ピンチ。これもう立派な風評被害ですよ、風評被害。精神的苦痛で損害賠償請求してやりますわよこんちくしょうド畜生!」
 家主不在をいいことに一人と一羽と二匹は好き勝手に暴れ回る。
 今やラ・ギアスでもっとも有名な犯罪者となった男はその出自も相まって各地にいくつものセーフハウスを所有していた。今現在マサキが滞在している館もその一つであったがこの館は今までとは少し雰囲気が違っていた。
「そりゃあそうでしょうとも。ここはご主人様と母君のためにカイオン大公が用意された館ですから。普段は結界が張ってありますし、本当に一人になりたい時にしか来られませんからね」
「は?」
 絶句。母親のことはセニアたちから聞いていた。父親のことも。そしてシュウ自身からも。幼い時分になぜヴォルクルスと契約したのかその経緯も含めて。
「え……、ちょっと待てよ。だってここ、部屋二つしか……」
「はい。マサキさんが使っているゲストルームは母君ミサキ様のお部屋だった場所です。いつまでも放っておけないとこの機会に改装されたんですよ」
「そんなあっさり片付けられることか⁉︎」
 思わず叫ぶ。父親との確執。地上人への差別と孤独から病み果てた母親。彼女は故郷への帰還を願い一縷の望みを託して我が子を邪神の贄に捧げた。
 それを本人の口から初めて聞いたときは文字通り怒りで目の前が真っ赤に染まった。殴る相手もいないのに飛び出そうとしてシュウに抱え込まれ何度も諭されてようやく落ち着いたのだ。
「あなたが泣いてどうするのですか」
「……うるせぇよ、馬鹿野郎が」
「あなたの善性には本当に感心しますよ。私では到底敵わない」
 まぶしいものを見る目だった。まるで地の底から太陽を見上げるような臆病者の目。
「お前だって別に悪い奴じゃねえだろ。……良い奴でもねえけどよ」
「あなたは本当に素直ですね。ええ、その通りですよ」
「何かムカつくな、お前」
 それでもシュウは母親を恨んではいなかった。少なくともマサキにはそう見えた。シュウが母親に向けていたのは憎悪でも怒りでもない。時間とともに凍りついてしまった憐憫だった。
「あっさり片付けてはいないと思いますよ。強いていえば置き去りにしていたものをもう一度抱きしめる覚悟ができたって感じですかねえ。大事なものを取り戻したとき抱きしめません? だってずっと取り戻したかったんですよ」
「それは……、何となくわかる」
「手放して、でも、怖くて取り戻せなかったから残しておくしかなかった。けれど今はもうその必要がなくなった。そんなところじゃないですか」
「そんなもんか?」
「そんなものですよ。ひねくれ者で執念深くていろいろ引きずって引きずり回してドツボにはまってたりしますけど、一度吹っ切れたらマッハなんですよ、ご主人様。ほんと行動力人類最速!」
 おのれの主人を捕まえて好き放題にさえずるチカにマサキは目をしばたたかせる。さすがあの慇懃無礼な男の使い魔。妙なところで感心してしまう。
「だから、マサキさんがあれこれ悩む必要はないと思いますよ。あの部屋を改装するときだって結構楽しんでましたからね。調度品をそろえるときとか特に。もう趣味全開。必要経費だからって湯水のように金使いやがってあの節度の怨敵が。ちったあ自重しろってんですわよ! 金が天下を回るにも限度ってものがあるんです‼」
「あー……。そういやお前ドケチだったっけ」
「そこはせめて倹約家って言ってくださいません。つっつきますよ!」
「まあ、でも、シュウの金づかいが荒いのは事実なんだにゃ」
「金づかいが荒いというか、あれはねえ?」
「必要経費を盾にして好きなものに好きなだけ金使ってるパターンですね。保有資産の規模が規模なので必要だと判断すればそこそこの優良企業くらいは秒で買収しますよ。もちろんしっかりリターンは計算して」
「秒で企業買収っていくら持ってんだよあいつ」
「金額聞くと真面目に働くのが馬鹿らしくなるから聞かないほうがいいですよ」
 真顔だった。鳥に人間のような表情があるかどうかは微妙な問題であったがそう見えてしまったのだから仕方ない。
 ちなみにマサキ自身、過去に得た剣術大会の賞金や魔装機操者として得た金銭を資産運用に回した結果、その預金額が日本円に換算して七〇億という凄まじい金額に達していたことをここに明記しておく。
「でも、いくら金があるからってよ」
 果たして自分にそれほどの価値があるのだろうか。時折、マサキは恐ろしくなる。仲間から信頼されることは素直に嬉しい。誇らしく思う。けれどそれ以上の感情にはどう向き合えばいいのかわからないのだ。
 自分に「何を」あるいは自分を通して「誰」を見ているのか。物憂げな目を向けられることもあれば懐かしそうなまぶしそうな笑みを向けられることもある。シュウがそれだった。
 まるで小さな宝物を見つけた子どものように自分を見下ろしてくる。一体何がそんなに嬉しいのか意味もなく人を抱え込んでは声も出さずに笑うのだ。正直、見上げているこちらのほうが恥ずかしくなる。
「何考えてんのかほんとわかんねえ」
「あれたぶん本人もよくわかってないみたいですから黙っておいたほうがいいですよ。というか口にすると墓穴直行だとあたくしの勘はささやいてますね」
「そこだけはおれも同意する」
「そうですか。では、直行しますか? 買い物も終わりましたから手も空きましたし」
 それは断末魔も真っ青な悲鳴の四重奏カルテットであった。
「おわあぁっ⁉︎」
「噂をすれば影がさしたんだにゃ⁉︎」
「こんな影ならささにゃくていいにゃ!」
「いやああぁぁッ! 何であたくし、何であたくしだけ逆さ吊りですかご主人様。動物虐待は五年以下の懲役または五〇〇万円以下の罰金ですよ!」
「主人のプライバシーをみだりに吹聴する使い魔に人間のそれも日本の刑法は不要です。あなたはしばらくそのあたりの木にでも吊されていなさい」
「いや、待って。真顔、顔がマジ。マジのガチ。ちょっとマサキさん、ヘルプ。ヘルプミーですよっ⁉︎」
「お、おぅ……。あのよ、チカも別に悪気があったわけじゃねえんだし、その、そこまでにしておいてやれよ」
「あなたもつくづく甘いですね」
 心底呆れたと言わんばかりに肩をすくめるとシュウはチカを解放する。
「チカから余計なことを聞いたようですがあなたが気にすることではありませんよ」
「余計って……。でも、あの部屋はお前の!」
「ええ、とても大切な場所です。だからすべて入れ換えることにしたのですよ。もうあの部屋は過去を抱え込むための場所ではない。あなたの部屋ですからね」
「そ、……れって、ん? あれ?」
「そのままにしておくことも考えましたが内装も調度品も女性向けのものですから、あのままでは使いづらかったでしょう?」
「あ……、ああ、うん」
 何やら小っ恥ずかしいことを言われた気がするのは気のせいだろうか。
「ゼロ距離からクソデカ感情の右ストレート食らってますけどマサキさん思考追いついてます?」
「あれは追いついてないんだにゃ」
「そもそもにゃにを言われたのか理解できてにゃいっぽいにゃ」
 口をぽかんと開けて立ち尽くす客人をよそに家主の機嫌は今日も上々であった。
 
 別棟には常に種々の花々が咲き乱れる小さな庭がある。中央には大輪を模した花びら型の噴水があり皿は上中下段の三段。上段の中央には風の精霊王であるサイフィスを象った石像が建っている。
 その庭はある男がまだ健やかだった妻のために造らせた数少ない贈り物だった。そして、庭を臨む部屋こそがこの館の女主人の部屋であった。
 南風が集う場所。
 常に陽の光と花々の芳香に満たされたその部屋を彼女は嬉しそうにそう名付けた。子ども心にも美しいと見ほれるほどの微笑だった。
「私の次にこの部屋の主になるのは誰かしら? ねえ、とても楽しみだわ。シュウ、あなたは誰を連れてくるのかしら」
 そう笑う彼女は美しかった。
 この世の誰よりも。

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