第二話 今、南風が吹
一年を通して種々の花々が咲き乱れ暖かな南風と陽の光がきらめき歌う白亜の館——その最奥。
「私の次にこの部屋の主になるのは誰かしら? ねえ、とても楽しみだわ。シュウ、あなたは誰を連れてくるのかしら」
そう笑う母は美しかった。
けれどそれから数年とたたずして彼女は心身を病み、やがて悪夢の日は訪れる。
「不思議なものですね」
母の一縷の望みは邪神の呪縛となってシュウに巣くい、ついに王都壊滅という現実をともなって発芽した。結果、シュウは背教者という大罪の汚名を終生背負うこととなった。
悲嘆はなかった。汚名に対する屈辱も憤怒も殺意も。どうでもよかったのだ。じりじりと自我を浸食されていく恐怖とおのれの無力さに対する情けなさに比べればそんなものは些事でしかなかった。
それから数々の厄災を経てついに【神々の黄昏】は訪れる。
「あなたが勝てる確率は万に一つもありません。なのになぜ、そうムキになってかかって来るのです?」
「確かにそうかもしれねえ……。けど、それじゃあおれ自身が納得できねえんだよ!」
「やれやれ。そんなくだらないプライドのために命を落とすつもりですか。愚かな……」
そう愚かだった。自分は一体彼の何を見ていたのだろう。
「……おれは……もう後悔したくねえ。あんな想いは……、あんな想いはもうたくさんなんだ‼」
これほど未熟な少年をなぜサイバスターは選んだのか。出会ったときから納得できなかった。恐れを知らず幼さゆえの高慢で夢破れたものを踏みつける。一時は憎悪すら抱いたその真っ直ぐな気性。
「シュウ……、バカな、ヤツだったぜ……。くそっ‼」
けれど結果として敗北を喫したのはシュウだった。そして、シュウの命を絶った張本人である彼は——マサキは泣いていた。
「どうしてあなたは泣いてくれたのでしょうね?」
今でも聞けずにいる。聞けば傷つけるとわかっているからだ。もとより彼は善性の人間でありその性根はとても素直だ。正直、シュウからすれば危なっかしくて仕方がない。
「まあ、予想はつくのですが」
腹が立ったからだと彼は言うだろう。悔しかったからだと口をへの字に曲げるに違いない。
彼は誰かのために涙を流せる人間だ。心の底から激怒し臆することなく自ら脅威の矢面に立つ。とても希有な人間だった。
だからこそあれは自分にとって正しく僥倖であったのだ。事実、彼は一度度ならず二度も自分をあの邪神から解放してくれた。
「この館には部屋が二つしかないのですよ」
振り返れば視界に飛び込んでくる新緑の髪。今まで案内してきたセーフハウスとは趣が違うからだろう。ものめずらしそうにきょろきょろとあたりを見回す様はまるで新しい「家」に戸惑う子猫そのものだ。
「ですから、今日からここがあなたの部屋ですよ」
招き入れた途端、マサキの目が大きく見開かれる。
「……なあ。何かスゲぇ広くねえか、ここ。ほんとに大丈夫か? 任務でテロの鎮圧に行ってたから結構汚れてんだけど。テーブルとかもいろいろ高そうだしよ」
シュウとしては内装も家具も調度品もすべて相応のものをそろえたつもりであったがマサキの目には思いのほか豪奢に映ったらしい。
「金銭感覚も含めてご主人様の物差しでマサキさんを測るのは無理ゲーだと思いますよ」
口汚い使い魔のささやきは無視しておく。
「ええ。気にする必要はありません。あなたの部屋ですからね」
かつて白亜の館の主であった母が微笑んでいた部屋。
主を失ったあの日からすべての窓は固く閉じられ、陽の光も花々の芳香漂う南風も何もかもを拒絶して凍りついてしまった——南風が集う場所。
けれど長い長い冬は今日で終わる。
新たな風が吹いたのだ。
悲嘆と停滞を吹き飛ばす新緑の疾風が。
風の精霊に愛され自身もまた風のごとく世界を駆ける。風の魔装機神サイバスターの操者——マサキ・アンドー。彼以外にこの館の新たな主を務められる人間がこの世のどこにいよう。
「庭があるのか?」
「ええ。小さなものですが定期的に手入れはしています。見てみますか?」
閉じられていた窓を開ければ懐かしい風が頬をなでていく。
陽の光と花々の芳香が混じり合った南風。そして、足下から吹き上がる土と若草の匂い。
「きれいだな」
息をのむ音が聞こえる。お気に召したらしい。
「それに良い風だ」
「あなたに吹く風ですからね」
「何だそれ?」
「言葉通りの意味ですよ」
今、凍りついた白亜の【世界】は息を吹き返した。
「彼が私の唯一です」
そう、ささやいた先には。
