第四話 Precious Stone
「なあ、葉っぱから淹れる紅茶ってそんなにうまいのか?」
素朴な疑問だった。紙パックやペットボトルあるいは粉末タイプのインスタントしか飲んだことのないマサキにとって、ほんの数十グラムの茶葉に何千あるいは何万もの価値があるとは到底思えなかったのだ。
「そういえばあなたは紅茶よりコーヒー派でしたね」
「あっちのほうがかんたんだからな。粉とお湯さえあればいいし苦いと思ったら適当に砂糖かミルクを入れればいいからよ」
大ざっぱなマサキらしい。一応、気に入ったメーカーはあるとのことだが基本的にはインスタントで間に合うそうだ。
「味に関しては好みがありますから一概にはいえませんが、高価なものには高価である相応の理由があるのですよ。実際に飲み比べてみるのが一番でしょうが環境次第で驚くほど味に違いが出てきますからね」
「そんなに違うのか?」
「ええ。王宮の外に出て初めて市販の紅茶を口にした時は衝撃でしたね」
「……そんなにまずかったのか?」
「まずいというかそれ以前に雑味がひどかったのですよ。香りも青さが強くわずかながら土に近い匂いもして舌触りも悪かったものですから、正直、芝生を舐めている気分でしたね。果たしてあれを紅茶の味といっていいのかどうか」
しみじみと述懐すればまさかここまで細かな感想を述べられるとは思っていなかったのだろう、気づけばマサキはぽかんとした顔で固まっていた。
「何か……、お前、スゲぇな」
ほんの一口含んだだけでそれほど詳細な情報が出てくるなどマサキには想像もつかない。
「趣味も兼ねていますから自然と詳しくなっただけですよ」
シュウにとっては当たり前のことであったが飲み慣れないマサキには相当な衝撃だったらしい。
「それにしてもめずらしいですね。今まで特に興味などなかったでしょう?」
「いや、何ていうかさ。お前、ときどきスゲぇ嬉しそうに飲んでるからよ。どれくらいうまいのかなって」
「ああ、なるほど」
実際は紅茶ではなく向かい合ってコーヒーを飲んでいる相手に理由があるのだがシュウはあえて言葉にしなかった。口に出せば性根が素直なこの青年は瞬く間にゆで上がってしまうだろう。
「そうですね。紅茶自体の味を堪能するのであればストレートで飲むことをおすすめしますが、茶葉によっては苦みや渋み、酸味などが強く出るものもあります。まずはミルクティーで慣らしていくのが無難でしょう」
身近に紅茶を好んでいる人間がいないかと問えばマサキは素直に妹の名を上げた。
「ゼオルートのおっさんはコーヒー派だったけどプレシアはよくミルクティー飲んでるな。でも、嗜むってほど本格的じゃねえ」
「日常的に飲むのであればそれで十分ですよ。なら、最初はプレシアにやり方を聞くのがいいでしょう」
紅茶は一つの憩いだ。格式を誇示するための道具ではない。
「リーフで淹れようとすればいろいろと準備するものもありますが、自宅で気軽に飲むのであればティーバッグで十分です。プレシアからどこのメーカーか聞いたことはありますか?」
「えっと……、マンガラム何とか?」
「ああ、マンガラムプーボンですか。老舗の紅茶専門店ですね。価格帯が広く安価ながら一定の品質を維持しているとても信頼できるメーカーですよ。一般の食料品店でも取り扱っているはずです」
「毎回すごい大量に買ってくるんだよ。一箱に一〇〇個くらい入ってるやつ。でも、テュッティとかミオが来た時にも出してるからあっという間になくなっちまってよ」
プレシアが好んで買うのは香りづけされたフレーバードティーで特にアップルティーがお気に入りだった。
「あなたは香りにこだわりはありますか?」
「考えたことねえな。でも、甘すぎるのは苦手だと思う」
「では、ノンフレーバードティーがいいでしょう。フレーバードティーは甘い香りが多いですからね」
特に複数のフレーバーをブレンドしている場合、組み合わせ次第ではまれにフレーバー同士が衝突を起こしてしまうことがあるのだ。
「まあ、これに関しては個人差によるところが大きいのですが」
本来であれば違和感なく溶け合うはずの香りが互いの個性が強いばかりにそれぞれ独立したまま嗅覚を刺激してくるのだ。その対立と不調和は時に不快感すら呼び起こす。
「でもなぁ……」
「どうかしましたか?」
「いや、おれがいきなり紅茶飲みたいとか言いだしたらミオとかベッキーあたりにからかわれるんじゃねえかって……」
「でしたら、迷子になった先でおいしい紅茶をごちそうになったとでも言っておきなさい。嘘ではないのですから」
「まあ、確かに嘘じゃねえけどよ」
「それに、あなたが紅茶に興味を持てばプレシアもきっと喜ぶでしょう」
「そんなもんか?」
「ええ、きっと」
私がそうですから、と内心で微笑みながらシュウは王都の食料品店で扱っている紅茶のリストをマサキに持たせたのだった。
シュウの言葉通り紅茶に興味を持ったマサキにプレシアはたいそう喜んだ。
「お兄ちゃん、新しい紅茶出てたよ。今度はあまり苦くないからストレートでも飲みやすいって!」
「へえ、何か前より紅茶の扱い増えたよな、あの店」
「お兄ちゃんがよく買いに行くからだと思うよ」
「そういうもんか?」
「そうだよ」
いい加減、他者に対する自分の影響力を自覚してくれないだろうか。魔装機神サイバスターの操者という肩書きは日常生活においても絶大な影響力を振るうのである。
「そういえば、プレシア、最近ミルクティー飲まなくなったよな」
「うん。前にお兄ちゃんが買ってきてくれた紅茶あったでしょう。あれストレートだったけどすごくおいしかったの。だから、他の紅茶も飲んでみたくなっちゃって」
「……さすが元王族セレクト」
食後のコーヒーが食後の紅茶に取って代わられた頃、シュウからストレートの練習にと持たされたとある茶園の紅茶。あれは確かにうまかった。
コクはもちろんしっかりとした渋みも苦みもあった。以前であれば間違いなく敬遠したであろう。けれどそれは味を完成させるために必要不可欠なパーツだった。むしろこれらのうちどれか一つでも欠けばこの茶葉はその歴史と茶園の名を汚すだろう。そう確信してしまえるほど自分の舌が変化していたことに我がことながらマサキは驚きを隠せなかった。
「そりゃあ高くもなるだろうよ」
茶葉の希少性、収穫時期、製法、ブレンダーのスキル。茶葉によってまさかここまで差が出るとは。シュウの言葉は正しかった。
その日、マサキが訪れたのはシュウのセーフハウスの一つ。元はシュウとその母親のためにカイオン大公が用意した白亜の館だった。
「これ、結構うまいと思う」
マサキがシュウに差し出したのは老舗の紅茶専門が扱うビンテージ品。生産量が少なく店頭に並ぶこともまれな一品だ。
「気がついたらプレシアと一緒に紅茶飲むのが当たり前になっててよ。いろんなとこのを飲んだんだけどメーカーとか茶園? とか詳しいことはわからねえから店の人に任せてるんだよ。それでお前が飲みそうなやつがないかって聞いたらこれ出された。プレシアと一緒に飲んだけどうまかったと思う。だから、やるよ」
「そういうことは相手の顔を見て言うものですよ」
そっぽを向いたまま耳だけ真っ赤にしてまくし立てる様の何と可愛らしいことか。
「でしたら卒業試験を兼ねてあなたに淹れてもらいましょうか」
「卒業試験って何だよ」
「この件に関してあなたは私の【生徒】のようなものでしょう?」
道具は一通りそろえてある。
「デジタルスケールやキッチンタイマーもありますから一グラム単位で確認したいなら使って構いませんし、この茶葉の抽出時間は四五秒から一分程度ですから砂時計よりキッチンタイマーのほうが失敗しないでしょう」
「よんじゅうごびょう」
どうやらそこまで細かく見てはいなかったようだ。
「……失敗しても笑うなよ」
「まさか、楽しみにしていますよ」
少し遠目から様子をうかがえば抽出用とサーブ用ポットを並べて迷いなく茶葉を量っていく。もちろんカップとポットを温めることも忘れない。抽出時間に関しては素直にキッチンタイマーを使うようだ。
「ずいぶんと慣れたようですね」
「リーフで淹れるようなってからプレシアがポットとかカップとかいろいろ買ってくるようになってよ。二人で使いこなそうって話しになったんだ。あとケーキとかクッキーのレパートリーも増えたぞ」
想像以上に紅茶のある生活を満喫しているらしい。
兄妹そろってキッチンに立ち和気あいあいと作業にいそしむ。時に銘柄やフレーバーでもめることもあるらしいが大抵はマサキが折れているそうだ。
「目に浮かびますよ」
それはとても幸せな光景だった。硝煙と土煙、怒号と罵声と断末魔。理不尽の集大成——戦争からはほど遠い。遠く彼方にあるべき幸せの日常。
「ほら、できたぞ」
差し出されたティーカップ。
水色は薄くオレンジに近い。若々しい香りは夏の青空の下で生命を謳歌する新緑の息吹そのものだ。
「……おいしいですね」
正直な感想だった。
「世辞じゃねえよな?」
「そんな無意味なことはしませんよ。驚きました」
「ならいいけどよ。やっぱりそれスゲぇうまいんだな」
「ええ。あなたもおいしいと言っていたではありませんか」
「いや、確かにそうなんだけどよ、お前スゲぇ嬉しそうな顔してるじゃねえか。おれもうまいとは思ったけどお前ほどじゃねえよ」
「ああ、そういうことですか。それはそうでしょうね。実際、私には何よりおいしいですから」
いとおしい人、慕わしい人。あなたが手ずから淹れてくれたものがどうして普段のそれと同じであるものか。
「そういえば、『黄金の滴』って何なんだ?」
「カップに注いだ最後の一滴のことですね。紅茶はゴールデンドロップが一番おいしいと言われているのですよ」
「へえ、それで『黄金の滴』なのか。考えたこともなかったな」
「ええ。ですが、人によっては『黄金の滴』よりもっと価値があるでしょうね」
それはそれは『得がたい貴石』のように。
「さすがに大げさじゃねえか?」
「個人の感想ですから特に大げさではないと思いますよ」
事実、このカップに注がれた最後の一滴には黄金以上の価値があったのだから。
「次もどうかあなたが淹れてくださいね」
「自分が淹れたほうがうまいのに、お前ときどき変な奴になるよな」
不思議そうに首をかしげながら、けれどマサキは断らなかった。十分だ。
人生の潤いと幸いは多いこに越したことはないのである。
