夏の庭-前日譚

夏の庭
夏の庭長編・シリーズ
第三章 夏空とヒマワリと入道雲と

 そのヒマワリ畑は気難し屋の貴族が集う辺境の避暑地近く小さな村のすぐ正面にあった。それは見事なヒマワリ畑であったが辺境での避暑に飽きた貴族たちが長年仕えてきた村人を見捨て、村を廃村に追い込んで以降は誰からも忘れ去られたままであった。
「…………どこだここは」
 【方向音痴の神様】が現れるまで。

「それで偶然見つけた場所を何の情報もなくただ闇雲に探していたと?」
 テレビ画面いっぱいに広がる黄金のヒマワリ畑。
「すごいね、お兄ちゃん。あたし、行ってみたい‼」
 めったに自分の希望を口にしないプレシアがねだってきたのだという。しかし、名所といわれる場所は年中多くの観光客で溢れ返っている。マサキは魔装機神サイバスターの操者だ。今や世界的有名人となってしまったマサキがそんな観光地に顔を出せばパニックは必定。ならば【認識阻害の魔術】でも使えばいいという話だが生憎マサキは魔術に関してはからきしで、仮に【認識阻害の魔術】を誰かにかけてもらったとしても万が一道中で術が解けてしまったらそこでご破算なのだ。
「だからさ、誰もいないところにヒマワリ畑ねえかなって考えてたら、いつだったか廃村みたいなとこにヒマワリ畑あったよなあって思い出してよ」
「それで、紛争地から戻った直後で疲労困憊だったにもかかわらずサイバスターで飛び出し、ラ・ギアスの上空を何時間もさ迷った挙げ句ついに昏倒して今の今まで気絶していたと?」
 あなた馬鹿ですか。何とも辛辣な一言であったがさすがに今回は無茶をした自覚があるのでマサキは噛みつくのをぐっとこらえた。
「あなたを見つけたとき、私がどれだけ驚いたと思うのです」 
 上空に静止したまま微動だとしないサイバスター。しかも、何度通信を入れてもなしのつぶて。さっと全身から血の気が引いた。とにかく近くの岩陰までサイバスターを牽引し強制的にコクピットを開けてみれば目当ての人物が床に倒れていたのだからその場で声を上げなかったのが不思議なくらいだ。あとで聞けば慌てて飛び出してきたので使い魔のことは忘れていたと言うではないか。
 脈を取りただ気絶しているだけだと判断するとシュウはいったんマサキを連れてグランゾンのコクピットに戻った。
「あなたときたらどうしてこうも次から次へと」
 目の下のくまを見ればろくに睡眠も取れていなかったのだと察しがつく。こんな体調でよくもサイバスターに乗ろうとしたものだ。一体何をそんなに急いていたのか。
「セーフハウスに戻るにしてもサイバスターをどうするべきか頭を悩ませていたところでようやくあなたが目を覚まして。事情を尋ねようとしたら開口一番がヒマワリ畑! でしたからね」
「ごめんなさい」
 さすがに申し訳なくなったのか殊勝にも自ら謝罪の言葉を口にする。驚天動地レベルの素直さである。
「あなたがこうも素直に謝るとは……。本当に何をそんなに急いていたのですか?」
「誕生日」
「誕生日?」
「プレシアの誕生日だよ。去年はバゴニアやらシュテドニアスやらヴォルクルスやらで何もできなくてよ。今年もたぶん任務や何やらできっと流れるだろうから、もうおれの誕生日とまとめてやっちまおうって話になって……。せめてできるだけのことは叶えてやりたくてよ」
 さすがに申し訳なく思ったらしい。
 血が繋がらずとも彼にとってプレシアは大事な妹だ。養父であったゼオルート亡き今は唯一の家族でもある。
 何かをねだることもわがままをいうこともまれな妹の願いとなればマサキが奮起するのも当然のこと。
「ですが、それであなたが倒れては本末転倒でしょう。結果としてあなたを倒れるまで追い込んだことを誰より悔やむのは彼女ですよ」
「それはわかってるんだけどよ……」
「だいたい地図が読めるにもかかわらず道に迷うあなたが記憶だけを頼りにヒマワリ畑を探すなど無謀にもほどがあります」
 事実なだけに反論する余地がまったくない。ぐぬぬと唸るマサキにシュウはやれやれと肩をすくめて言った。
「とりあえず、覚えている限りの情報を聞かせてください。特徴的なものがあれば推測しやすくなる」
「へ?」
「今のままではまた無茶をするでしょう。なら、さっさと片付けたほうがいい。とりあえず、いったん近場のセーフハウスに移動しましょう。あなたは少し休むべきです。セニアには私から連絡を入れておきますよ」
 硬直するマサキを片腕で抱えたままシュウはセーフハウスへと進路を取る。そして、マサキは到着と同時にゲストルームへと放り込まれたのだった。

「ナウラ村?」
 さすが天才と称賛すべきなのかマサキの数少ない証言からシュウはそれらしい廃村をあっさり突き止めてみせた。
「……おれの苦労」
「あなたのそれは苦労ではなく徒労です」
 マサキの恨みがましい視線をシュウは一蹴する。
「一〇年くらい前まで村の近くに貴族の避暑地があったのですよ。避暑地自体は数百年前からあってナウラ村は避暑地の貴族に仕える使用人たちが起こしたようですね」
 場所が王都から遠く離れた僻地ということもあって村の経済の大半は避暑地の貴族たちに依存していた。しかし、貴族たちが避暑地を放棄したことで村は荒れあっという間に廃村になってしまったのだ。
「廃村となってもう数年はたっていますからヒマワリ畑が残っている可能性は低いでしょう。けれどあなたが見つけた廃村の可能性も排除できない。行きますか?」
「行くに決まってんだろ」
「では、もう一休みしてからにしましょう。今回はグランゾンだけで行きます。その体調でサイバスターの操縦など論外ですからね」
「お前、ちょっと過保護じゃねえか?」
「その台詞は過去の醜態を振り返ってから言いなさい」
 数時間後。果たしてマサキの期待は叶えられた。ナウラ村こそマサキが見つけたヒマワリ畑の廃村だったのだ。
「……驚きましたね。人の手を失ってなおこれほどとは」
 雲立つ夏の青空の下で風に揺れるのは黄金の海原だ。それは圧倒的ないのちの賛歌だった。
「でも、さすがに雑草とかスゲぇな」
「人の手が入っていないのですから当然でしょう」
「草むしり苦手なんだよなあ」
「……正気ですか?」
 まさかこのヒマワリ畑を一人で手入れするつもりなのか。
「そんなわけねえだろ。手前だけだよ。さすがに一人で全部は無理だ」
 てっきり手伝えと言われると思っていたシュウはまじまじとマサキの顔を見返す。
「まあ、その……。食いもんとか草抜きとかいろいろ運ぶのは手伝ってもらうけどよ」
 言っていて恥ずかしくなってきたのか気づけば口をへの字に曲げてしまっていた。
「でしたら道具はこちらで用意しましょう」
 それからしばらく休みを見つけてはマサキはシュウを連れてヒマワリ畑の草むしりにいそしんだ。普段は庭仕事から逃げ回っているマサキだったが今回は目的があるからか泥まみれになりながらも少し楽しそうだった。
 そうしてヒマワリ畑に通うこと十数回。ついに見栄えの良いヒマワリ畑ができあがった。
「まあ、手前のほうだけなんだけどよ」
「あなたにしては十分でしょう。そもそもあなたから贈られたものであれば何であれプレシアは心から喜んでくれますよ」
「それ本人にも言われた。……でもなあ、おれだって一応、兄貴だしよ」
 少しくらい格好をつけたいではないか。
「なら、普段からもう少し体調管理に気をつけるのですね。あなたはいつも無茶が過ぎる」
 プレシアの心労の大半は喧嘩っ早く無茶をしがちなマサキの健康だ。兄の威厳を復権するならまずはここから改善しなければ。
「そんなことはわかってらぁっ!」
「期待していますよ」
 またまたへそを曲げてしまったマサキをシュウは当然のようにかき抱いたのだった。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん、すごいよ! すごい‼」
 その次の週、ナビゲーターを妹に任せマサキはヒマワリ畑を訪れた。
 到着するなり歓声を上げるプレシアにマサキは連日の疲労が一瞬で吹き飛んでいくのを感じた。軽い熱中症になりかけもしたがそれが今すべて報われたのだ。
「お兄ちゃん、動画撮ろうよ。写真もいっぱい。そうだ、今度はみんなで来よう。ピクニック。あたしたくさんお弁当作るから!」
 もうおおはしゃぎだ。
 ヒマワリばかりの写真を何十枚と撮った。互いの写真も。二人一緒の写真はシロとクロの担当だ。動画ももちろん撮った。シロとクロに任せた場面はどれもブレてしまっていて残念だとマサキもプレシアも大笑いだった。
 昼食はプレシアが作った弁当をヒマワリ畑の隣にある木陰で食べ、その後は二人寄り添って午睡に耽り気づけば夕方近くになっていた。
「すごく楽しかったよ。ありがとう、お兄ちゃん!」
「ああ、来年も楽しみにしてろよ」
「うん‼」
 平和な一日だった。
 いつの間にか遠い彼方になっていた在りし日の日常。それを一瞬だけ取り戻せた気がした。
「帰ろう、お兄ちゃん」
「ああ、帰るか」
 かつてにとっての非日常、そして今の自分たちにとっての日常へ。

 後日、律儀に紅茶専門店の限定品と当日撮った写真・動画を持参して現れたマサキをシュウは上機嫌で出迎えた。
「これはまたずいぶんとはしゃいだようですね」
「まあ、誕生日だしよ。それにプレシア、スゲぇ喜んでただろ?」
「ええ。満面の笑みとはああいうことを言うのでしょうね」
 もっともシュウから見ればマサキも相当はしゃいでいたのだが。
「ところであなたの誠意はそれだけですか?」
「は?」
「あなたばかりはしゃいでいるのは少しずるいと思いまして」
 記念すべき一組目は兄妹水入らずにと譲ったのだから次は陰の功労者である自分の番だろう。シュウはこれを待っていたのだ。
「え……、と。お前、何度も行ってるよな?」
「ええ、あなたを手伝いに。ですから、今度はゆっくりしたいのですよ」
 食事はこちらで用意する旨を伝えればマサキはあっさり快諾した。

 目を焼くほどに鮮やかな夏の青空と入道雲。そして視界いっぱいに広がる黄金の海原——それを背に立つ新緑の髪の青年。
 この世の生命を何より謳歌する夏の情景。
「記念にやる」
 そう言って手渡された数枚の写真。
 次の任務はおそらく長期になる。だが、それが終わりさえすればまとまった休みが取れるから、と。
「夢のようだ」
 この情景の中に自分が並び立てるという事実が。
 一日千秋。だが、研究に没頭すればきっとあっという間だろう。ちょうど行き詰まっていたレポートが一つあったはずだ。今なら光明を見いだせる気がする。
「あなたにはやはり青空が似合う」
 写真の中の青年は少し恥ずかしそうに笑っている。それがよりいっそう彼を年相応に見せて知らず口許が緩む。
「夢のようだ」
 本当に夢のようだった。

そう、いっそすべてが夢であればよかったのに

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