夏の庭 – 表

夏の庭
夏の庭長編・シリーズ

 ラ・ギアスには精霊王を祀る神殿がいくつか存在する。その神殿は風の精霊王サイフィスを祀っていた。山脈から吹き下ろす風のたまり場に造られたからかそこはいつしか「風の谷」と呼ばれ多くの信仰を集めていた。
「どうせ葬式やるならあそこがいいな」
「お兄ちゃん⁉︎」
 ちょっと散歩に出てくる、くらいの気軽さで物騒なことを言い放つマサキにプレシアは何度顔をしかめただろうか。
 プレシアとて魔装機神隊の一員には違いなかったが魔装機神操者であるマサキとプレシアとでは背負うものの重さが違いすぎた。
「悪ぃ、でも冗談で言ってるわけじゃねえんだ。自覚はあるんだよ。おれは長生きしねえ。ろくな死に方もしねえだろう。だから、まあ。葬式くらいはわがまま言わせてくれや」
 真っ向から否定したかった。けれどできなかった。兄の言葉は事実であった。
「じゃあ、せめてあたしがお嫁に行くまでは長生きしてよ」
「当たり前だろ。それまでは意地でも生き残るぞ、おれは! お前がつまんねえ男にでも引っかかったらおれはゼオルートのおっさんにどんな顔して報告すりゃあいいんだよ」
 拳を作って力説するマサキにプレシアは声を上げて笑った。出会った時はそうでもなかったが父が死んで以降、マサキは一気に過保護になった。ちょっと鬱陶しいと思うこともあったがそれ以上に嬉しさと温かさで泣きたくなることすらあったのだ。血が繋がらずともマサキはプレシアにとってこの世でたった一人の自慢の兄だった。
「……国葬、ですか」
 告げられた決定は妥当なものだった。マサキは国の英雄であると同時にラ・ギアスの平和と未来を担う「世界」の英雄でもあったのだ。その葬儀を内輪だけの簡素なものにしていいはずがない。
「でも、それが終わったら……!」
 あの場所でマサキが望んだ「風の谷」で身内だけの葬儀をやり直したい。プレシアは食い下がった。プレシアだけではない。それは残された魔装機神隊の総意だった。そして根気よく説得を試みた結果、国葬の前日に彼らの願いはようやく受け入れられたのだった。
 用意された棺はそれは豪奢だった。死者を弔うためというよりも飾り立てるための玉座。防御魔術を幾重にもかけられた超硬化ガラスの蓋と棺を飾る種々の装飾がそれを雄弁に物語っていた。そして棺に敷き詰められた白百合。防腐魔術を施されたそれは魔装機神操者としてマサキの誇りに捧げられた純白の共連れであった。
 傷はすでに塞がれていた。死に化粧も終えたその姿は生前と寸分違わず今にもあくびをしながら起き上がってきそうだった。
 棺の白百合だけでなくマサキ自身にも腐敗防止のための魔術をかけたと知らされたとき真っ先に激昂したのはヤンロンだった。目的は知れてる。「尊い死を遂げた英雄」の威光を彼らは未来永劫利用するつもりでいるのだ。
 術を解除しようにも十重二十重にかけられたそれをほどく術はなく、マサキの亡骸はヤンロンたちが死した後も独り世界に取り残されることとなった。
 国のためラ・ギアスのためと自らの英断を誇る政府の要人たち。怒りでまぶたの裏が燃える。だが、不満の声を上げる者はいなかった。口を開けた瞬間、憎悪の雄叫びが堰を切ったように溢れ出るとわかっていたからだ。
 国葬は王都最大の規模を誇るエレメス大聖堂で執り行われることとなった。大聖堂の周囲にはラングラン国民だけでなく魔装機神隊と縁の深い他国の要人も多く参列していた。
 葬儀はつつがなく進行し、最後に魔装機神隊の面々が手にした白百合を棺に収め、無念ながらも棺を閉じようとした刹那、聖堂の一角が突如吹き飛び、首をかき切られた兵士の軀が飛散する。
 まさかヴォルクルス教団の刺客か。兵士の無惨な死に様に誰もが武器を構えれば現れたのは端正な面差しの青年であった。
「え……、シュウ?」
 常日頃の言動とはかけ離れた暴挙に非難を浴びせようとして正面から見据えればそこには人の感情を放棄した人ならざる者の顔があった。
「どきなさい」
 背教者乱入の非常事態に重装備の兵士たちが一気に聖堂内へ押し寄せる。たが、大罪人は微動だにしない。有象無象の障害などはなから眼中にないのだ。
「これはどういうことですか?」
 この茶番はなんだ。死してなお自分たちの主義主張のために死者を——彼を利用するつもりなのか。
「どきなさい」
 それは最後の慈悲だった。だが、兵士たちは当然のように大罪人へ刃を向ける。それが彼らの務めであった。ゆえに惨劇は起きた。
「——そこをどけと言っている‼」
 一閃。疾風の刃は兵士たちの四肢を一片の慈悲なく切り落とした。無数の首が宙を舞い鮮血をまき散らしながら数十の手足が床に踊る。その場にいた魔装機神隊のメンバーを除くすべての人間が一瞬にして屍山と化したのだった。
「ひっ⁉︎」
 あまりの非道に誰もが後ずさる。床一面を血で染めそこかしこに死体を積み上げながらシュウは眉一つしかめず棺に歩み寄るとその場に片膝を着き棺に手を入れる。
「お兄ちゃん⁉︎」
 悲鳴が上がる。兄の亡骸に危害を加えられるのではと恐怖におののく彼女の悲鳴は、しかしすぐに困惑に染まった。
「……え」
 もはや目を開けることも息をすることもない兄の亡骸をかき抱いている。操られていたとはいえ父を死に追いやった男が。一時は兄と刃を交えていた男が。
 なぜ、どうして。その声なき慟哭は何だ誰のためのものだ。なぜ、どうして!
「お兄ちゃんに触らないで⁉︎」
 父を奪っておきながら今度は兄を——その亡骸すら奪うのか。無我夢中で飛びかからんとするプレシアを背後からリューネが押さえ込む。
「だめだよ、プレシア。殺される!」
 その言葉に嘘はなかった。うつむけていた顔が上がる。そこに感情はない。ものを見る目だ。ただそこにある路傍の石を見る目。近寄れば殺される。
 誰もが恐怖に居竦むもそれは一瞬だった。例えようのない激昂がそれに勝ったからだ。
「マサキは返してもらいます」
 そう、当然のごとく言い放ったのだ。目の前の男は。
「あなた方には仲間として家族としての時間があった。けれど私にそれはない」
 だからせめて亡骸だけでも「返して」もらう。そうでなければあまりにも不公平だ。
「ふざけないで。お兄ちゃんを返して。あんたなんかに、あんたなんかにっ!」
 家族の時間。プレシアにとってマサキとの時間はまだほんの数年しかない。父を失った絶望を共に乗り越えた兄という新たな希望。絶望の先にそれがあったからこそ乗り越えられた。希望の先にある絶望のために奮起する人間がこの世のどこにいる。
「返して、返してよ。お兄ちゃんを返して。返せええぇ——っ‼」
 瞬間、聖堂の壁が崩れ落ちる。現れたのは巨大な剣とそれを手にした紺青の右手。
「ネオ……、グランゾン⁉︎」
 今の今まで気づかなかったのは【隠形の術】で姿を隠していたからだろう。
「ご主人様、お早く。マサキさんも!」
「待て、マサキを返せ、シュウっ‼」
 だが、数人が追いかけるも壁を裂いて新たに現れた紺青の左手がそれを阻む。
「いやあああぁ——っ、お兄ちゃん!」
 家族を奪われた少女の慟哭が屍山血河に響きわたる。一方的な略奪に抗う術は誰にもなかった。
 粛然たる国葬を背教者が穢し、あろうことか英雄の亡骸を略奪した。それは王都壊滅以上の衝撃となってラングランを震撼させた。
 口さがない連中はやすやすと英雄の亡骸を奪われた警備の怠慢をそしり、また仲間の亡骸を守れなかった魔装機神隊のふがいなさに憤った。
 亡骸を奪ったのが背教者とあって好奇と悪意が入り交じった憶測はラ・ギアス中に不穏の種をまいた。
 外法の道具にされたのでは。いやいや、邪神の生贄に捧げられたに違いない。気の触れたコレクターが密かに買い求めた。どこぞのテロリストが交渉材料のために行方を捜している。英雄の亡骸を奪い返せば国から莫大な報奨金が出るらしい。
 好き勝手に脚色され日を追うごとに歪んでいくそれを止める術は誰にもなく、ただ無力に唇を噛みしめるのが精一杯であった。
「あたし、精霊界へ行く」
 大聖堂での一件から数日。極度の精神的疲労から床に伏せていたプレシアは起き上がるなりそう言った。
「あたし、お兄ちゃんに聞いてくる」
 なぜあの男は「返してもらう」と言ったのか。兄とあの男の間に何があったのか。プレシアは確かめなければならない。マサキ・アンドーはプレシアにとってこの世でたった一人の兄であり、プレシアは彼にとってこの世でたった一人の妹なのだから。
 けれど彼女の決意は呆気なく打ち砕かれる。
「この地に招かれてすぐ彼は……、引き裂かれてしまったんだ。どこに消えてしまったのかは私たちにもわからない」
 彼の地——精霊界にマサキはいなかった。
 引き裂かれてしまった魂の行方をたどる術は誰にも。

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