夏の庭 – 表

夏の庭
夏の庭長編・シリーズ

 ほんの気まぐれだった。あの日の一瞬を再現することはできるだろうか、と。それがまさかこんな形で役立とうとは。シュウは「庭」に作っておいた「部屋」のベッドにマサキを寝かせるとチカを呼び寄せて言った。
「あなたはマサキについていなさい。『鍵』は私がかけておきます」
「了解です、ご主人様。……マサキさんの術、解けますよね?」
「解いて見せます。ただ、複数の系統の術を交互にかけているようですからまずはその資料から探さなくては」
「でも、大丈夫ですか?」
「何がです?」
「魔装機神隊の人たちですよ。みなさんスッゴい顔だったじゃないですか。あれ絶対後ろからブスッと刺されますよ!」
「彼らにそれだけの技量があれば、でしょう」
 「施錠」とともに「庭」が【世界】から切り離されるとチカはヘッドボードに舞い降り眼下のマサキに問いかける。
「ねえ、今からでも起きたりしませんか、マサキさん?」

 それは絶望だった。
 絶望の果ての絶望。
 無理を押して乗り込んだ精霊界でプレシアはもう気が狂いそうだった。
 プレシアを含めたヤンロン、テュッティ、ミオの四人を出迎えたのはフェイルロードとゼオルートであった。
「陛下、お父さん、お兄ちゃんは!」
 今にもディアブロから飛び降りてくるのではないかと危惧するほどプレシアは鬼気迫っていた。
「プレシア、それは……」
「いい、私が話そう」
 言いよどむゼオルートを制止しフェイルロードは告げる。非情な現実を。
「彼は……、マサキはもうここにはいない。彼の魂は精霊界に招かれてすぐ引き裂かれてしまったんだ」
「……え?」
 何を言っているのだろう。フェイルロードの言葉の意味を理解するまでプレシアたちはただ呆然と立ち尽くした。
「どんな力が作用したのかはわからない。ただ、引き裂かれたマサキの魂はそれぞれ別の方向に消えていった。その行方は私たちにもわからない。追う術がないんだ」
 一拍。甲高い憎悪の絶叫がその場をつんざく。
「いや、いや、許さない。絶対許さない。あんな男……、あんな、あんな奴、絶対許さないっ‼」
「待ちなさい、プレシア!」
 しかし、父の声など聞こえもしないのかプレシアは大神官であるイブンの名を叫び、一人精霊界から現実世界へと踵を返す。
「僕たちも追うぞ」
「うん。待って、プレシア!」
 ヤンロンに続いてミオもまたザムジードで後を追う。
「陛下」
「何だねテュッティ」
「マサキの魂が引き裂かれたとおっしゃいましたね?」
「……ああ。すまない、止める術がなかった」
「いえ、そのことではないのです。もし、マサキの魂を見つけ出すことができたなら彼をもとに戻すことはできますか?」
 それは懇願だった。
「わからない。こんなことは初めてなんだ。だが、我々もできるかぎり協力しよう。ただ、これだけは知っておいてほしい。マサキは——」
「何をしておる。テュッティ、戻すぞ!」
 天から降るイブンの声。フェイルロードが呼び止める間もなくテュッティもまた精霊界からラ・ギアスへと連れ戻されてしまった。
「何てことだ……」
 これだけは絶対に伝えなければならなかったのに。
「しょうがねえなあ」
 幻聴ではない錯覚ではない。あの瞬間、マサキは確かに笑っていた。そう彼は自ら望んでその身を裂かれたのだ。そうして翡翠の疾風となったマサキは精霊界からラ・ギアスへと翔けて行った。何のために誰のために。
「しょうがねえなあ。ほんと、面倒くせえ奴」
 それがすべての答えだった。

 ああ、どうして聞こえないのだろう
 どうして伝わらないのだろう
 このままでは風がよどんでしまう
 風が、「死んで」しまう

 鼻孔をくすぐるのは日の光と大地の香り。そしてほんの少しの汗臭さ。彼がまとうはずのない「日常」を生きる人間の匂い。
 大聖堂での暴挙以降、シュウはモニカたちから距離を取った。ふらりと姿を消しては信じられない量の文献を手に戻ってきてそのたびに寝食を忘れて没頭する。
 シュウが取り返したマサキの亡骸の【安置場所】についてモニカたちは何も知らされていない。マサキを「解放」することが目的であるならば今からでも誤解を解いて魔装機神隊と協力すればいい。少なくともモニカはそう思っていた。だが、事態は急転する。精霊界にマサキはいなかったのだ。それどころかマサキの魂は何者かに引き裂かれてラ・ギアスのどこかに散ってしまったというではないか。魔装機神隊の中にはそれがシュウの仕業ではないかと疑う者まで出てきている。
 誰がマサキの魂を引き裂いたのか。真っ先に考えられたのはあの邪神とその教徒たちであったが果たして精霊の加護が厚い彼の地にまでその支配が及ぶだろうか。そこでようやくモニカは気づく。シュウがまとう「日常」の気配の変化と時折まぶたの裏に映る翡翠の羽の正体に。
「シュウ様!」
 モニカは声を張り上げる。引き留めなくては伝えなくては。
 彼の気配はここにある。間違いなく彼は今、ここにいる・・・・・のだ。
「シュウ様、お願いです。シュウ様、どうかわたくしの話を聞いてください。このままでは風が、彼が……。シュウ様っ‼」
 けれどモニカの声は届かない。風は日を追うごとによどんでいく。このままでは遠からず風は「死んで」しまうだろう。
「なぜです。どうしてなのです、シュウ様……!」
 おのれの無力をモニカは今ほど恨んだことはなかった。
 
 翡翠の瞳の少女が問う。
「あなたは後悔していませんか?」
 そう問いかける少女の正面には威風堂々と立つ白銀の戦神。風の魔装機神サイバスター。
 精霊界へと招かれたマサキを引き裂いたのは少女——サイフィスだ。マサキはおのれの命に未練などなかったが残していった者たちへの未練はあった。特に偏屈で頑固な男への未練が。
「しょうがねえんだよ。面倒くせえ奴だから」
 我が身を裂くよう彼女に願ったのマサキ自身だったのだ。そうして当然のようにその身を裂かれたマサキは迷うことなくラ・ギアスへと翔けて行った。添うべき者たちのかたわらへ。
「けれどあなたの欠片は間もなく消える。引き裂かれ弱ってしまった魂に際限のない負の感情は猛毒でしかない。シュウ・シラカワ——彼の執念があなたを殺した」
 自分勝手な大義のためにラングランという化け物がマサキから奪った「死」という尊厳。それはシュウの逆鱗に触れるに十分な蛮行だった。しかし、過ぎた怒りは狂気と同義。マサキの【自由】を取り戻さんとするその気勢は結果としてマサキの魂を消滅させるに至った。何という皮肉だろうか。
「そして、ここにいるあなたも今消える」
 この白銀の戦神に溶けてサイフィスと共にラ・ギアスの空を永遠に翔るのだ。マサキ・アンドーは死してなお魔装機神サイバスターの操者であった。
「最後のあなた……【夏の庭】にいることを選んだあなた」
 【世界】から『時間』からも切り離され朽ちることすら許されず、それでも独り待つことを選んだ人。理由など一つしかない。そこが【夏の庭】であったからだ。
 紺碧の夏空と入道雲。視界いっぱいのヒマワリ畑が生命を謳歌する夏の情景。彼らが交わした約束の場所。引き裂かれた魂——その最後の一片が守り通した「最期の」記憶。
「けれど彼は来ないでしょう。なぜなら【世界】がそれを許さない。彼の罪は相応の罰をもって贖われるべきものです」
 【世界】による断罪。その刃はすでに振り上げられてしまった。
 ゆえにあの「庭」は閉じられる。
 『鍵』は主を失いあの「庭」は二度と誰にも見つからない。
「だから、私たちはあなたに【夏の夢】を贈りましょう」
 永遠の夏空の下で独り涙することがないように。
「最後のあなた【夏の庭】にいることを選んだあなた。夢を見ましょう。二人で夏空を見上げる夢を。夢が覚めたら忘れましょう。すべて、すべて。そして、また夢を見ましょう。あの夏空の下で」
 それが【世界】にできるせめてもの慰め。
 そうして訪れたその日、マサキを「庭」に残したまま断罪の刃はついに振り下ろされたのだった。

 おやすみなさい、最後のあなた

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