第一章 この腕で眠る彼を見て誰が
国葬。マサキの地位と功績を鑑みれば妥当な判断だろう。場所は王都最大のエレメス大聖堂。これほどの規模の葬儀を執り行うのだ。他に選択肢などあるまい。だが、これは何だ。
侵入・脱出経路を確保するために警備関連を含めた葬儀全般の情報を引き出す過程で見つけてしまったそれ。魔装機神操者マサキ・アンドーに永久の眠りを捧げるための棺——その真実。
あれは棺などではない。国の威信を厳重に管理するための金蔵だ。葬儀が終われば墓碑の下に空の棺を収め、彼の棺は国の威信を示す「貴重品」として取り上げられる。
あの棺は一度閉じられてしまえば二度と開けることはできない。魔術的な防御はもちろん物理的な衝撃に対する耐久性も高く、さすがに高位精霊と契約した魔装機の火力をもってすれば破壊できようが、そんなことをすれば納められた亡骸は消し炭になってしまう。こんなおぞましいものにマサキの亡骸を納めるつもりなのか、あの恥知らずどもは。
「行きますよ、チカ」
「はい、ご主人様!」
通常の魔装機の性能で考えればここから大聖堂までの距離は遙か彼方に等しい。だが、グランゾンの飛行速度はサイバスターすら上回る。負担は大きいが最大加速を維持すれば数時間もかかるまい。
常にない暴挙。自覚はある。だが、ためらっている暇はない。すでにマサキの亡骸は棺に納められているだろう。あとは蓋をするだけだ。それまでに何としても取り返さなくては。
曲がりなりにも国葬である。それはある意味国内外へのアピールの場でもあった。
葬儀には王族はもちろんラングランと親交のある友好国、魔装機神隊の活動で協力関係を結んだ諸外国、非営利団体、軍関係者および民間軍事会社の代表とさまざまな人間が訪れていた。政府は旗印を失った魔装機神隊が背負うラ・ギアスの今後を憂い、弔問客である彼らとの建設的な話し合いを取りつけていたのだった。
「国益を思えば弔問外交は当然でしょうが、不愉快であることには違いありませんね」
葬儀は当初の予定よりもずいぶんと遅れていた。弔問の時間が予想以上に長引いたからだ。マサキ自身に大した自覚はなかっただろうが彼は国を問わず人種を問わず多くの人間から慕われていたのだ。
「ご主人様、時間ぎりぎりですよ。もうみなさん大聖堂に移動されてます!」
間もなく棺が閉じられる。そうなればマサキを取り戻すことは永遠に叶わない。
「チカ」
「はい」
「操縦をオートに変えておきます。予定を過ぎても私が戻らなければ迎えに来なさい」
どんな手を使ってでも。
「はい、ご主人様!」
聖堂内の構造は端から端まで叩き込んである。ただ進む。ただただ走る。諦めてたまるものか。
マサキの魂はとうに精霊界で安寧を得ているだろう。サイフィスもその功績に報いて彼の眠りを見守っているに違いない。ならば残された自分は彼の亡骸に【自由】を返そう。人として朽ち大地に還る【自由】を。
どれだけ走っただろう。祈りの声が聞こえる。それは壁一枚を挟んだ向こう側からだった。
「貴様、何者だ⁉︎」
警備の兵士と視線がぶつかる。【認識阻害の魔術】は使っていない。万が一に備えて魔力を温存しておきたかったからだ。風が疾風る。哀れな兵士は喉笛を裂かれ鮮血が宙に弧を描く。同時にシュウは用意していたボタンサイズの爆薬を壁に投げつけ、火を放つ。爆風と熱波が巨大な杭となって壁を粉砕し、聖堂内へと通じる風穴を開ける。
驚愕に立ちすくむ魔装機神隊の面々。だが、そんなものはどうでもいい。シュウの視線が求めるものはただ一つ。今まさに閉じられんとする棺だけだ。
「これはどういうことですか?」
当然のように棺を閉じようとしていた様子から彼らは棺について何も知らされていないのだろう。でなければこんな茶番は成立しない。何よりシュウに不快感をもたらしたのは件の棺だった。まるで見世物のように死者を飾り立てる悪趣味な玉座。あの恥知らずどもは一体どこまで死者を愚弄すれば気がすむのだ
「どきなさい」
一歩踏み出す。背後に押し寄せる大量の気配。それは多分に怒気と殺意を含んでいた。度し難い侵入者の正体を彼らは看破したらしい。
「どきなさい」
たとえ何者に邪魔されようとこの手でマサキの【自由】を取り返すのだ。そして、その亡骸を大地へ還し、彼の記憶が残るあの「夏空」へ。
「——そこをどけと言っている‼」
一閃。疾風の刃は兵士らの四肢を一片の慈悲なく切り落とした。無数の首が宙を舞い鮮血をまき散らしながら数十の手足が床に踊る。その場にいた魔装機神隊の面々を除くすべての人間が一瞬にして屍山と化したのだった。
あまりの非道に誰もが後ずさる。床一面を血で染めそこかしこに死体を積み上げながら、しかしシュウは眉一つしかめず棺に歩み寄るとその場に片膝を着いて棺に手を入れ、気づけばそれをかき抱いていた。
触れた肌は冷たい。マサキ・アンドーは死んだ。目の前のこれは魂の抜けた物言わぬ亡骸だ。彼ではない。なのに浅ましい未練は叫ぶ。
せめて、せめて二目と見られぬ有り様であったなら目の前の事実も素直に受け入れられただろう。けれどこの腕で眠る彼を見て誰が死者だと看破する。
「お兄ちゃん⁉︎」
悲鳴が上がる。それは少女の悲鳴だった。兄の亡骸に危害を加えられるのではないかと恐怖におののく彼のたった一人の妹。プレシア・ゼノサキス。
「お兄ちゃんに触らないで!」
うつむけていた顔を上げシュウは正面からプレシアを見据える。兄の亡骸を取り返そうと自分に向かって今まさに飛びかからんとする少女。
「だめだよ、プレシア。殺される!」
そう叫んでプレシアを押さえつけたのはリューネだ。
「そうでしょうね。リューネ、あなたの判断は正しい」
何の感情も湧かなかったのだ。その幸福のためにマサキが誰より心を砕いたであろうたった一人の妹。彼女にかけるべき憐憫すら。
「マサキは返してもらいます」
言葉は自然と口を衝いて出た。
そう、返してもらうのだ。
「でなければ不公平でしょう」
家族として仲間として彼らは当然のようにマサキと時間を共有し積み重ねていた。それは自分には到底叶わない絆だった。だからせめて亡骸だけでも「返して」もらう。
「ふざけないで。お兄ちゃんを返して。あんたなんかに、あんたなんかにっ!」
プレシアの憤りはもっともだった。彼の仲間たちの激昂も十二分に理解できる。だが、それだけだった。
今ここでマサキが目を覚ましたなら何と言うだろう。まず真っ先にシュウが叱られることは間違いない。彼は妹に対してとても過保護なのだ。きっと頭を抱えて呆れただろう。
「返して、返してよ。お兄ちゃんを返して。返せええぇ——っ‼」
刹那、聖堂の壁が大きく崩れ落ちる。現れたのは巨大な剣とそれを手にした紺青の右手。
「ご主人様、お早く。マサキさんも!」
予定を少し過ぎていたようだ。
「ええ、今行きます」
立ち尽くす彼の妹と仲間たちに背を向けてコクピットへ。
「いやあああぁ——っ、お兄ちゃん!」
彼の妹の慟哭にけれどシュウが振り返ることはなかった。
「もう、ヒヤヒヤしたじゃないですか。次はちゃんと時間守ってくださいね!」
一通りまくし立てるとチカはシュウの腕に眠るマサキを見て声を落とす。
「……死んじゃったんですね、マサキさん」
「ええ」
「でも、まるで寝てるみたいですね。つっついたら起きたりしませんか?」
「起きませんよ。もう、死んでしまいましたから」
「……そうですよね。死んじゃったら、起きませんよね」
「ええ。では、行きましょうか」
目指す先は【夏の庭】——永遠の夏空、鮮烈な紺碧。消えることのない入道雲。視界いっぱいに広がるヒマワリ畑。彼に捧げた夏の情景。閉じられた世界の外側へ。
