夏の庭 – 裏

夏の庭
夏の庭長編・シリーズ
第二章 なぜ、その亡骸だけでなく魂までも

 焼きつくほどに鮮やかな夏の青空と入道雲。そして視界いっぱいに広がる黄金の海原——それを背に立つ新緑の髪の青年。この世の生命を何より謳歌する夏の情景。あまりにもまばゆかった一瞬の奇跡。
 マサキの亡骸を抱えてシュウが向かった先は白亜の館。不測の事態に備え、父カイオン大公がまだ健やかだった頃の母とシュウのために建てたセーフハウス。
 本当に気まぐれだったのだ。あの日の一瞬を再現することはできるだろうか、と。
 もともと招くつもりではいたのだ。完全に「あの日」を再現できたならその記念として。けれどそれは今を生きている彼であって間違ってもその亡骸ではなかった。
 目的の場所は館の最奥。館の主人であった母が使っていた部屋。手入れは今もかかしていない。部屋の中央には二重三重に敷かれた魔方陣。外円には要所に水晶の天秤と燭台、純銀のナイフが配置され中央にはいつかマサキに贈るはずだったオリハルコニウムの指輪が。
 詠唱。起動する魔方陣。転移の先は【夏の庭】、世界から切り離された亜空間。
 ヒマワリ畑を臨む「部屋」を作り始めてすぐ、煮詰まっていた研究への新たなアプローチを思いつき矢も楯もたまらず研究室へと踵を返したがために未完で終わった小さな別荘。
「まさかこんなことに役立つとは思いもしませんでしたよ」
 シュウは「部屋」のベッドにマサキを寝かせるとチカを呼び寄せて言った。
「あなたはマサキに付いていなさい。『鍵』は私がかけておきます」
「了解です、ご主人様。……マサキさんの術、解けますよね?」
「解いて見せます。ただ、複数の系統の術を交互にかけているようですからまずはその資料から探さなくては」
「でも、大丈夫ですか?」
「何がです?」
「魔装機神隊の人たちですよ。みなさんスッゴい顔だったじゃないですか。あれ絶対後ろからブスッと刺されますよ」
「彼らにそれだけの技量があれば、でしょう」
 邪魔をするのであればたとえそれが彼らであっても容赦はしない。命は取らずとも二度と戦意などいだけぬよう完膚なきまでに叩きつぶしてくれよう。
 そしてシュウは「庭」に『鍵』をかける。『鍵』として設定したのはオリハルコニウムの指輪。魔術にうとかったマサキに贈るはずだった加護の象徴。
 終わりなき幸いを彼に
 彼に仇なす一切に滅びを
 内側に刻んだ言祝ぎと呪い。もっと早くに贈っていたなら結末は変わっていただろうか。
 「庭」から再び白亜の館へと戻るとシュウは自らが構築したネットワークに加えダークウェブ上の「友人」たちの手を借りておよそ必要となる文献のリストをそうそうに完成させた。
「よくもここまでかき集めたものです。それほどにマサキの『亡骸』はあなた方にとって都合の良い威光だったのですね」
 年若くして風の精霊王サイフィスに望まれ最強と畏怖された魔装機神サイバスターの操者となった地上人の青年。マサキ・アンドー。彼はラングランにおいて救国の英雄でもあったのだ。
 彼は傷ついた母子を狂人からかばい命を落とした。多くの人間が彼の死を嘆き多くの人間が彼の勇気を讃えた。皮肉にも彼はその死をもって「完成」したのである。ラ・ギアスの歴史に名を残す「地上人の英雄」として。
 そして、その亡骸をラングラン政府は棺という名の金蔵に納めようとしたのだ。生前と寸分違わぬその亡骸に為政者たちはどれほどの価値を見いだしたのか。少なくとも今現在政府の枢機に関わる人間たちにとっては得がたい宝であったのだろう。でなければ大陸中から『封印——純粋な物質保存を含む——』に関する文献をかき集め、このような所業には及ばなかったはずだ。
「度し難いにもほどがある……」 
 もはや封印というよりも呪詛の組紐だ。
 マサキの亡骸には目視で確認できたものだけでも数種類、後にスキャンして確認できたものを含めれば優に十数種類の封印術を施されていたのである。しかもそのうちいくつかは解咒に対する『防御層ファイアウォール』であった。
 政府がその権限を行使してかき集めただけあって術に関する文献の大半は稀覯本きこうぼんであった。いずれも厳重に管理され民間の人間が手に入れることはほぼ不可能。術の基礎部分であれば正規の手続きを取ることで閲覧可能なものもあったがいずれも手間がかかり過ぎる。ならばとシュウはアプローチの方法を変えた。
 シュウは稀覯本を所蔵する施設で過去に起きた情報流出の記録を徹底的に探した。稀覯本の多くは紙媒体で保管されていたが近年ではバックアップためにデータ化されたものもあったのである。流出した情報の中には営利目的のためにダークウェブ上で売買されているものもあった。
「部分的ではありますが、ある程度はこちらでそろえられますね」
 問題はデータ化されておらず施設外への持ち出しが完全に禁止されているものだ。一国の政府が動いてようやく必要箇所のコピーが許されるレベルの稀覯本ともなれば施設内への立ち入りすら不可能だろう。となれば非合法な手段を取るしかない。施設内のセキュリティを無効化しながらの連続転移。果たしてどれほどの魔力を必要とするだろうか。
「テリウス、少し手伝ってもらいますよ」
「……えぇ。まあ、いいけど。あまり手荒なことはやめなよ」
 モニターの向こう側で肩をすくめる従兄弟はけれどシュウをいさめようとはしない。
 「庭」からメインのセーフハウスに戻って以降、シュウは地下の研究室にほとんどこもりきりだった。
「少しはこっちに上がってきなよ。心配してるよ、姉さんたち」
 大聖堂での暴挙に関して意外にも意見してきたのはモニカであった。さすがに仲間の——それもたった一人の家族の目の前で亡骸を奪う非道を見過ごせなかったのだろう。
「シュウ様、今からでも誤解を解いて」
「私は彼らに誤解を与えた覚えはありませんよ」
「シュウ様っ⁉︎」
 モニカたちはマサキの亡骸を見てはいない。だが、テレビ中継を介して目にしていたのだ。
「坊や……。何よ、寝てるだけじゃない」
 サフィーネのつぶやきはモニカのそれと同じであった。
 マサキにかけられた腐敗防止と物質保存の魔術に関してはテレビを介してモニカもある程度は把握していた。あれは一朝一夕で解ける代物ではない。だからこそ誤解を解いて彼らと協力すべきだとモニカは判じたのだ。だというのにシュウはかたくなにそれを拒んだ。
「たとえ目的が同じであろうと彼らと私は決して相いれない。交渉のテーブルに着く前に決裂が確定しているのですよ」
 魔装機神隊としての大義を背負う彼らにシュウははなから期待などしていない。それどころかマサキの亡骸がラ・ギアスの平和を乱す引き金になると判断されれば彼らは魔装機神隊の務めとして、最悪、マサキを排除しなくてはならない立場にいるのだ。誰が協力など求められようか。
 テリウスたちが寝静まった頃を見計らい再び「庭」へ。
 追っ手の気配はないが安心はできない。そうでなくともシュウは常にヴォルクルス教団に追われる身なのだ。
「もう、遅いですよ、ご主人様。心配するじゃありませんか」
 進捗どうですか! と口やかましい使い魔を適当にあしらいベッドで眠るマサキに歩み寄る。
 起きる気配はない。当然だ。彼はすでに死んでいる。目の前にあるのはその亡骸だ。それ以上でも以下でもない。
「時間がかかってしまって申し訳ありません。ですが、必ずすべての封印を解いてあなたを【自由】にして見せます。だから」
 もう少しだけ、もう少しだけこの「夏空」の下で待っていてほしい。必ず叶えて見せる。世界を敵に回してでも。そう、たとえ彼の仲間を打ち倒すことになろうと。
 そして『鍵』を手にセーフハウスに戻ったシュウは思い知る。神とは祈るものではなく呪うものである、と。
「シュウ様、シュウ様! 精霊界が……、マサキがっ⁉︎」
 髪を振り乱して駆け寄るモニカの顔色はもはや蝋のごときであった。
「今……、何と?」 
 本来であれば精霊界で安寧を得ていたであろうマサキの魂が精霊界に招かれてすぐ何者かによって引き裂かれラ・ギアスへと散ってしまった。モニカはそう言ったのだ。
「そんな……、はず、が」
 なぜ、彼の亡骸を冒涜しただけでなくその魂すらも。
 シュウは【世界】を呪った。けれど【世界】もまたシュウを呪っていたのである。
 ——その罪科に見合う贖いを求めて。
 
 閉じられた「庭」に翡翠の羽が、舞った。

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