夏の庭 – 裏

夏の庭
夏の庭長編・シリーズ
第五章 そして、罪科の代償を知る

 予感は的中した。それも最悪の方向で。
 ヴォルクルスが顕現したのだ。
 アモント修道院図書館はエクシール共和国の最北に位置しその両脇を川に挟まれた中州に建てられている。図書館の裏手には標高七〇〇メートルを超える山々がそびえ山を越えた先にはだだっ広い荒野が広がっていた。
 まとまった水源もなくデモンゴーレムが出没する廃坑が近隣に複数あるため再開発の予定もない。千年以上前から放置されつづけた荒廃と失望、死の気配をたっぷりと含んだ荒野。廃坑には不幸な死を遂げた坑夫たちの無念と悪意と憎悪が今なお渦巻いている。「神殿」の建造場所としてこれほどおあつらえ向きな地もあるまい。
「さすがに山地を越えてはこないでしょうが」
 傍受した魔装機神隊の通信が事実ならば顕現したヴォルクルスは三体。捧げられた念が不十分だったのかそのうち二体は非力な分身であったが最後の一体は本体に近い権能を振るうようであった。
「どこまでも鬱陶しい」
 魔装機神隊との衝突位置からして「神殿」の場所は山を越えた先にある廃坑の密集地。おそらく廃坑の地下に数百年以上をかけて建造されたのだろう。
 山地を越えての侵攻はありえないとしてもヴォルクルスが顕現した以上、デモンゴーレムや死霊装兵は一定数召喚されたに違いない。
 デモンゴーレムはともかく死霊装兵は比較的小回りが利く。魔装機神隊の包囲をかいくぐって市街地へ侵攻でもされては面倒だ。人々の恐怖と混乱はヴォルクルスの力を強める。本体に近い権能を振るう分身が顕現しているとなれば確実な脅威になるだろう。
 目の前には求めていた二冊の写本。今ここで踵を返せば次にこの秘蔵庫に足を踏み入れるのは当分先のことになる。
「やむを得ません」
 『協力者』たちに用意させた転移の魔方陣は後始末のことも考慮して秘蔵庫のあるフロアよりも手前に敷かせてある。警備員の巡回時間。センサー類の死角、警備室の交代時間。秒単位で計算した最短ルート。もはや一秒たりとも無駄にはできなかった。
「邪魔はさせませんよ」
 「帰る」のだ、「庭」へ。
 サイバスター同様、飛行能力を有するグランゾンに山地は障害としての意味を持たない。無事、図書館から脱出したシュウは迷うことなく山々を越えて激戦地の上空へ向かう。【隠形の術】は山を越えた時点で解除済みだ。ヴォルクルスはともかく魔装機神隊には気づいてもらわなければ困る。
 【大量広域先制攻撃兵器】——グラビトロンカノン。同じMAPWでありながら敵味方識別機能を有するサイバスターのサイフラッシュとは違い、グランゾンのグラビトロンカノンには敵味方の識別機能はない。ゆえに回避してもらう必要があったのだ。
 出力は五〇%程度に抑える。ヴォルクルスの分身には大したダメージは与えられないだろうが、ひとまず死霊装兵たちを蹴散らせればいい。
 地上を見ればヴォルクルスの分身と相対しているのは魔装機神三体のみ。残る正魔装機の姿はない。おそらく足手まといになるとデュカキスが判断したのだろう。
「グラビトロンカノン——発射」
 攻撃範囲は魔装機神が回避可能なぎりぎりに絞る。仮に間に合わなかったとしても戦闘続行に致命的なダメージには至らないはずだ。
 そして、地を埋めた無数の重力破が消滅するとほぼ同時にワームホールを開く。標的はヴォルクルスの分身二体。残る一体は直接手を下す必要があるだろう。
「ワームスマッシャー」
 今度は出力を抑える必要はない。削れるだけ削る。同時に地上の魔装機神も動く。分身二体の背後に地中から姿を現したのはザムジードだ。レゾナンスクエイク。衝撃波が大地を揺らし地面が割れる。その巨体と質量ゆえにヴォルクルスの分身たちが体勢を崩す。すかさずガッデスのファミリアが二体の邪神を打ち据えその動きを封じ込める。憤怒の咆哮を上げる巨体を一刀両断したのは側面から突撃してきたグランヴェールの火風青雲剣だった。
 まさに猛攻。邪神の分身はいともたやすく打ち砕かれた。しかし、真に打ち倒すべき邪神はほぼ無傷でシュウの視界に立ちはだかったままだ。
「あなた方にかかずらっている暇はないのですよ」 
 バリオン創出ヘイロウ召喚。システムを切り替え、ネオ・グランゾンを起動。そして、天の高みから忌まわしき邪神が這う地上へ。
「消えていただきましょう。跡形もなく」
 不完全な分身ならまだしも今目の前にいる邪神を一撃で仕留めるならばブラックホールクラスターの出力ではわずかに足りない。だが、幸いここは死の大地。図書館も山地の向こう側にある。ならば選択肢はひとつ。ネオ・グンゾン最終兵装、縮退砲。
「待て、シュウ!」
 視界に割り込んで来たのはグランヴェールだ。だが、歪曲フィールドは常時展開している。振り払うのは容易だった。
「邪魔をしないでいただきましょうか。私には時間がないのですよ」
「マサキはどこにいる。あの図書館で何の写本を探していた‼」
 写本、ヤンロンははっきりとそう口にした。やはりデュカキスか。
「あなた方に答える義理はありません」
「シュウ、マサキを返してよ。あたしたちだって解咒の方法は探してるんだよ‼」
 通信に割り込んできたのはミオだ。
「あなた方には無理ですよ」
 そう、彼らには無理だ。シュウでさえようやく表層部分を解咒する方法が掴めたくらいなのだ。デュカキスがあるとしても彼らにどれほどの期待ができよう。
 何よりシュウには時間がない。引き裂かれたマサキの魂。おそらく「庭」にあるだろう一片以外のすべてを一刻も早く捜し出さなくてはならないのだ。
 ひりつく空気を邪神の咆哮が破る。残る一体。打ち倒された分身の残滓を取り込んだのかその巨体はさらに凶悪さを増し全高は優に六〇メートルを超えていた。
 質量的に正面からそのかぎ爪を食らえば如何なネオ・グランゾンとて致命的なダメージは免れない。短期決戦は必定。
「待って、待ちなさい。プレシアがっ⁉︎」
「セニア?」
 通信パネルに割り込んで来た従姉妹。その顔は蒼白だった。
「お願いだから話を聞いて。プレシアがいないの。薬を盛られたのよ。リューネが目を覚ました時にはもういなかったの!」
 復讐に身を染めた少女。その幸せのためにマサキが誰より心を砕いていたたった一人の妹。
 ゲートを使った形跡があったという。大型のものはゲートを通過できないはずであったが一体何をどう苦心したのか。
 目的地は言うまでもなくエクシール共和国だろう。写本に関する情報は部隊内で共有されているはずだ。問題はいつラングランを発ったのか。ゲートの記録からしてすでにこちらには到着しているはずだ。であれば、間もなく。
「お兄ちゃんを返して!」
 殺意の一閃は過たず。
「プレシアっ⁉︎」
 さすがは剣皇の愛娘と評すべきか。かつてゼオルートは圧倒的な性能差があるギオラストに搭乗しながらグランゾンの歪曲フィールドを使用不可能にして見せた。不完全ではあったがその娘であるプレシアもまたシュウの目をかいくぐって、見事、両腕の重力発生装置に剣戟を打ち込んで見せたのだ。
「……血は争えませんね」
 致命的なダメージにはほど遠いが万が一ということもある。歪曲フィールドをいったん解除しシュウはプレシアに向き直る。ワームホールから取り出したのは諸刃の大剣。グランワームソード。
「あなたの相手をしている暇はありません」
 一刻も早く「帰る」のだ、「庭」へ。
 そして、彼に今回の不手際を詫びなければ。
「うるさい! いいからお兄ちゃんを返して。返しなさいよ。あんたなんか、お父さんを殺したあんたなんかっ‼」
「下がるんだ、プレシア!」
 グランヴェールがその眼前に立ちはだかる。ディアブロを後ろから押さえ込んだのはザムジードだ。
「離して、離してよぉっ!」
「ミオ、プレシアを連れて下がれ‼」
「任せて!」
 まき散らされる憤怒と憎悪は咆哮と呼ぶにふさわしくそれは彼女を知る誰をも絶句させた。けれどシュウは何も感じなかった。彼女の実父を死に追いやり兄の亡骸を奪った張本人でありながら。
「邪魔をしないでいただきましょうか」
 加速。正面には圧倒的な悪意。振り下ろされたかぎ爪が装甲を剥ぎ取るまさに寸前、眼前に発生したワームホールへ身を躍らせる。抜けた先は邪神の背後。白刃一閃。巨大な尾を一撃で切り飛ばす。
 さながら剣樹刀山に投げ出された罪人のごとく白刃は四方八方から邪神の身を斬り裂きえぐり骨を断った。文字通り一寸刻みの五分刻み。
 それは機械的な正確さだった。感情の片鱗もない。当然だ。これはただの作業なのだから。しかし、曲がりなりにも自らを邪神と称する邪悪である。起死回生を狙いそれはもっとも弱き者に牙を剥いた。突進する悪意の終着は復讐者と化した少女。
「ひっ⁉︎」
 引き留めるザムジードを決死の覚悟で振り払い何とか自由を取り戻した直後、肉薄する邪神を正面にして手足が凍りつく。全高六〇メートルを超える巨体の突撃だ。回避できるはずもない。
 振り上げられるかぎ爪。
「お兄ちゃんっ‼」
 翡翠の羽が、舞った。
 わずかにそれた軌道。必殺の一撃が八つに引き裂いたのは復讐者と化した少女ではなく大地であった。
「……マサキ?」
 その幻を理解できた人間がこの場にどれほどいたであろう。
 なぜ思い至らなかったのか。
 何者かによって引き裂かれラ・ギアスに散ってしまったマサキの魂。「庭」に安置された亡骸以外にその魂が向かう先など限られている。プレシア・ゼノサキス。血の繋がらないけれど彼にとってはこの世でたった一人の妹。彼はその幸いを願って今も彼女のかたわらにいたのだ。
 そうだ。なぜ気づかなかったのだろう。ようやく、ようやく理解する。
「シュウ様、お願いです。シュウ様、どうかわたくしの話を聞いてください。このままでは風が、彼が……、シュウ様っ‼」
 モニカはこれを伝えたかったのか。まぶたの裏に舞う翡翠の羽。彼女だけではなかった。彼は確かにここにもいたのだ。誰でもないシュウのかたわらに。
「私は、何を……」
 けれど翡翠の羽はもう見えない。残酷で優しい幻は息絶えてしまった。否、この手が殺したのだ。
 傷つき泣きじゃくる少女に駆け寄る新緑の髪の青年。薄れゆく背中。都合のいい幻。けれど確かに彼はそこにいた。
 一度目はこの手が届かぬ場所で。二度目は誰でもない自らの手で、失った。であれば今度こそ、今度こそ決して。
「マサキっ‼」
 その背を切り裂かんと振り下ろされたかぎ爪を止めるべく、気づけば地を蹴っていた。

 鐘が鳴る、黄昏おわりを告げる晩鐘が
 振り下ろされる断罪の刃が示す、贖いを
 そして大罪人は知る
 罪科の代償が——何者・・であったかを

ならば、ならば彼に「死」を招いたのは、誰でもなく

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