意識は回復しなかったものの危篤状態からは脱したとの一報に着の身着のまま駆けつけたのは王都にいるはずのプレシアであった。ゼノサキス邸の管理はセニアが引き受けてくれたのだ。
「こっちは全部あたしが何とかするから、早く行きなさい!」
そう背中を押されプレシアは飛び出した。州軍病院へプレシアを送ったのは凶報を聞きつけて王都に戻っていたファングだった。搭乗する魔装機の機動力を鑑みてディアブロではなくファングのジェイファーに頼るべきだと判断したからだ。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん。起きて、起きてよ。置いていかないで!」
プレシアは泣きじゃくる。目の前で父を殺されて以降、バゴニアにいる母を除けばプレシアにとっての家族は血の繋がらない兄——マサキだけだ。少々過保護ではあるがプレシアにとってマサキは自慢の兄だった。
「意識が戻る確率は……」
半狂乱に近いプレシアに代わって担当医に問うたのはファングだ。担当医はダリアス・ナベリウス。マサキが助けた少女の父親であった。
「術後、高度な治癒術を長時間にわたって施された痕跡があります。これなら意識はほぼ確実に回復するでしょう。後遺症に関しては今後の検査次第ですが」
仮に重度の後遺症が残るようであれば、最悪、マサキはサイバスターを降りることになるだろう。だが、そうなったとして果たしてサイバスターは新たな操者を選ぶだろうか。
理論上では可能であったものの成功した者は誰もいなかった精霊憑依。それを史上初めて成し遂げた人間を精霊たちがそうかんたんに手放すとは思えない。そもそもあのマサキが後遺症を理由にサイバスターから降りるはずがないのだ。その命が続くかぎり彼は魔装機神サイバスターの操者であった。
「悲観しないでください。データを見るに彼にかけられた治癒術と注がれた魔力は膨大ですが、このデータと同様の施術を継続できれば完治も夢ではありません。いえ、必ず治してみせます」
紛争で家族をすべて失ったと思っていた。だが、逃れた先の難民キャンプで娘は生きていた。ダリアスはそこに【奇跡】を見た。あのまま娘を失っていたらダリアスは狂っていただろう。そして、娘を救ってくれたのは今ダリアスの目の前で昏々と眠りつづける青年だ。ならば今度は自分が救おう。【奇跡】を与えてくれた彼におのれが持てるすべてをもって報いるのだ。
問題は人材の確保。このデータと同量の魔力と治癒術を施術できる人材がこのラ・ギアスにどれだけ存在するだろうか。
「あ、そこは僕に任せてよ。姉さんがしばらく動けないからその代理で来たんだけど」
「テリウス⁉︎」
黒髪のウィッグに丸眼鏡。お粗末な変装であったが【認識阻害の魔術】で補強すればどうともなるのだろう。
テリウス・グラン・ビルセイア。潜在的魔力でいえば姉であるモニカすらしのぐ神聖ラングラン王国第三王位継承者であった。
「マサキに死なれて困るのは何も君たちだけじゃないからね」
今現在昏睡状態に陥っている彼はわずかな希望にすがって必死にあがいているのだ。なら、従兄弟として手を貸すのもやぶさかではない。
「姉さんたちが聞いたら跳び上がって驚くだろうなあ」
無気力、無感動、内向的の三拍子がそろった末弟が自主的にそれも人助けに動いたのだから間違いなく絶句するだろう。
「シュウももうちょっと素直に協力を頼めばいいのにさ」
紛う方なきあの天才が持ち得る才のすべて費やして【世界】に抗っている。利己のためではない。利他のためにだ。ただ一人の唯一のため。
魔装機神隊の面々と協力すればもっと早く事が進むだろうに。当初はそう思いもしたがどうやらそこまで気を回す余裕がないらしい。それだけせっぱ詰まっているのだ。
「馬鹿じゃないですか、馬鹿じゃないですか。プラーナにしろ魔力にしろ渡すにも限度ってものがあるでしょうが! マサキさんが起きたら一〇〇パーセント横っ面張り飛ばされますからね。馬鹿じゃないですか。あたくしもう知りませんからね。ボクシングと空手全国区渾身のボディブローでも食らえばいいんですよ。馬鹿ですかご主人様っ⁉︎」
繋がった通信パネルいっぱいに荒れ狂うチカ。あの狂乱にはサフィーネでさえ開いた口がふさがらなかった。
聞けばテリウスたちとは別のセーフハウスに戻るなりシュウは昏倒し、以降昏睡状態が続いているらしい。
「あ、先に言っておきますけどこちらに来ようとしても無駄ですよ。ご主人様が結界張ってますし、ある意味寝だめしてるようなものですから」
意識が戻り次第次の手を打つので邪魔をしないでほしい。半ば一方的に言い捨てチカは通信を切った。
「まあ、細かいことはシュウに任せて僕は僕にできることをやるよ。それで、必要な魔力ってどのくらいなのかな? ——え、この程度でいいんだ」
常人からすればとんでもない量であったがテリウスからすれば自分一人で十分賄える程度の魔力量であった。
クライアントからのプレゼントだと一枚のマイクロチップを手にセニアのもとを訪れたのはアハマドであった。
「お前が今一番欲しているものらしい」
残る三体の魔装機神が健在であるとはいえマサキの戦線離脱はやはり痛手となった。
最大半径数十キロに及ぶサイバスターのサイフラッシュとでは比較対象にすらならないが【大量広域先制攻撃兵器】自体は他の魔装機神も備えてはいたのだ。だが、致命的なことにそのいずれもが敵味方の識別システムを搭載していなかった。そう、残る三体の魔装機神ではサイバスターのように敵対象のみをピンポイントで破壊し、被害を最小限に抑える制圧戦が不可能だったのである。
サイバスターの不在は休戦協定破棄の確率を跳ね上げる。ならば戦場から遠く離れた場所にいるセニアが打てる手はなんだ。
「そうよ、情報よ。情報だわ!」
戦争は武力だけでは成り立たない。生命線となるのは情報だ。あの小国同士の紛争を長引かせている大きな要因は両国の宗主国的な立場にある国々の利権争いでありそれは周知の事実だった。つまり真の病巣は当事者たちではない。そして今、その病巣を切除するための術をセニアは得た。マイクロチップには一瞬で複数の国家を転覆させるに足るトップシークレットがみっしりと詰まっていたのだ。
これだけの情報をどうやってかき集めたのか。以前から調査を積み重ねていたならまだしも短期間でこれだけの量を収集したのであればそれはもはや狂気の沙汰だ。
「……ねえ、これあいつじゃないの?」
脳裏をよぎるのはいけすかない従兄弟。だが、セニアが知る人間の中であの男ほど利他の二文字から縁遠い人間はいない。
「さてな。契約は守秘義務がともなう。ただ、そうだな。おれもクライアントもマサキに死なれては困る。言えるのはそれだけだ。あとは任せたぞ」
「ええ、任されたわ!」
詮索はあとだ。今は見送る時間すら惜しい。
セニアはデュカキスを起動する。時間はない。一刻も早く病巣を切除しなければ。
「さあ、今までのツケはきっちり払ってもらうわよ‼」
そして彼女は【勝利の女神】となる。
遠い彼方「めでたしめでたし」が死んでしまった世界線でプレシアは泣き叫んだ。
奪われた兄の亡骸に絶望しそれを奪った男に憎悪と怒りをもって泣き叫んだ。
「返して、返してよ。お兄ちゃんを返して。返せええぇ——っ‼」
だが、今プレシアが立つこの【世界】の兄は生きている。予断を許さない容態ではあるが確かに生きているのだ。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」
だから一心にプレシアは呼びかける。絶望ではなく望みをかけて。
生きているのならその命が今もなお輝いているのなら兄はきっと応えてくれる。マサキ・アンドーはプレシアにとってこの世でたった一人の兄であり、プレシアは彼にとってこの世でたった一人の妹なのだから。
「あたし、まだ成人もしてないんだよ。お嫁に行くまで意地でも生き残るって言ったのはお兄ちゃんなんだからね。約束破ったりしたらあたし本気で怒るからっ‼」
いらえはない。だが、握る手は確かに温かい。温かいのだ。
「…………ァ……」
言葉ですらないか細く小さな音。けれどプレシアにはそれだけで十分だった。
