夏空から、あなたへ

夏の庭
夏の庭長編・シリーズ

 難民キャンプでの傷害事件。それも未成年を標的にした卑劣な性犯罪。幸い未遂に終わったものの結果として被害者は出てしまった。少女を暴漢からかばった青年が。しかも被害者は誰あろう救国の英雄——魔装機神サイバスター操者マサキ・アンドーであったのだ。ラングラン政府はもちろん国民もマスメディアも騒然となった。
 峠を越え断続的ではあるが意識も戻りつつあるとの一報に政府の行動は早かった。マサキはすぐさま王都の王立病院に搬送され完全に外界から隔離された。国にとってマサキは一種の「貴重品」であったのだ。管理が厳重になるのも当然である。
 事前申請だけで面会できるようになるまでどれだけ時間がかかっただろう。おまけに面会許可がおりたとはいってもそれは結界越しであり対象は同じ魔装機神操者であるヤンロン、テュッティ、ミオ。そして妹であるプレシアのみに限定された。
「どいつもこいつも人のことを何だと思ってんだ」
 ようやく自力で起き上がれるようになったマサキはすでに十日を超える隔離生活にいい加減嫌気が差していた。
「重傷者だよ。だって脳挫傷だよ、脳挫傷。あれ重傷だったら生存率四割くらいなんだからね。剣と魔法のラ・ギアスから助かっただけで、これ地上だったら今頃絶対灰になってるよ?」
 ここ数日、マサキの愚痴を聞き流す担当になっていたミオは今日も終始呆れっぱなしだ。
「それはそうなんだけどよぉ」
「治癒術だって万能じゃないってさんざん言われてたじゃん。今のところ後遺症は出てないみたいだけど無理をしたらすぐに全部が崩れるって。だからある程度自力で回復できるようになるまで施術を継続しなきゃだめだって。理由はわからないけど何か今マサキ限界まで弱っちゃってるんでしょ?」
「だからって、もう十日過ぎてんだよ」
「いやいや、何であの大惨事が半月そこらで完治すると思うのよ。頭蓋骨に思いっきり穴開いてたんだよ?  確かにラ・ギアスはファンタジーだけどそれはさすがにファンタジーが過ぎるわよ」
「こっちに運ばれるまでにずいぶん寝てたんだろ。もうちょっと何とかなってもいいじゃねえか」
「寝てたんじゃなくて意識不明の重体ね。もう、何だってこうも危機感が薄いのよマサキは」
「だって、なぁ……。言いたいことはわかるけどよ、だからって何もここまで厳重にしなくてもいいじゃねえか。身体は無事なんだし頭揺らさなきゃいいだけの話じゃねえのかよ」
「——マサキ、それプレシアの前で言ったら退院後に絶対引っ叩かれるよ」
 意識が戻ったとき、マサキの視界を真っ先に奪ったのは両目を真っ赤に染め、頬を腫れ上がらせたプレシアだった。
「お兄ちゃん、おにい、お、お……お兄ちゃ、お兄ちゃんっ‼」
 泣きじゃくるプレシアにマサキは朦朧とする意識の中で必死にかける言葉を探したが、結局、何も思い浮かばず再び意識を失うしかなかった。
「…………前言撤回する」
「ヨシヨシ。でも、まあ、気持ちはわかるよ。まるで実験室だもんね、ここ」
 設置された医療機器を除けばベッド以外何もないのだ。窓すらない。かわりに壁にはめ込まれているのは緊急用のモニターとテレビ。ミオとマサキの間には結界が張られ物理的に触れることも叶わない。
「先生たちに聞いたけどもうちょっと安定したら部屋は移れるかもしれないって。ほら、マサキが助けた女の子のお父さん。ダリアスさん。何かすごく優秀なお医者さんだったみたい」
「あー……、あのおっさんか。何かなあ、スゲぇ謝られたんだよ。もう顔が真っ青でよ。そもそも悪いのはあの子を襲った連中だし、おれは助けてもらったんだから謝られると逆に困るっつーか」
 必死に謝罪を繰り返す男と目を点にしてただただ謝罪を受け入れるしかないマサキ。
「あ。なんかちょっと笑えるかも」
「いや、笑うなよ」
「ごめんごめん」
 しかし、他愛ない雑談もそう長くは続かない。
「……悪ぃ、ちょっと眠くなった」
「そっか。結構時間たったもんね。じゃあ、明日はプレシアが来るから!」
 自力で起き上がれるようになったとはいえ治癒術の施術は今も続いている。それだけではない。今日に至るまで蓄積されてきた身体的心理的疲労が基本的な回復力そのものを奪っていたのだ。否、そんなレベルの話ではない。まるで蘇生されたばかりの人間のようにマサキの身体はほぼ死んでいたのだ。加えて隔離された空間での生活はどうしてもストレスをともなう。
 マサキの人となりを理解している魔装機神隊の面々からすれば政府の対応は厳重過ぎた。もちろんラングランにおけるマサキの地位を考えればやむを得ない部分はあるだろう。しかし、このままでは精神的疲労から容態を崩すのは目に見えていた。
「せめて今の部屋から出られれば」
 それだけでも精神的な負担はずいぶんと減るだろうに。

 一時帰宅の許可が出たのはそれからさらに一週間ほどしてからだった。
「……おれは今無性に床でごろ寝してえんだよ」
 帰宅するなりリビングのカーペットにクッションを放り投げてごろ寝しようとするマサキをキッチンから出てきたプレシアが叱咤する。
「ダメだよ、お兄ちゃん! 先生も言ってたでしょ。まだ治療は終わってないって。言うこと聞かないならお兄ちゃんが好きなコブガチョウの包み焼き、今日は作らないからね!」
「それはねえだろ。ようやくまともな飯が食えると思ってたのにっ⁉︎」
 マサキの悲痛な叫びに庭の水やりを終えたばかりのテュッティがこめかみを押さえて呆れ返る。
「マサキ、あなた一時帰宅とはいっても半日だけでしょう。夕方にはまた戻るんだからもう少しおとなしくしていなさい。退院の時期が延びるわよ」
「おとなしくしときゃいいだけなら別に入院なんざせずに通うだけでいいじゃねえか」
 よほど鬱憤がたまっているらしい。無理もない。あんな場所に閉じ込められた生活などマサキでなくとも滅入ってしまう。
「そうは言っても設備的に緊急対応が可能なのはあそこくらいだし、何よりセキュリティがね。あなたに必要な治癒術を施術できる人間も限られているからこればかりはどうしようもないのよ」
「あ」
 目を見開く。脳裏をよぎるロイヤルパープルとその気配。
「悪ぃ、ちょっと出てくる!」
「ちょ……、マサキ、待ちなさい。あなた自分の身体のことわかっているのっ⁉︎」
 まるで両足に鉛を詰め込んでいるかのようだ。思い通りに足が動かない。
「ヤベぇ……」
 気づけば目指す影を見失っていた。
 【方向音痴の神様】——長い長い入院生活の中でマサキは自身の不名誉な称号をきれいさっぱり忘れていたのだった。
 とにかく覚えのある景色を探そう。そう踵を返して踏み出した瞬間、盛り上がっていた地面に蹴躓いてつんのめる。
「マサキっ⁉︎」

 マサキがシュウを連れて帰ってきた。否、マサキがシュウに保護されて帰ってきたとの報せを受けたヤンロンはマサキの軽挙を叱るべくゼノサキス邸にすっ飛んできた。どうして目を離した瞬間にどこへともなく飛んで行くのだ、この【迷子】は!
「言いたいことはわかりますが、長時間の精神的ストレスは体調を崩す要因にしかなりませんよ」
 いつもの調子でヤンロンが口を開こうとする前にシュウが止めに入る。助かった。マサキは心の中でシュウを三回拝んだ。
「なあ、お前のとこに連れてけよ。モニカもテリウスも治癒術使えんだろ? 面倒くせえ結界とか【隠形の術】とかもよ」
 帰り際、わざわざシュウを捕まえてマサキはそんなことを言ってきた。
「あなたは自分が何を言っているのか理解しているのですか?」
「わかってなきゃ言うかよ、こんなこと。頭がおかしくなりそうなんだよ」
 世界から隔離された白一色の病室はおそらくラングランでもっとも安全な場所だろう。けれどそこに「空」はない。「風」もだ。マサキが望む【ラ・ギアスの空】があの場所には存在しない。その現実はたやすくマサキの心身を蝕んだ。
「私にあなたをさらえと?」
「しばらく匿えって話だよ。何でそんな物騒な話になるんだよ」
「あなた以外の人間からすればそういう話ですよ。救国の英雄を拐かせなどとあなたは私の罪状をいくつ増やす気ですか」
「いまさらだろ。どうせ気にも留めてねえくせに。憂さ晴らしに外へ出たいんだよ。ここじゃ息抜きもできやしねえ。それに」
「それに?」
「ヒマワリ畑、行くだろ」
 向けられたのは満面の笑み。
 【夏の庭】——永遠の夏空と入道雲、悪戯な風が踊るヒマワリ畑。彼のためだけに捧げた夏の情景。
「……わかりました。ただ、少し準備が必要です。それが済み次第迎えに来ますから今日はもうおとなしくしていなさい。まだ本調子には遠いでしょう?」
「わかった。じゃあ、早めに頼むな」
 無茶を言う。本当にこちらの気持ちなど知りもしないで。
「ええ、迎えに行きます。必ず」
 今度こそ、今度こそ。過つことなく。
 二度と置き去りにすることがないように。
 誓おう、あなたに捧げたこの血と魂にかけて。

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