「何なの、何なの、何なのよもう。この人さらい! 犯罪者! わけわかんない奴! お兄ちゃんを返せ、返しなさいよ。馬鹿ああぁぁ——っ‼」
プレシアの眼前で堂々と彼女の兄をかっさらっていった国際指名手配犯の悪行に報告を受けたセニアは頭を抱えて突っ伏したのだった。
「……最っ悪だわ。あの男」
そのヒマワリ畑はとある廃村にあった。視界いっぱいに広がる黄金の海原を悪戯な風が縦横無尽に駆け回る。頭上には白い白い入道雲。果てのない紺碧の夏空がシュウの視界を焼く。
「マサキ、起きていますか?」
ガーデンセットの準備を終えシュウは木陰に足を向ける。ヒマワリ畑の隣にはそこそこの大樹がありマサキはその根元で夢とうつつの行き来を繰り返していた。地べたに直接座るのは負担になるだろうと厚めのシートを敷いておいたのだ。
このままだと気が滅入って頭がおかしくなる。外泊させなければ籠城する。とそれはもう徹底抗戦したらしい。マサキの人となりはラングラン政府も十分把握していた。これで実際にマサキの容態が悪化しようものなら政府としても面目丸つぶれである。とはいえ妥協できる部分とそうでない部分はどうしても出てくる。再三にわたる交渉の末、最終的に王家が所有するセーフハウスのひとつを借り受けるということで何とか決着させたらしい。
指定されたセーフハウスはシュウもよく知る場所だった。なるほど。確かにあの場所なら警護もしやすいだろう。そこはシュウとしても非常に乗り込みやすい場所であった。幼い頃に何度か招かれたことがあったからだ。
警護にはラングラン軍ではなく直接魔装機神隊が付いた。もちろん任務があるので人数は限られたが魔装機の性能と何よりマサキとの信頼関係を考えれば妥当な選択であっただろう。
「……生き返る」
リビングのソファに寝転び紺碧の夏空を見上げながら深呼吸する。窓からは土と太陽の匂いを連れた風が絶えず吹き込んでくる。頬をなでる優しい気配に眠気は増すばかりだ。
「マサキ、寝るなら部屋に戻りなよ。まだ本調子じゃないんだから」
警護の面子も含めた食事の準備に追われていたシモーヌが声をかける。
「……ここは風が気持ちいいんだよ」
すでに夢うつつらしい。その顔色は以前よりずっと生気に満ちている。それだけ精神的な負担が大きかったのだろう。
「あ、そういえばもうすぐプレシアが来る時間じゃない。ちょっと手伝ってもらおうか」
外泊二日目。ひねくれ者の兄の様子が気になって仕方がないのか世話焼きの妹は兄の好物を手に「視察」に来る約束を取りつけていたのだった。
シモーヌがキッチンの奥に消えると同時に姿なき侵入者は少し愉快げに笑った。
「迎えに来ましたよ」
プレシアがリビングに足を踏み入れたとき、すでにマサキの姿はなかった。念のため家中の戸を開け放ってみたが影も形もない。まさか。全身から血の気が一瞬で吹き飛ぶ。
「お兄ちゃん⁉︎」
セーフハウスを飛び出す。事態を察した面々もセーフハウス周辺を駆けずり回るが一向に見つからない。最悪の事態が互いの脳裏をよぎる。
激震が走ったのはその直後のことだ。景色の一部がめくれ上がりその奥からあらわになる紺青の鋼。そしてその無骨な手のひらに立つ男とその腕に当然のように抱えられていたのは。
「お兄ちゃん!」
「シュウ、あんた何で⁉︎」
「マサキは今日から私が預かります。定期連絡はテリウス経由でセニアへ。すでに了解は取っていますので。それでは失礼」
一方的に言い放ちコクピットへ。魔装機神ならまだしも通常の魔装機とグランゾンでは性能に差があり過ぎる。
「何なの、何なの、何なのよもう。この人さらい! 犯罪者! わけわかんない奴! お兄ちゃんを返せ、返しなさいよ。馬鹿ああぁぁ——っ‼」
プレシアの眼前で堂々と彼女の兄をかっさらっていった国際指名手配犯の悪行に報告を受けたセニアは頭を抱えて突っ伏したのだった。
「……最っ悪だわ。あの男」
血色はずいぶんと良くなったがそれでも健常者の顔色にはほど遠い。
「安定するにはもうしばらく時間がかかりそうですね。大丈夫。安定さえすればすぐ元通りになりますよ」
そっと頬に触れる。生きている。今度こそ間に合った。そう安堵する声は誰のものだろう。
シュウが駆けつけたときマサキはすでに死んでいたのだ。
肉体から剥離し今まさに精霊界へと飛び立たんとするその魂をモニカによって引き留めさせるとシュウは自らの血と魂とプラーナをより合わせひとつの【楔】としてマサキの肉体と魂に打ち込み固着させた。もちろん外法である。ゆえに代償も大きい。事情を察したチカが暴れるわけだ。まさかプラーナどころか魂まで渡してしまうなんて。
魂を削るように時代を奔りつづけるマサキと外法によって魂を欠いたシュウ。果たしてどちらが先に逝くだろうか。あるいは死なばもろともとなるか。
「どちらでもかまいませんよ」
彼は今生きている。それがすべてだった。
「……ん、どうかしたのか?」
「いいえ。準備ができたので起こしに来ただけですよ。立てますか?」
「お前、ちょっと心配性が過ぎるぞ」
「あなたが無茶ばかりするからですよ」
手を引いた先はガーデンセット。マサキから「家出」の相談を受けたその日に手配したものだ。
テーブルの上には豪華なアフタヌーンティーセットが広がっている。三段のケーキスタンドにサンドイッチ、スコーン、ケーキ。どれだけ金をつぎ込んだのか問いただしたくなるほどそれは芸術的な一品の数々だった。
「……全部は食い切れねえぞ」
今の体調では食べたくでも残してしまうことがわかっているからかマサキは口を尖らせてシュウをにらむ。
「なら、残りは家に帰ってから食べましょう」
夏空の下、時間はただ緩やかに流れていく。ひとごこちついたからかマサキはヒマワリ畑へと歩みを進める。
「やっぱデケぇよなあ!」
本当に嬉しそうだ。子どものようにはしゃぐ彼を見るのは一体いつぶりだろう。
何か思いついたのか足早に戻ってきたマサキはゴミ袋用に持ってきていた新聞紙を数枚取って再びヒマワリ畑へと駆けていく。
「マサキ?」
一〇分ほどたっただろうか。
「シュウ!」
ガーデンセットを片付けていたシュウの背にマサキの快活な声がはね返る。振り返れば、
「見ろよ、これ。スゲぇだろ!」
新聞紙で包んだ大きなヒマワリの花束を抱いたマサキがそこにいた。
紺碧の夏空と白い白い入道雲。視界いっぱいに広がる黄金の海原を背に大きなヒマワリの花束を抱いて立つ新緑の髪の青年。惜しげもなく向けられる満面の笑顔。この世でもっと生命を謳歌する夏の情景。希った【世界】の終着。
「……ええ、本当に」
これが見たかった。この光景に並び立ちたかった。ただ、それだけだったのだ。
「本当に、夢のようだ」
時、ここに来たれり
さあ、今こそバッドエンドを剪定せよ!
「めでたしめでたし」が死んでしまった世界線
その最果ての夏空に独り眠る魂の解放と再会を!
ぱりん
彼方の「扉」が割れる。そして蘇るのは「存在しない」鮮烈な【記憶】
それは ここではないどこか、今ではないいつかの世界線。
違和感を自覚する前に死したはずの言葉が息を吹き返す。
置いて逝ってしまった。置いて、逝かせてしまった。
それが悔しくて悔しくて、どうしようもなくて。泣くこともできないくらいに。だから、次に顔を見たら真っ先に言ってやろうと思っていたのだ。ついでに引っ叩いてやろうとも。
「何やってんだよ、お前。ほんと……、お前、ほんと面倒くせえ奴だな」
「性分です。だいたい半分はあなたのせいですからね」
自覚はあったらしい。何だ、こいつも思い出したのか。ちょっと泣きそうだ。
「そうかよ」
「そうですよ。——おかえりなさい」
かき抱く腕はほんの少し震えていた。
「………ただいま」
果てを知らぬ紺碧の夏空、白い白い入道雲。視界いっぱいに広がるヒマワリ畑。
めでたしめでたしの終着点。
彼らは今、ようやく同じ夏空の下にいる。
かくてバッドエンドは剪定され
ifの枝葉は新たな正史としてめでたしめでたしを取り返したのだった
