テリウス・グラン・ビルセイアの述懐
急ぎの用事があると呼び出されてテリウスが向かった先はテイシスシェルトン。創業二三〇〇年を超えるラングラン最古の高級ホテルであった。
「【認識阻害の魔術】ってほんと便利だなあ」
相手の認識を阻害することで自らの正体を偽り、何者にもなりすます。本当に何と使い勝手のいい魔術だろうか。
テリウスを呼び出したのは従兄弟であり今や背教者としてラ・ギアス全土に指名手配されて久しいクリストフ・グラン・マクソードことシュウ・シラカワであった。
通されたのは最上階下の一室。さて、これは一泊いくらするだろう。今後に備えて資産形成に余念がない従兄弟はそろそろどこぞの優良企業を買収できる程度にはキャッシュがたまったらしく、適当に散財する方法をリストアップしていたはずだ。
「ああ。遅かったですね、テリウス」
「そうかな。これでも結構急いできたんだけど」
出迎えたシュウはいつもの白い外套を着ていなかった。理由はすぐに知れた。視線が飛んだ先はシンプルな革張りのソファ。そこにかかった見慣れた白い外套——からはみ出た新緑の髪。どうやら毛布がわりに引っぺがしたらしい。
「いえ、他にかけるものがなかっただけですよ」
「それはそれで大事件なんだけど」
少なくともこれが他の人間であったなら面倒でも別のものを用意するだろう。間違っても自分の衣服をかけたりはしない。たとえ間接的であっても他人の体温に触れることを目の前の男はひどく厭う。端的に言えば潔癖症。
「また喧嘩したの? いい加減スケジュール立てたほうがいいと思うよ。僕たちは指名手配されている身だしマサキは任務だってあるんだから」
「違います」
「あ、違うんだ」
テリウスは素直に驚いた。過去、似たようなシチュエーションでシュウがテリウスに仲裁役を頼んできたことがあったからだ。
「明らかに無理をしていたものですから強制的に休ませただけですよ。いくら言っても聞いてくれないので少々手荒な方法を取ってしまいましたが」
「魔術でも使ったの?」
「いえ、頸動脈を少し圧迫して気絶してもらいました。手っ取り早かったので」
「いやそれマサキが目を覚ましたら絶対喧嘩になるやつだよね?」
テリウスはたまに思う。この従兄弟、実は存外あほうなのではなかろうか。仮にも【総合科学技術者】の肩書を持つほどの頭脳を有しながらときどきどうしようもない悪手を打つものだから、使い魔であるチカでなくとも、
「ダメだこの男、早くサイフィス喚ばないと」
と天を仰ぎたくなるのだ。
「はぁ。つまり、僕に防波堤になれってことだね。仲裁役よりひどくない?」
「そこまでは言っていませんが」
「同じことだよね? ほんと懲りないよね二人とも。シュウもいい加減学習しなよ。もともと勝率低いんだから」
ある意味二人の相性は最悪だ。
その能力からゲームにおけるジョーカー的な立場にいるシュウにとってマサキ・アンドーというカードは対ジョーカーに特化したエースであったからだ。
「まあ、表面的なところではだいたいシュウが圧勝するんだろうけど本質的な部分ではほぼ勝ち目ないよね。実際、負けてるし。ヴォルクルスに二度洗脳されたときだってあれマサキにどやされたから目を覚ましたんだろう?」
「……」
「最初は驚いたけど、そういえばシュウってマサキに負けず劣らずすごい負けず嫌いだったなあって。いまさら思い出したっていうかさ」
「テリウス」
「うん、言い過ぎた。でも、正直面白いんだよね」
その出自もあってめったに露出することのない従兄弟の人間性。それが当たり前のように息を吹き返す、あるいは生き返らせたのは地上生まれのがさつな少年だった。シュウですら選ばなかった魔装機神サイバスターが望み選んだ少年——マサキ・アンドー。未熟の二文字が服を着て歩いているような「子ども」がまさか彼を追い詰め、ついには打ち倒してみせるなどと誰が予想しただろう。
「今じゃあこの有り様だし」
「テリウス?」
「ごめん。でも、本当に驚いたんだよ。こんなことになるなんて」
束縛を忌み嫌い自由であることに固執した男が執着したもの。天翔る神鳥ディシュナスを模したラ・ギアスの守護神。風の魔装機神サイバスターとその操者。
ことごとく反りが合わないのは確かだろう。だが、最終的その足が向かう先は同じなのだ。違いがあるとすればそこが表か裏かのただ一点。
「いい加減カミングアウトしてもいいとも思うんだけどね。そのほうが周りの被害も減るだろうし」
「それができたら苦労はしませんよ」
その関係を公にするには彼らの立場はあまりに複雑すぎた。内外どちらにおいてもだ。まさかラ・ギアスの平和を守護する魔装機神操者と一時とはいえ破壊神を信奉しラングラン王都を崩壊に導いた背教者が通じていたなどとスキャンダルどころの話ではない。
「まあ、それはそうなんだけど、正直、今の時点でもう十分きついんだよ」
才媛であるもう一人の異母姉からはごくごくまれにではあるが一方的に愚痴を聞かされることがあるのだ。少しの間でいいからあの男を何とかしろ。うちのエースをかっさらっていく気かこの偏屈変人。人でなしの犯罪者。プレシアに「通報」してやる等など。
言いたいことはわかる。だが、前者はともかく後者に関しては諦めてもらうしかない。目の前の男の執念深さは周知の事実。一度手にしたものそれも切に望んでようやく手にしたものをどうしてこの男が手放そうか。
彼の破壊神すら意地と執念で木っ端微塵にした男である。そんな男の手から唯一無二を取り上げようものなら大惨事どころの騒ぎではない。最大出力の縮退砲でも撃たれたらどうするつもりなのだ。
「なんていうか相手が悪かったよね。お互い」
売り言葉に買い言葉の応酬で危うく州都規模のエリアを灰燼にしかけるほど反り合わないくせに何だかんだいって最終的に背を預けるのは互いしかいないのだ。
「うん、面倒くさい」
それがテリウスの忌憚ない感想であった。本当に面倒くさい。
「ん?」
視界の端で白い外套が動く。合わせて新緑の髪も揺れる。寝返りだろうか。
「起きたようですね」
「じゃあ、シュウは隣の部屋にでも移動しててよ。このまま顔を合わせても喧嘩になるだけだろうから」
「そうですね。では、任せましたよ。テリウス」
「うん。任されてほしくないけど頑張るよ」
「ふぁ……。あれ、テリウスじゃねえか?」
「ああ、おはようマサキ。久しぶり」
「めずらしいな。どうかしたのか?」
寝起き間もないからか気絶直前の「記憶」もいまだ夢うつつらしい。好機。自らに降りかかるであろう火の粉を最小限に抑えるべくテリウスはこの後一時間にわたって奮闘することになるのだった。
「ですが、もとをただせばあなたが体調管理をおろそかにしていたのが原因でしょう。あなたはサイバスターの操者。一六体の正魔装機を束ねるリーダーなのですから、もう少し自身の体調に気を配るべきではありませんか。この体たらくではプレシアも気が気ではないでしょう」
「あぁ⁉︎」
無事停戦協定が締結されたのもつかの間。ある意味心配性な従兄弟の真っ当な指摘により停戦締結からわずか十数分にして非情の第二ラウンドは幕を開けたのだった。
「処置なしってああいうことを言うんだね。勉強になったよ」
テリウス・グラン・ビルセイアは後にそういって匙を投げたそうである。
