Please don’t wake him up
彼の「幸運」の対象はどうやら金銭だけではなかったらしい。まさか太平洋のど真ん中で迷子になった挙げ句、高熱を出してひっくり返っているなどと誰が想像しようか。
伊豆基地に帰投中、ハガネのレーダーに見覚えのある機体を認め恐らく迷子になったのだろうと通信チャンネルを開いてみれば画面いっぱいに映ったのはパニック状態の猫二匹。
「マサキが起きないんだにゃ!」
「助かったにゃ。すごい熱にゃの。お願い、助けてほしいにゃ‼」
人語で泣き叫ぶ猫などどこのファンタジー映画かと一笑されそうな展開であるが、如何せんこの二匹の主人は真実、ファンタジーの世界からやってきているのでその嘆願を一蹴するわけにはいかない。何より彼は大切な仲間なのだ。
「なあ、ライ、アヤ」
「ああ、行くぞリュウセイ」
「そうね。いつものことだけど彼も器用よね」
艦長であるテツヤ・オノデラの許可を得るとSRXチームは洋上のサイバスターを回収すべくおのおのの機体へと向かったのだった。
「風邪気味だって自覚があるなら誰かに代わってもらえよ。マサキ、絶対迷子になるんだからさ」
「リュウセイの言う通りだ。いくらサイバスターの動力が永久機関とはいえさすがに無謀だぞ」
「風邪ですんでいるうちで良かったわね。あのまま悪化していたら最悪肺炎になっていたのよ?」
「……悪かったよ。おれだってこんなことになるとは思ってなかったんだからさ」
回収と同時に医務室へ放り込まれたマサキは口を尖らせる。少なくとも日本にはたどり着けると思っていたのだ。実際は太平洋のど真ん中で立ち往生してしまったのだが。
「まあ、北極海とか南極のど真ん中に出なかっただけまだマシだよな」
「よせ、リュウセイ。しゃれにならん」
「本当に運が良かったわね。あのまま私たちが気づかなかったらどうなっていたことか。それにしてもどうして地上に?」
何か事件でもあったのかと尋ねれば不機嫌さを隠そうともせずマサキはぼやいた。
「いや、シュウの奴が……」
また、めずらしい名前が出たものだ。三人そろってきょとんとした顔をすればその反応が癪に障ったのかマサキはシーツに潜り込んでしまう。黙秘権行使だ。
マサキに代わって説明役を買って出たのはシロだった。
「まえまえから監視してた武装組織の幹部がヴォルクルス教団の関係者だったみたいで、呪術的な資料の解析をシュウに依頼してたんだにゃ」
かつてシュウがヴォルクルス教団に属していたとき、シュウは最高位である大司教の地位にいた。当然、教団の枢機に触れることも多々あり教団に関連する資料の解析を依頼する相手としてはうってつけだったのだ。
「それで何で地上?」
「なるほど。何らかの事情で地上に出ているのか」
「そういえばグランゾンは単独でゲートを開けたのよね?」
「そうにゃ。グランゾン以外でゲートを開ける機体はサイバスターだけなんだにゃ」
「本当はシュウがラ・ギアスに戻ってから資料を受け取る予定だったにゃ」
だが、そんなに都合良く物事が運ぶはずもなく、件の武装組織はこちらの想定より半月も早く行動を起こしてくれたのである。迷惑きわまりない。
「シュウの帰りをのんきに待ってられなくなったにゃ」
「それでマサキが出てきたのか。確かにサイバスターなら宇宙にでも出ていないかぎりすぐに捕まえられるだろうな」
たとえ迷子になったとしてもサイバスターの機動力はそれを補って余りある。
「しかし、体調を崩しているなら話は別だ。そもそもシュウの居場所はわかっているのか。まさか、手当たり次第に捜すつもりだったとでも?」
「……」
「図星だった」
「図星なのね」
「いくら何でも無茶が過ぎる」
冷静かつ真っ当な指摘であった。
「いや、だってあいつやることなすこといちいち派手だしその辺を捜してたら見つかるかなって」
「まあ、存在が派手なのは認めるだけどさ」
「そんな無謀な考えで見つかるはずがないだろう」
「私たちも手伝えないか隊長に相談してみるから、あなたはもう少し休んだほうがいいわ」
「……悪い、頼まぁ」
焦っていた自覚はある。悔しいが今は言われた通り身体を休めよう。そう肩の力を抜けば倦怠感と眠気は一気にマサキの意識をさらっていった。
そういえば彼も「幸運」の持ち主だっただろうか。医務室を出てすぐ、音もなくすれ違った人物にリュウセイのみならずライとアヤまでもが立ち止まって唖然としてしまった。
シュウ・シラカワ。
一体誰の許可を得て、否、それ以前にどうやって基地のシステムをかい潜って侵入してきたのか。生身で基地に近づけるはずもないのだからグランゾンに乗ってきたのは間違いないだろうに。
「え。あ……、えぇっ⁉︎」
三人そろって立ち尽くすこと一分と十数秒。慌てて医務室へと踵を返したときにはすでにシュウはマサキを抱えて立ち去る寸前であった。
「おい、ちょっと待てよ。マサキをどうするつもりだ!」
体調を崩した友人を目の前で連れ去られてなるものか。猛然と食ってかかるリュウセイにシュウは冷ややかだった。
「見ての通り連れて帰ります。ここでは満足な治療などできないでしょう。もともと彼は私に用があったのですから私の用事が片付き次第、私たちはラ・ギアスに帰ります。あなた方の手は借りません」
あからさまな拒絶。取り付く島もないとはこのことか。
リュウセイはその剣幕に目をしばたたかせる。一体何に腹を立てているのか目の前の男はたいそう機嫌が悪かった。にもかかわらず男の腕に抱かれた友人はのんきに寝息を立てているだけで一向に起きる気配がない。
「……スゲぇなマサキ」
友人の豪胆さにリュウセイはちょっとした感動すら覚えていた。
「それよりそこをどいていただけませんか。すでに医師の手配はすんでいます。こんなところで時間をかけている暇はないのですよ。彼が起きたらどうするつもりです」
押し通る。殺意さえにじむ怒気に気圧されて道を開ければ颯爽と白い外套が翻り、数メートル進んだところでその背中が忽然と消え失せる。男が魔術の使い手であったと思い出すまで三人はただ呆然と立ち尽くしたのだった。
「そうだ。ちいちゃんだ!」
シュウたちの姿が消え張り詰めた緊張感が四散してしばらく、のんきなリュウセイの大声が廊下に響き渡った。
「は?」
「誰それ?」
「ん、親戚の女の子。何か似てると思ったんだよ」
ちいちゃん。五歳になったばかりの親戚の女の子。親戚の集まりがあるたびに身の丈ほどもある大きなテディベアを抱えていた子だ。
誰かに奪われるはずもないのにまるで胸の中にしまい込むように目に見えない何かからかばい守るように、常にテディベアを抱きしめて歩いていた。
「どっかで見た覚えがあったんだよ」
たった今当然のようにマサキを抱えて立ち去ったシュウはそんなちいちゃんにそっくりだったのだ。
「いや、さすがにそれは……」
「私にはそんなふうには見えなかったけれど」
「何でだよ。あんなにわかりやすかったのに」
誰かに奪われるはずもないのに大事に大事に抱え込んで、決して離しはしないと誓うように。
「ちょっと怖いよなあ」
あんなふうに大事にされてしまってマサキは大丈夫だろうか。激情家で喧嘩っ早い友人の将来をリュウセイはちょっとだけ憂いてしまうのだった。
「何かあればすぐに専用回線へ連絡するようあれほど言い含めておいたのに、何をしているのですかあなたは」
軽い頭痛を覚えるシュウとは対照的にベッドで寝息を立てているマサキが起きる気配ない。
このホテルはシュウが極東地域で行動するさいによく利用しているホテルだった。各国の要人が頻繁に利用することでも有名でプライベートもセキュリティも万全だったからだ。
「まえまえから思ってましたけどクリニックフロアがあるホテルってめずらしいですよね?」
肩に止まっていたチカが言う。創業家の親族がいくつか病院を経営しているらしくホテル内には複数のクリニックを集めたフロアがあったのだ。
「点滴打って数日おとなしく寝ていれば大丈夫って話ですし、そこまで心配する必要はないんじゃありませんか?」
「チカ、あなたは人の話を聞いていたのですか?」
武装組織に根を張ったヴォルクルス教団。話を聞くだけでも腹立たしい。もとをただせば連中がくだらない計画を立てるからこんなことになったのだ。せめてこちらの予定通り半月後に行動を起こせばよかったものを。
「いやそれ理不尽。そもそも行動を起こすと同時に叩きつぶす予定だったじゃないですか」
「当たり前でしょう。不愉快な」
主人の機嫌はずいぶんと荒れていた。まあ、目の前で寝込んでいる相手が相手なのでそれも致し方あるまい。
「私は少し出てきます。後は頼みましたよ」
八つ当たりだ。チカは悟った。自業自得とはいえまたずいぶんと悲惨な最期もあったものだ。脱出装置が正常に動作すればさすがに見逃すだろうが、さて、正常に動作する装置が果たしていくつあることやら。
「まあ。でも、仕方ないですよねえ。マサキさん寝込んでますし、仕方ないですよねえ」
「助ける気は皆無なんだにゃ」
「皆無にゃのね」
君子危うきに近寄らず。一羽と二匹は用意されたおやつを頬張りながら粛々とお留守番にいそしむのだった。
「ワームスマッシャーから間髪いれずにブラックホールクラスターはいくらなんでも非情だと思うのよ。八つ当たりにしても度が過ぎてるわ。一応、犯罪者にも人権ってあるのよ。過保護にもほどがあると思わない?」
「ゴメンナサイ」
後日、セニアの愚痴につき合いながらもうちょっと体調管理に気をつけようと誓ったマサキだった。
