最悪な男
あの男は最悪だ。
出自と知能と容姿に恵まれ冷淡で頑固で執念深い。他者を操ることはあっても自身が操られることに関しては徹底的に抵抗する。それこそ一切合切を破壊してでもだ。
あの男は本当に最悪だ。
当人たちの意思であったとはいえ結果的に家族を奪い、今度は大事な仲間をかっさらうかもしれないのだ。
「最悪よ、本当に最悪よ。あの男」
シュウ・シラカワ。
本名クリストフ・グラン・マクソード。
父、国王アルザールの弟である大公カイオン・グラン・マクソードと地上人ミサキ・シラカワとの間に生まれた大公子。そして今や背教者としてラ・ギアス全土にその名を轟かせる国際指名手配犯。
「そこまで毛嫌いすることはないんじゃないかな」
セニアの私設研究所のモニターで向かい合っているのは異母弟であるテリウスだ。情報交換を建前に二人は不定期に言葉を交わしていたのである。実情はセニアの愚痴放出大会であったが。
「毛嫌いなんてしてないわよ。ただ腹が立つだけよ。ほんと何なのよあの男。マサキまた行方不明なのよ。迷子判定の三日は超えてないけど絶対あいつよ、あいつのせいだわ。こっちは万年人手不足なのに何してくれてんのよ——っ!」
今にもドライバーとスパナをモニターに投げつけてきそうな剣幕にさすがのテリウスも後ずさる。
「……姉さん、荒れてるね」
「今荒れずにいつ荒れるのよ‼」
ヴォルクルスも裸足で逃げ出す剣幕とはこのことか。テリウスは覚悟を決める。この大嵐が過ぎ去るまで自分はただ相づちを打つだけの銅像になろう、と。
「でも、そうだね。姉さんほどじゃないけど喧嘩するならもうちょっとマシな理由にしてほしいと思うことはあるね」
だいたいはマサキの不摂生や無茶が発端となることが多いのだが、まれにシュウが悪手を打って大噴火を引き起こすことがあるのだ。
「あれいつだったかな。何度言ってもマサキが休まないから気絶させて眠らせたことあったんだよね。せめて魔術を使えばよかったのに」
「何それ馬鹿じゃないの。そんなことしたらマサキ絶対切れるわよ?」
「うん。そこは僕が何とか乗り切ったんだよ。でも、その直後にシュウが正論でマサキを一刀両断しちゃって大変だったんだ」
それから約二カ月間。機嫌が直るまでの間、マサキは一言もシュウと口をきかなかった。それどころか今まで何とはなしに訪れていたセーフハウスにも一切近寄らなくなったのだ。
強情さでは五十歩百歩の二人であったがさすがのシュウもこれには参ったようで、テリウスを経由して和解の場云々とそれはそれは面倒くさい話になったのだ。
「普段はともかくプライベートでシュウがマサキに勝てた試しってないんじゃないかな」
これが「任務」や「研究」であったなら数カ月の音信不通もけろりとした顔で過ごして見せるのにまったく不思議な二人である。
「本当に面倒くさいよね。でも、そのおかげかな。人間味は昔よりずっと増したと思うよ。姉さんもそう思わない?」
「…………そうね、そこだけは認めてやるわよ。ムカつくけど」
常日頃から何を考えているか読めない男だった。必要であればいくらでも上辺を取り繕い、策を弄し相手を操りながら時に叩きつぶす。そうして自分にもっとも優位なテーブルに引き寄せるのだ。その容姿はもちろんのこと生まれ持った優秀な頭脳こそがあの男の最大の武器だった。
「それが今じゃあれだもの」
年下のそれもがさつで反りが合わない青年に執心し振り回されている。まるで普通の人間のように。
「ただ、とばっちりのスケールがちょっと問題だよね」
過去、何度か巻き添えを食らっているテリウスは大げさに肩をすくめてため息を吐く。
「ああ、あったわね。そういうことが」
以前、ヴォルクルス教団が一枚噛んでいたテロ組織の壊滅作戦にシュウが飛び込んで来たことがあったのだ。資料の解析を依頼していただけであったのに何事かと当時は関係者全員が戦慄したものだったが、蓋を開けてみればそれが遠因となってマサキが倒れたからだというではないか。取るものもとりあえず駆けつけたため当時取りかかっていた研究も資料解析もすべて台無しになったらしく、早い話が八つ当たりであった。
「ワームスマッシャーから間髪いれずにブラックホールクラスターとか本当に何を考えてるのよあの男は」
オーバーキルにもほどがある。しかも、事が終わると同時にさっさと地上へ戻ってしまったのだ。事後処理の一切をこちらに丸投げして。
「せめてあのすかした顔を張り倒しておくべきだったわ」
テリウスはありありと想像できてしまった一連の光景にただただ呆れるばかりだ。
「そういえば、シュウから聞いたんだけどこの間セーフハウスの改装をしたらしいよ」
「何よ、うさんくさい研究室でも増設したの?」
「違うよ。手を入れたのはカイオン大公がシュウとミサキ様のために用意した館なんだ」
「え、あそこ⁉︎」
話には聞いていた。だが、その場所については親族であるセニアも父であるアルザールすらも知らなかった。そこにいまさら手を加えるとは一体どんな心境の変化があったのか。
「改装したのはミサキ様の部屋なんだって。あの館にはシュウとミサキ様の部屋しかなかったから」
それは誰のための改装であったのかもはや問うのも馬鹿らしい。セニアは脱力感に天を仰ぐ。
「ほんと、馬鹿じゃないのあいつ」
果たしてあれをただの執心と呼んでいいものか。「友人」の将来を憂い、セニアは少し、否、かなり申し訳ない気持ちになる。
「いまさら逃げろって言っても間に合わないわよね」
「無理だと思うよ。だいたい純粋な飛行速度でいったらサイバスターよりグランゾンのほうが上だからね」
駄目だ。これは諦めてもらしかない。セニアは天に祈った。もう祈ることしかできなかった。
「話は変わるんだけど」
「何よ?」
「たった今シュウから通信が入ったんだ。繋げていいかな?」
「むしろ今すぐ繋げないと試作のウイルスばらまくわよ」
セニアの目は半ば血走っていた。
「ひどい顔ですね。少し休んではどうですか?」
開口一番がこれである。事の元凶はどこまでも悪びれることを知らない。
「今すぐそのむかつく顔を引っ叩いてやるからちょっとこっちに来なさいよ」
「お断りします。あなたの場合は命の危険をともないそうだ」
「よくわってるじゃない。それより用事って何よ。マサキそこにいるんでしょう。今度は何をしたのよ?」
「特に何も。ただ、少し体調を崩してしまったので回復するまでこちらで預かります」
「は?」
時空間圧縮ないし空間跳躍技術の劇的進化到来はいつだろうか。セニアは今、スパナサイズのゲート発生装置が心の底から欲しかった。
「あんたよね?」
「何がですか?」
「しらばっくれるんじゃないわよ。元凶、あ・ん・た・よ・ねっ‼」
「話が早くて助かります」
この世でいけしゃあしゃあの八文字がこれほど似合う男が他にいるだろうか。少しは自重しろ。
「今日明日、養生すれば明後日にはそちらに戻れると思いますよ。ああ、その時は私が責任を持って王都近くまで送りますので安心してください」
「あんたが送ってくる時点で安心できるわけないでしょうが——っ‼」
セニアは心の底から憤怒の絶叫をほとばしらせる。
最悪な男。
かけがえのない唯一を得て人間味が増し、少しはまともになったかと見直しかけたいけすかない従兄弟。
「あたしの考えが甘かったわ」
慇懃無礼と沈着冷静の化合物。どこまでも最悪な男。
「ごめん、マサキ。諦めて……」
敵に回せば最凶最悪の障害になるであろうが味方となれば非常に頼もしいジョーカーになるのだ。セニアは敗北感を噛みしめる。苦い味だった。ざっくばらんな友人は尊い犠牲となったのだ。
「本当に最悪な男」
とりあえず、ミオあたりに長身の成人男性を張り倒す方法について相談してみよう。頼るべきは合気道の有段者である。
その後、テリウスとの会話を打ち切ったセニアは現実逃避を兼ねて某所へのハッキング行為に没頭するのだった。
