最悪な男

長編・シリーズ
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テディベアの叛逆

 その日、ついにマサキの堪忍袋は切れた。

 幼子でもあるまいにシュウはことあるごとにマサキを抱き込んだ。もはや習慣と化して久しい。だが、抱え込まれる側としては正直勘弁してほしいというのが本音だ。自分はぬいぐるみではない。地上はともかくラ・ギアスにおいては立派な成人男性なのだ。端的に言えば屈辱きわまりない。
「あのな、お前いい加減にしろよ?」
「そうは言っても無意識下のことなので」
 何度注意しても反省と改善の余地が一向に見受けられない。
「ええ、無理デスよ。だってあれご主人様的に精神衛生上の特効薬みたいなものですし」
「いや、何だよ特効薬って」
「説明いります?」
「やっぱいい。つか言うな。絶対言うな。言った瞬間ぶん殴って木に吊す」
「そこまでっ⁉︎」
 もちろんマサキにだって非はあった。シュウがめったになく嬉しそうな顔をするものだからついつい受け入れてしまったのだ。結果、こんなことになってしまったわけだが。とはいえ、こんなテディベア扱いがいつまでもまかり通っていいはずがない。
「せめてもうちょっと自重してくれ……」
 まさかこの自分がシュウ・シラカワを相手に自重してくれなどと懇願する日が来ようとは。思わず天を仰ぎそうになるマサキをさすがに不憫に思ったのか、チカがある必殺技をマサキに伝授してくれた。
「幼稚園児じゃあるまいに。と思うでしょうけどたぶん効きますよ。マサキさんが言うなら」
「いや、効果があるなら試してみるけどよ、これが効くってどうなんだよあいつ的に。キャラ崩壊起こしてねえか?」
「テディベア化させられてる時点でもうキャラ崩壊起こしてるでしょうが。だいたい普段の散財と過保護を振り返って言ってくださいその台詞」
 チカの言葉に沿ってマサキは素直に記憶を振り返る。
「……」
 マサキは沈黙した。いまさらながら何かいろいろとすごいものを見せられていたと理解したからだ。
「まあ、そんなわけですから、次きたら使っちゃいましょう、思いっきり!」
 果たして本当に効果があるのかどうか。現状を打破できるならばたとえ藁でもすがりたいところだが、半面、こんなことが切り札になるのはちょっといやだなあとも思ってしまうのだ。できればこれを使う前に改心して欲しい。しかし、世の中とは厳しいものでついにマサキがあの必殺技を使う事態が訪れてしまった。
「てめぇ、いい加減しやがれ。もういい。こっちくんな! 来たら向こう一カ月口きかねえからなッ‼」
 その刹那、すとんとシュウの顔から感情が抜け落ちる。まさかの一撃必殺である。
「……チカ、ですね?」
「…………ぇ、ぁあ、ぉ、お…うん」
 とてもではないが正視できない。それくらい恐ろしかった。
「用事ができました。少し席を外します」
 間もなく聞こえてくるだろう断末魔にマサキはひたすら十字を切って祈った。
「生きろ、チカ!」 
 助けに行く気はなかった。
 誰だって我が身は可愛い。というか怖いんだもん!
 そして一週間後、マサキはシュウのメンタルの頑強さを見誤っていたおのれを恥じた。テディベア状態復活である。
「は・な・せって言ってんだろ。ほんとに口利かねえぞ!」
「ええ、根っからの善性であるあなたにそんなことができるのであれば、どうぞお好きに」
 同じ手は二度と通じなかった。それどころか以前よりもさらに楽しげだ。起死回生を狙ったはずがこれでは自ら墓穴に飛び込んだも同然ではないか。
「ちくしょう!」
 その場で地団駄を踏みたかったが抱き込まれていてはそれも叶わない。
「もう、こうなったらなりふりかまっていられるか!」
 マサキは「最終手段」に逃げ込んだ。

「いくらでも愚痴聞いてやるから匿え、セニア‼」
「じゃあ、サイバスターのシステム触らせなさい。そうしたら考えてあげる」
「ウェンディにばれない範囲にしろよ」
「任せなさい。好きなだけ転がってていいわよ!」
 マサキが逃げ込んだ先はセニアが私費で買い上げた一軒家規模の研究所であった。
「え、何それ。馬鹿じゃないの」
 事の次第をマサキから聞き終えたセニアは辛辣だった。もともとセニアとシュウの関係は微妙だ。
 王都崩壊後、セニアの双子の妹であるモニカと異母弟であるテリウスは紆余曲折を経てシュウの一向に加わった。以来、二人はシュウと行動を共にし、時にマサキたちと対立し時に共闘しながら今日に至っている。
「どこまでも面の皮が厚いわね、あの男」
 セニアにとってマサキは同年代でなおかつ対等に近い立場にいる数少ない友人だ。立場上セニアが決して口にできなことを部外者であるマサキは無遠慮に口にしてみせる。腹立たしいこともあるがセニアからすれば胸がすくことのほうが多かった。
 そして今やマサキは魔装機神隊のリーダーだ。近衛騎士団の師団長に推薦されたときはさすがに驚いたがその人となりを考えればむしろすんなり納得できた。
「モニカとテリウスの次はマサキですって?」 
 ラ・ギアスの平和のために結成された魔装機神隊の任務はどれも過酷だ。特に散発するヴォルクルスの分身討伐に至ってはたとえ魔装機神であっても常に死を覚悟しなければならない。
 【大量広域先制攻撃兵器】であるサイフラッシュを有しなおかつ高い機動力と飛行能力を持ち合わせた最強の魔装機神サイバスター。そして、理論上可能とされるだけで誰も到達できなかった精霊憑依を果たしたサイバスター操者マサキ・アンドー。彼の存在の有無で戦局は激変する。
 何があろうと彼にはこちら側にいてもらわなければ困るのだ。もちろんあの男が愚かでないことはわかっている。決定的な一線は越えないだろう。マサキのために。
「そういえば、マサキ、今日はどうするの。あたしは帰るけどこのまま泊っていく?」
 背を振り返ればそこにマサキの姿はなく視線を横にずらした先、部屋の隅にあるソファの上で軽くいびきをかいていた。
「まあ、一晩中対策を考えてたっていうから仕方ないわね」
 せめて起きたときのためにミルクティーの準備でもしておこう。そう、簡易キッチンに足を向けた瞬間、研究所周辺に設置しているセンサーが来客を告げる。
「さっさと帰らないとストーカーとしてプレシアに通報するわよ」
 インターホンが通じた瞬間、セニアは一方的に言い放つ。画面の向こう側にいたは言うまでもなくシュウだ。仲間内にも秘密にしているこの場所をいつの間に嗅ぎつけたのか。まったく油断も隙もない。
「私はまだ何も言っていないのですが」
「あんたがここに来てる時点で言ってるようなもんでしょ。もうちょっとマサキの気持ちを考えなさいよ」
「マサキにも言われましたが、何分無意識下のことなので」
「だから、余計に質が悪いのよ!」
「善処します。では、マサキは連れて帰りま」
「あんたが帰れ」
「人の発言を途中で遮るのは品がありませんよ」
「あんた相手に品なんていらないわよ。と・に・か・く、マサキは今日はあたしが引き取るから。あんたは自重する訓練でもしてなさい。でないと本当にマサキ、胃を壊すわよ」
 セニアは辛辣だった。だが、一理あるのも事実。シュウはおとなしく引き下がった。
「さて、どうしたものか」
 途方に暮れる。人間の無意識下における行動の制御となると一朝一夕で解決できる問題ではない。魔術で解決できないかとも考えたがそもそも魔力が高く魔術に耐性のあるシュウに精神操作系の魔術は効きづらい。
「もういっそ記憶喪失にでもなります?」
 めずらしく思案顔の主人を心配したチカが軽い冗談を投げる。
「顔を見た瞬間に思い出すので無理ですね」
「即答! 何その激強メンタル⁉︎」
 逆に撃沈しただけであった。
 しかし、結果としてこれが勝利の要因となった。
 シュウが何度も口にしていたようにマサキは善性の人間だ。険のある表情で何日も時に寝食すら忘れて思い悩む姿を見せられてはさすがに罪悪感も芽吹こうというもの。
「……なあ、もういいよ」
「何がです?」
 ひどい顔だ。だがきっと本人に自覚はないのだろう。
「もうぬいぐるみとか何とか言わねえからちょっと休めよ。お前、顔色ひどいぞ」
「ですが、今のままではまたあなたの気分を害するでしょう?」
「だから倒れるまで悩むって? 馬鹿言ってんじゃねえよ。いいからさっさと休めっての!」
 そのままベッドに蹴り飛ばす。
「でしたら、あなたも一緒に休みましょう。一人寝は寂しいのですよ」
 いけしゃあしゃあと悪い大人はマサキを捕まえてシーツにくるまる。
「何だろう……。つか、何だ? 何かスゲぇ負けた気がする」
「気のせいですよ。明日は気分転換に地上にでも出かけましょう。あちらなら人目を気にする必要もありませんから」
「職権濫用」
「グランゾンで行けば問題ないでしょう?」
 何だか煙に巻かれた気がする。気づけばいつも通りシュウの腕の中。本当にテディベアになった気分だ。
「なあ、さっきまでスゲぇ疲れてたのに急に元気になったよな、お前」
 顔にありありと出ていた疲労感は見事に吹き飛んでいた。まるで今までのすべてが演技だったかのようだ。 
「気のせいですよ」
 そうっと抱きしめられる。途端にやってくる眠気。何だか考えるのも馬鹿らしくなってきた。マサキは知らずたまっていた精神的疲労に引きずられるままゆっくりと意識を手放したのだった。
「あなたの善性には感謝してもしきれませんよ」
 目的のためには手段を選ばない悪性の男はそう言って腕の中の唯一に向かって満足そうに微笑んだのだった。

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