最悪な男

長編・シリーズ
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ブルーベリージュース

 がさつな性格がクローズアップされがちだがマサキは一通り料理ができる。プレシアにすき焼きを教えたのもマサキだ。プレシアからも「おいしい」とお墨付きをもらっている。ただし、「おいしいけれど個性がない」という悲しい評価であったが。
 魔装機操者は身体が資本だ。健康第一なので好き嫌いなどもってのほか。しっかり食べてしっかり動く。休むときは休む。
「お兄ちゃんの場合は動き過ぎなの。ちゃんと休むのも仕事なんだからね!」
 休日、おとなしく休んでいるかと思えばラングラン軍の訓練場に顔を出して無差別格闘技大会の震源地になっていたりするのだ。しかも喧嘩殺法上等。実戦的な経験値は一気に積み上がるが内容が内容なだけに負傷者も少なくない。そのうえ肝心の本人はストレス発散程度の感覚なのでいくらたしなめてもどこ吹く風。最終的にヤンロンを召喚して力ずくで連れ帰った回数はそろそろ片手の指だけでは足りなくなってきている。
 そんな健康優良児であるマサキと比べてシュウは完全なインドア派だ。もともと研究者肌というのもあるだろう。とはいえグランゾンをあれだけ見事に乗りこなしているのだからパイロットに必要な鍛錬は最低限こなしているはずだ。
「お前ほんと不健康なのな」
 マサキが何とはなしに訪れる各地のセーフハウスには大抵シュウがいた。あまりにも偶然が重なるものだから一時は図られているのではないかと怪しんだこともあったが、問いただしてみると本当に偶然だったのでマサキは途中から考えるのをやめた。偶然なら仕方がない。
 マサキがセーフハウスを訪れた日はだいたいシュウの機嫌がいい日であることが多かった。そして機嫌がいい日にかぎってシュウはレポートの束を抱えていた。問えば気分が良いので試作のプログラムやらセンサーの設計に没頭しているらしい。だとしても限度というものがあるだろう。文字通り山と積み上げられた設計図と資料、書きかけの論文の束。あまりの惨状に一体何度頭を抱えたことか。
 二徹三徹は当たり前。食事は摂っているというが実際に冷蔵庫を開けてみればいわゆる一食置き換えタイプのダイエット食品が牛乳とセットで数箱詰め込まれていただけという惨憺たる有り様だ。
「お前もう寝ろ。そして食え!」
 日頃から無茶と過労の二重苦生活を送っている事実を棚に上げマサキはシュウを寝室に蹴り込む。そして何だかんだと食事を用意し不足分の食糧を買いに出て迷子になる。それがお決まりのルーティンだった。しかし、マサキがシュウのセーフハウスを訪れるのは文字通り「気が向いた」ときであって常ではない。
「……あいつ、いつか倒れるんじゃねえか?」
 むしろよくも今まで倒れずにいたものだ。
「やりゃあできるんだから面倒くさがらずに食えばいいのによ」
 地上にいた頃の経験からかシュウは自炊ができた。だが、一度物事に没頭すると周りが見えなくなるのか食生活をおろそかにするきらいがあったのだ。
「あいつだって身体が資本なのは同じのはずだろ」
 あんな不条理な機体を平然と乗りこなしているのだ。並大抵の体力と技量ではとても追いつかない。食をおろそかにするなどもってほかだ。
「あれを食えこれを食えって人のことを甘やかすまえにちったあてめぇ自身を甘やかせよ。馬鹿じゃねえのか、あいつ」
 本心だった。だから、ほんのちょっとほんのちょっとだけその不健康な食生活に助け船を出してやろうと思ったのだ。

 これは絶対に確信犯だ。
 私設研究所でマサキから相談を受けたセニアは性根のねじ曲がった従兄弟に呆れて声も出なかった。
 ずぼらな人間でも面倒くさがらずに摂れるもの。できれば眼精疲労に効くものがいい。その時点で誰のためのレシピなのか白状したようなものだ。だが、セニアは知っている。あの最悪な男が最小の労力で最大の効果を得るために徹底的に計算され尽くした生活を送っていることを。
 研究に没頭して寝食をおろそかにすることはままあるだろう。だが、それをリカバリーするための計算はきっちり行っているはずだ。ランダム要素が加わるとしたらマサキの来訪くらいだろう。
「心配するだけ無駄よ」
 そう一蹴すればいいだけの話だったがセニアは律儀に自分が愛用しているブルーベリージュースのレシピをマサキに渡した。一つ貸しを作ったと思えばいい。単純にマサキの善意に手を貸してやりたかったというのもある。割合としては後者が大きかった。
「何でよりにもよってあれに捕まったのよ……」
 最悪な男。
 かけがえのない唯一を得て人間味が増し、少しはまともになったかと見直しかけたいけすかない従兄弟。気のおけない「友人」が選んでしまったある種の天災的人罪。
「マサキ、もうちょっと男を見る目を養ったほうがいいわよ」
 まあ、もう逃げられないだろうけれど。
「何の話だよ」
「ただの独り言よ。気にしないで。それより今度感想を聞かせてちょうだい。あたしは好きなんだけど誰にも勧めたことないのよ」
「へえ。じゃあ、今度教えてやるよ」
 そうして足音軽く出ていったマサキを見送るとセニアはいつも通りモニターと向かい合う。
 数日もしないうちに有益な情報を手土産に上機嫌なメールが自分の元に届くだろう。セニアには確信があった。
「この程度のことで浮かれるんじゃないわよ」
 本当に一発引っ叩いてやりたい。「友人」の悪運あるいは幸運にセニアはただ祈るばかりだった。

 差し出されたブルーベリージュースにシュウは数秒ばかり返す言葉を探してしまった。
「これは?」
「見りゃあわかるだろ。ブルーベリージュースだよ。お前、別に好き嫌いなかっただろ」 
 マサキが持参した水筒の中身はマサキがセニアから教わったブルーベリージュースであった。
 レシピはかんたん。ブルーベリー、にんじん、豆乳、ヨーグルト、はちみつを混ぜてミキサーにかけるだけ。
「これならお前でもできるだろ。お前プログラムとか設計とかに没頭したら飲まず食わずになるじゃねえか。これでも飲んで少しは寝ろ」
「なるほど。眼精疲労向けのレシピですね」
 ならばレシピの提供元は彼女だろう。しかし、セニアが予想していた通り不摂生分のリカバリー対策は万全だ。いまさら余分な栄養など必要ない。時間は効率よく使わなくては。
「あなたが作ったのですか?」
「当たり前だろ。おれ以外に誰が作るんだよ」
「いえ、仲間内で大量に作ったものかと」
「そんなわけねえだろ。お前みたいに不摂生な食生活送ってる奴はおれたちの中にはいねえんだよ。お前以外の誰のために作るんだよ、こんなもん」
 ほとほと呆れたと言わんばかり大きくため息をつくマサキとは対照的にシュウは一瞬言葉を失う。
「私のためですか?」
「他に誰がいんだよ。お前しかいねえじゃねえか」
「あなた、少し言葉選びを考えたほうがいいですよ」
 いろいろと心臓に悪い。そして方々で誤解を招きかねない。とても不愉快だ。
「いちいちうるせえな。いいからさっさと飲めよ。でもって寝ろ。起きたら何か作ってやるから」
 口調は乱暴だがその目許は優しい。たまに見る表情。まるで子ども扱いだ。彼の妹はこんな表情の彼を当たり前のように目にしているのだろうか。
「おとなしく寝ますから、起きたら食料を買いに街へ行きましょう。食べたいものがあるのですよ」
 計算はまたし直せば良い。だが、この瞬間は一度きりだ。逃してなるものか。
「めずらしいな。いいぜ。でも、かんたんなやつにしろよ」
「ええ。もちろんです」
 彼女には相応の礼をしなければならないだろう。今のところ魔装機神隊の手をわずらわせるほどに成長した不穏分子はいない。だが予備軍はいる。この機会に平らげておこう。
「寝るならちゃんと寝ろよ。一時間とか二時間で起きてきたらぶん殴るからな」
 今日は一日つき合うつもりで予定を消化してきたらしい。
「ええ、しっかり休みますよ」
 彼の善意にある程度の期待はしていた。だが、これは望外だ。人の善性とは本当に素晴らしい。
「あんたが性悪なだけよ」
 遠いどこかで悪態をつく従姉妹の幻に背を向けたままシュウはおとなしく寝室へと向かう。
「何事も真面目に取り組むものですね」
「……ご主人様、悪党」
 しかし、いつの間にか肩に止まっていた使い魔の言葉は無情にも聞き入れられることはなかった。何せ主人は根っからの悪党であったので。
 ブルーベリージュースの効果は覿面であった。

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