WONDERLAND 【第二部 開園に向けて】

WONDERLAND
WONDERLAND長編・シリーズ

第四話(一)サルタス・ドゴス

 サルタス・ドゴス。
 すべての始まりはこの男だった。
 ラングランでも大手の製薬会社ドゴス製薬の二代目社長。父であった先代社長の後を継ぎ生来の経営センスをもってわずか数年で会社を躍進させた成功者。
 また、親子二代に続く篤志家で父親の教育のたまものなのかサルタスは多くの孤児院や乳児院に多額の寄附するだけでなく自らもまた子どもたちを引き取り、熱心に教育を施してその自立を助けていた。サルタスの援助を得て裕福な里親に引き取られた子どもたちは多かった。
「話を聞くかぎり非の打ち所がねえおっさんじゃねえか」
「そうですね。これが見返りを求めない文字通りの善意であればこんなことにはならなかったでしょう」
 任務で出動していたメンバーを除く魔装機神隊全員が呼び出された先はシュウの有するセーフハウスの一つであった。報告書確認のため最初にリビングへ招かれたのはマサキたち魔装機神操者四人とリューネだ。リビングではすでにシュウとモニカ、サフィーネとセニアが待っていた。
 サルタスとその周辺の情報を仕入れたのはサフィーネであった。教団で諜報活動を主にしていたサフィーネは【認識阻害】の魔術などなくとも十分に別人を装うことが可能であったため、シュウの命を受けて財界周辺における教団の動向を探っていたのである。
 結果は最悪であった。かつては敬虔なヴォルクルス教徒であったサフィーネですらその所業には吐き気を催したのだ。真っ当な神経の持ち主であれば確実に憤死しただろう。篤志家サルタス・ドゴスはヴォルクスル教団の司祭であった。サルタスはおのれの信仰心を示すため自らの資産と人脈を駆使してヴォルクルスに捧げる巨大な「聖杯」を鋳造していたのである。
「邪神に捧げる【聖杯】なんて矛盾もいいところよ」
 舌打ちしたのはセニアだ。渡されたレポートを握る指先は震えている。それは恐怖でなく怒りゆえだ。サルタスに関する報告書をセニアは一足先に読み終えていたのだった。
「報告の詳細はこちらで読み上げます。書類を渡すのはそのあとです」
「何だよ。いちいち読み上げるより先に渡せばいいじゃねえか。面倒くせえ」
「内容が内容なので私としてはできるだけ視覚的情報による補完はあとにしてもらいたいのですよ。可能であれば女性陣にも退出いただきたいくらいです」
「……そこまでか?」
 知らず声が固くなる。目の前の男がこれだけ冷淡な表情を見せるのは久しぶりだ。
「そこまでです。あなた方の様子次第ではいったん報告を中断します」
 淡々と告げる。そこに感情はない。この報告書にはその価値すらないのだ。
「神殿の場所はまだ調査中ですが【聖杯】の鋳造方法はわかりました」
 子どもを使ったのだ。
「鋳造に子どもだと⁉︎」
 意味を正しく、そして真っ先に理解したのはヤンロンだ。その顔は一瞬で憤怒に染まっていた。
「おい……、今、子ど、もって」
 理解はできても受け入れたくないのかあるいは本当に理解できなかったのか。マサキに至っては言葉すらまともに出せてはいなかった。
 ヴォルクルスの復活に必要な絶望は特に「信頼していた者に裏切られる絶望」だ。
 多額の寄付に過不足のない豊かな暮らし。直接引き取られれば高度な教育はもちろん上流階級に見合う高い教養も身につけられる。それも無償でだ。
 子どもたちにとってサルタスはこの世で誰よりも信頼に値する人間であった。ゆえにその背に憧れて導かれた先が邪神の祭壇であったと理解したとき、彼らの胸を引き裂いた絶望は如何ばかりであっただろう。
 そして【聖杯】の鋳造に消費された子どもたちはおよそ五〇人。【聖杯】を満たす【聖水】を精製するために消費された子どもたちもまたその複雑な手順から四〇人を超えていた。
「……は、消費? 何だよそれっ⁉︎」
 マサキが吠える。拳は震えていた。爪が食い込んだのだろう。手のひらに血がにじむ。
「ここからは具体的な『方法』について説明します。モニカ、無理だと思ったらあなたはすぐに退出なさい。女性が耳にしていいものではない。テュッティ、ミオ、リューネ。あなたたちもです」
 まず【聖杯】の作り方から。
 【聖杯】の外側はオリハルコニウムで作られていたがその内側には一回り小さい鉄製の杯があったのだ。そして、その鉄の材料が子どもたちであった。
 作り方は単純だ。まだ火が小さな炉に材料となる子どもを生きたまま投げ入れ時間をかけて砂鉄とともに焼いたのである。そうして出来上がった鉄塊を伸ばし重ね磨き整えて杯にしたのだ。それがおよそ五〇人。惨劇の光景を想像したのだろう。嫌悪に染まった悲鳴がマサキの鼓膜をつんざいた。
「次は【聖水】についてですが。ヤンロン、念のためマサキを押さえておいてくれませんか。おそらく途中からこちらの話など聞こえなくなるでしょうから」
「おい、シュウ。てめぇ、人のことをなんだと!」
「無理ですよ」
「な……⁉︎」
 シュウはマサキの抗議を一蹴する。プラーナを見ればわかる。今の時点ですでに爆発寸前なのだ。シュウから見てマサキは典型的な善人であった。
「あなたには耐えられませんよ。きっとこの中にいる誰も」
 【聖水】の精製に利用されたのは予想通り子どもたちの生き血であった。だが、ヴォルクルスが求めているのは「信頼していた者に裏切られる絶望」だ。ならば、より純度の高い【聖水】を得るために限りない責め苦が与えられたのは当然であった。
 一人は四肢を断たれた。しかし、失血死を防ぐために必要な措置はきちんと施され、その子どもはただただ世を呪いながら血と涙と糞尿にまみれて餓死していった。
 生きながら炉にくべられた子どもがいれば生きたまま獣の群れに投げ入れられた子どももいた。教団仕込みの鎮痛剤をありったけ投与された子どもたちは無痛の中、むさぼり食われる我が身に泣き叫びながら獣の腹へと骨一つ残さず収まった。
 正気すら危うくなったのだろう。嘔吐をこらえながら最初に部屋を飛び出したのはやはりモニカであった。
 延命処置を施したうえで腹を割き、その正気が失われるまで臓腑を一つ一つ目の前に並べた。もちろん、次の犠牲者となる子どもたちの目の前でだ。その少女は両目を血に染めおのれでおのれの歯を噛み砕きながら息絶えた。
 モニカに続きミオが飛び出す。その顔色はすでに真っ青を取り越して白蝋であった。
 そして最後は某国の監獄。重罪犯のみを収容したその場所にいまだ成人に至らぬ、それも特に見目の良い少年少女を放り込んだのだ。何が起こるかなど想像できぬ人間のほうが少なかろう。惨劇の一部始終は録画されそれは「洗礼」を待つ子どもたちの前で毎夜上映された。人の形を残したまま監獄から出てきた者は誰一人としていなかった。
 ここでついにリューネが両耳をふさいでうずくまる。極度のストレスで声帯が一時的に萎縮してしまったのだろう。叫ぶことすらできず脳裏に焼きついた何かから逃れるように必死に頭を振るのが精一杯だった。
「ヤンロンっ!」
 シュウが叫ぶ。予想は的中した。
「待て、マサキっ‼」
 飛び出す前に何とかはがいじめにしたものの隙を見せれば一瞬でヤンロンが投げ飛ばされていただろう。リューネに加勢を頼みたかったが現実はそんな状況ではない。
「だから言ったでしょうに」
 声に疲労を色濃く残したままシュウは歩み寄るなりマサキの額を軽く突いた。その指先に浮かんだのは宙に描かれた魔方陣だ。この有り様ではまともな会話など望めまい。一気に脱力した体をヤンロンが肩に担いで部屋の隅にあるソファに寝かせる。正直、ヤンロン自身もまたその場に座り込みたかった。身体中の血管が今にも焼き切れてしまいそうだったのだ。テュッティに至ってはすでにその場に座り込んで身動き一つできなくなっていた。かろうじて正気は保てているようだ。
「報告はいったん中止しましょう。この有り様では作戦を練るどころではない」
「そうだな。そうしてくれるとありがたい。僕はミオたちの様子を見てくる。テュッティ、君も少し休んだほうがいい」
 呆然と座り込んだままのテュッティを抱き起こし、ヤンロンもまた部屋を出た。
「シュウ様」
「サフィーネ、あなたも少し休みなさい」
「……はい。ありがとうございます、シュウ様」
 一礼してサフィーネが辞すとまるでそれを待っていたかのようにセニアが口を開いた。
「サルタスはあくまで身柄を拘束するだけよね?」
「抵抗の度合いによるでしょうね」
 にべもない返答にけれどセニアは何も言わなかった。
 身柄の確保に努める。そうは言ったものの今回に関してはまず無理だろう。それがシュウの正直な感想だった。セニアも重々承知しているはずだ。身柄の拘束などどう考えても不可能だ、と。
 サルタスの悪逆は暴露された。この状態でヴォルクルス神殿に乗り込み【聖杯】と共にいるであろうサルタスと向かい合ったとして、果たして冷静でいられる人間がどれだけいるだろうか。魔装機神隊の責務という大義名分を建前に無意識下でサルタスの抵抗を望む人間のほうがおそらく多いだろう。あの男は手を汚しすぎた。シュウ自身、感情で言えばサルタスは司法にかける価値すらない。人間の法が適用されるのはあくまで人間だけだ。
 報告が再開されたのはそれから二時間ほどしてからだった。
 シュウは再び報告書を読み上げる。
 当初はサルタスを社会的に失脚させて身柄を確保するという案も出ていたが、サルタスが堂々と篤志家を名乗りその社会的地位を維持できているのは実際に一部の子どもたちをきちんと養育してその自立を助けていたからだ。
 そして、サルタスから直接の教育を受けた子どもたちの多くは有用な才能を持ち、後々のことを考えてサルタスの支援者あるいはその影響下にある人間たちの養子となっていた。
「彼らはサルタスの功績を証明する立派な『証拠』よ。むかつくことこのうえないけどこの事実は覆せないわ」
 匙を投げる振りをしてくしゃくしゃになった報告書のコピーを投げ捨てたのはセニアだ。
「サルタスの支援者には政財界の有力者も多い。その悪逆をマスコミにリークしたところで握りつぶされる可能性のほうが高いでしょう。ネットに公開するという手もありますがフェイクニュースだと司法で判断されてしまえば期待するほどの効果も望めない。もとより対策済みでしょうからね」
 大企業の社長ともなればネットを含めたマスコミ対策は当然。結局のところ直接現場に乗り込んで身柄を確保するしかないのだ。
「サルタスはその経済力を活かして多くの私兵を擁しています。大半は問題を起こして除隊となった元軍人や刑期を終えた元受刑者です」
「つまり、人道に反する行為に抵抗のない人間しかいないということか?」
 そう吐き捨てるヤンロンの表情には嫌悪を超えて憎悪すらのぞいていた。
 加えて金銭面での自由がある程度許され衣食住に不自由しない生活が保証されているとなればその忠誠心も磨かれようというもの。
「万が一こちらが身柄を拘束されるようなことがあればどうなるかはもう理解できていますね。最悪、相手を殺害するつもりで抵抗を、とは言いませんが相応の覚悟は決めなさい」
 人を殺すことに躊躇のない人間。それも破壊神を信奉する人間に罪悪感なく付き従う手合いだ。人間としての良心などとうに捨て去っているだろう。
「神殿の位置についてはテリウスが調べてくれています。もともと候補地は絞っていましたから近日中には判明するでしょう」
 質疑応答を含めて報告にかかった時間はわずか数十分。対して途中で中断した時間は最終的三時間近くに及んだ。精神的なダメージは甚大であった。
「編成は神殿の位置が判明してから。それで構いませんね?」
 どのみち今の状態では任務どころではないでしょう。自身もまた疲労を隠せないシュウにマサキは異を唱えることなくただうなずいた。そんな気力など一片も残っていなかったのだ。

 神殿の正確な位置が判明したのは三日後のことだった。
 神殿はトロイア州にある古代遺跡の地下にあり比較的新しい神殿であった。建造されてまだ二千年もたっていなかったのだ。
「神殿の機能が回復したのはここ数年。ただ、他の神殿と比べて予想以上に燃費が悪かったんだね。それもあってサルタスは【聖杯】を鋳造したみたいだよ」
 その声には明らかな険がこもっている。無気力無感動が常のテリウスからしてもサルタスの所業は度し難いものであったのだ。
「何だよ、燃費が悪いって」
 あからさまに眉間にしわを寄せるマサキにテリウスはうんざりしたように言った。
「神殿の設計に不備があったんだろうね。魔力の流れが悪いんだよ。正規の手順を踏んでも儀式に必要な魔力が通常より多いんだ。司祭ではあるけどサルタス自身の魔力はそれほど高くはないからね。知惠を絞った結果なんだと思うよ」
「つまりどういうことだよ!」
 のらりくらりとした態度にいら立ちが増す。テリウスはそんなマサキの様子には目もくれずただ淡々と言った。
「その不足分の魔力を補うためにサルタスは【聖杯】を鋳造したんだよ」
 不安定な魔力でも確実にヴォルクルスを復活させられるようにより「純度」の高い絶望で不足分の魔力を補填したのだ。
「儀式の日程はもう決まってる。止めるなら最優先は【聖杯】の破壊。【聖杯】がなくなってしまえばサルタスだけで儀式は行えないからね」
 ついでに二度とくだらない夢を抱けないよう神殿も木っ端微塵にしてしまえばいい。
「シュウ、今ブラックホールクラスターの調整中だよね? 試し撃ちの場所としては有用だと思うよ」
 そこに常日頃の怠惰な雰囲気はない。込められているのは明確な殺意。否、求めたのはまつろわぬ罪人に対する粛正への同意だ。国を捨てた身とはいえ彼らは生まれながらの王族であった。国に対する害意はすなわち王家に対する害意でありそれは粛正されてしかるべきものであったのだ。
「検討しておきましょう」
 シュウはそこで言葉をとどめた。過ぎた激情は作戦に支障を来す要因にしかならない。ましてやこれから乗り込む先は破壊神の神殿、その最奥なのだ。最低限の平静さは維持しなければ。
 今回の出動は最悪の事態——ヴォルクルスの復活を前提として魔装機神隊からは魔装機神四体とヴァルシオーネR。後方支援にノルス・レイ、ラ・ウェンター。ザイン。脱出経路の確保にジェイファーとガルガード。シュウの一行からはシュウとサフィーネ、テリウスの計一三機となった。常であればシュウに付き従うモニカは精神面での不調を考慮して今回の編成から外されていた。
「神殿の構造はさまざまですが祭壇のある儀式の間は基本的にパターンが決まっています。これから向かう神殿は地形的に幅を取るのが難しい場所ですから、儀式の間の祭壇も入り口からほぼ直線上にあると見ていいでしょう」
 十中八九、【聖杯】は生贄の代わりとして祭壇に供えられていはずだ。最優先は【聖杯】の破壊。ならば先手必勝。突入と同時に【聖杯】を破壊してしまえばいい。完全に破壊できなかったとしても儀式に支障を来す程度に損壊できればいいのだ。
「射程を考えればガッデスが最適でしょう。露払いはラ・ウェンターで」
「トーテムコールか。不利属性の魔装機が相手でもなけりゃあ、あれ一発でだいたい吹っ飛ばせるからな」
 ラ・ウェンターの援護射撃には常日頃からマサキも世話になっているのだ。何せ圧縮した溶岩流を一直線に叩きつけるのである。優位属性あるいは同属性かつ上位のA級魔装機でもなければあの直撃には到底耐えられないだろう。タイミングさえ合えばあのトゥルークすら一撃で墜として見せたのだ。異論はなかった。
「間に合うと思うか?」
 最後のミーティングが終わると今にも爆発せんばかりの怒気を身にまとったマサキがシュウに問う。そのプラーナは雷火のごとく煌々と輝いている。にもかかわらずそこには嫌悪こそあれ憎悪の影は一片もない。彼の怒りは徹頭徹尾義憤であった。
「事態は常に最悪を想定して動くべきです。【聖杯】が完成しているとなれば間に合う可能性は低いでしょう」
「……そうかよ」
 ならヴォルクルスごとまとめて叩っ斬る。マサキは嫌悪もあらわに吐き捨て、その様子にシュウは小さくため息を吐く。
 魔装機を操縦するうえで感情の起伏は重要だ。激しい感情の爆発はそのまま機体の性能に直結する。この様子であればマサキが今回の作戦で苦戦する可能性は低いだろう。むしろ不安視するのであればプラーナの枯渇だ。激情家ゆえにマサキは他の魔装機神操者に比べてプラーナの消費量が多い傾向にある。プラーナは生命力と同義でありその枯渇は最悪操者の死を招く。
「あなたには難しいと思いますが、自身の身を守るためにもできるだけ冷静であるよう努めなさい」
「はっ、言われなくてもそうするさ。正気をなくして任務なんてこなせないからな!」
 知らず伸ばしていた手を振り払われる。
「じゃあ、先に行くぜ!」
 当然のように去って行く背中。
 引き止めれば良かった。
 できもしないことを無様に悔やむ。
 なぜそんなことを思ったのだろう。おのれ自身に問う。理由は後に知れた。
 覚悟はできていると思っていた。そう、思い込んでいたのだ。
 自分たちは——自分はいつか置いて逝かれる側なのだから、と。
 胸の奥でとぐろを巻いていた悪意が顎を開けてシュウを嘲笑った。

「不思議の国」の開演まであと数時間

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