第五話 オープニング
気づけば邪神は跡形もなく消えていた。あとに残ったのはほぼ更地となった神殿の回廊。壁はどこもかしこもえぐり取られ天井はいまだ崩れつづけている。手にしたグランワームソードはひび割れてもはや原形をとどめていなかった。そして目の前には哀れ邪神の餌食となった神鳥の化身が。
「ちょ、何してるんですか、ご主人様っ⁉︎」
正気ですか! おのれの使い魔の絶叫を振り払い当然のようにコクピットから飛び出す。頭上から降り注ぐ瓦礫の叢雨にやむ気配はない。
「ご主人様‼」
極端な【身体強化】はあとの反動がきついが今は躊躇している状況ではない。
頭部への直撃こそ回避したものの落下する瓦礫で全身のあちらこちらが打撲と裂傷で血まみれだ。満身創痍の機体を満身創痍の身体で一気に駆け登る。歪んでつぶれたコクピットは【身体強化】を最大限にしてこじ開けた。
飛び込んだコクピットは真っ赤に塗りたくられていた。
「マサキっ‼」
コクピットを直撃された衝撃で投げ出されたのだろう。血だまりの中にマサキはいた。破壊された装甲の破片が刺さったのか脇腹は血に染まり左肩はえぐれていた。意識はすでになく呼吸すら怪しい。
シュウは常備されている応急処置キットを引き出すと特に出血がひどい箇所にありったけの止血シートを貼りつけていく。悔しいが今できる延命措置はこれしかない。物言わぬ身体を抱えて再びグランゾンへ。
「ちょっとご主人さ……、マサキさんっ⁉︎」
虫の息。それ以外に何と言葉を紡げばいい。触れた肌は冷くその顔はすでに真っ白だ。
救難信号はオンにしてある。こちらの存命が伝われば、否。伝わらずとも彼らならば態勢を立て直し次第すぐ救助に来てくれるだろう。だが、それまでマサキの命を維持できるだろうか。
「……おかしい」
これだけの重傷を負ったのだから大量の出血は当然としてもこの出血量は明らかに異常だ。応急処置キットに常備されている止血シートはそれこそ四肢欠損をともなうような致命傷でもないかぎりだいたいの出血は十数秒程度で止血できる。にもかかわらずまるで吸い上げられるかのように出血が止まらない。
「吸い上げられる?」
声に出した瞬間、おのれの言葉でありながらざっと血の気が引いた。
そうだ、自分は一体何を見ていた。今、目の前にあるものは何だ。血にまみれてしまった彼の右足。そこに絡みつく何か。
「……ヴォルクルス!」
どうして見間違えよう。かつて我が身を蝕んだ邪神の呪縛、人の世の一切に対するおぞましきその憤怒。
連れて逝かれる。そう思った瞬間、物言わぬ体をかき抱いていた。ただただ一方的に奪われる理不尽。想像しただけで頭が真っ白になる。けれど同時にまぶたの裏が赫怒に燃えた。
「ご……、ご主人、様?」
ならば残された選択肢は一つ。
ルオゾールの手によって蘇生されて以降、人間の蘇生術に関する文献のいくつかを手にする機会があったのだ。そこで目にした「反魂の法」。それは文字通り死した人間の魂を現世に呼び戻す秘術であった。
「ご主人様、ご主人様! 何をされるおつもりですかっ⁉︎」
おのれの使い魔の絶叫にけれどシュウは冷然と言い放つ。
「決まっているでしょう」
実践したことこそないがその手順も含め秘術に関する知識の一切は叩き込んである。必要とする魔力は膨大だがこれでも神聖ラングラン王国第三王位継承権を有していた身だ。不足だなどとは言わせない。
「あなたの力も借りますよ」
モニター越しに目をやった先は哀れ邪神の餌食となった神鳥の化身。邪神によってその右肩は食いちぎられ両足は落下した天井の瓦礫によってつぶされてしまったが、だからといって精霊王の加護そのものが失われたわけではない。
黄泉路を逝く魂を現世に呼び戻すのであれば「縁」の影響力は絶対に無視できない。そして、彼を現世に呼び戻すための「縁」として彼の愛機である風の魔装機神に勝るものが他にあるだろうか。
「ご、ご主人……」
「あなたはもう黙っていなさい。邪魔です」
グランゾンをサイバスターの隣に移動させてふと気づく。最初からこうしていればよかったのだ。なぜコクピットを飛び出すような真似をしたのだろう。失笑で喉が震える。
二機を中心に魔方陣を展開。同時にコクピット内にそれとは別の結界を張る。本来は死霊などが内側に侵入するのを阻止するためのものだがこれを逆しまに書き換えたのだ。内側のものが決して外に出て行かないように。
彼の魂はまだ現世と隠り世の境にいる。これ以上、先に進ませてはならない。根拠はないがこれは確信だった。
視界が霞む。マサキほどではないがシュウ自身の出血も相当だ。意識が朦朧とし始めたのは熱のせいだろう。
「だから、何ですか」
歯を食いしばる。失ってしまったと思った。けれど今この腕の中でマサキは生きている。生きて、いるのだ。今も。それをどうして諦められる。手放せる。ましてや邪神ごときのために。
「あと一手、何か……」
黄泉路は死霊たちの領域だ。マサキの身にまとわりつく邪神の呪詛は死霊たちをさらに呼び寄せ凶暴化させるだろう。そして、マサキ自身に魔術の心得はない。見つかったが最後、逃げる間もなく死霊どもの餌食になるのは目に見えている。
「テクスチャ……、冥府を覆い隠す何かを敷けば」
おぞましい死霊たちの目を欺き、半死者という現実を彼の目から覆い隠すもの。絶対の恐怖と絶望すらはねのける何か。
「……不思議の国?」
幼い頃に母から聞いた。地上世界のおとぎばなし。
とある作家が書き上げたその「世界」は数百年の時を経てなお色褪せることなく、国を超え世代を超えて多くの老若男女を魅了しつづけている。
何もかもが奇妙で無茶苦茶でけれどもいとおしくて懐かしい。夢と希望が花々のように舞い踊る不思議の国。
「……」
ならばこの手で築いて見せよう。数多の死霊を欺き邪神の呪詛すら覆い隠す、ただ一人のための不思議の国を。
「であれば案内人が必要ですね」
流出しつづける魔力は同時に体力をも削りつづける。意識を維持できるのはあとどれくらいだろうか。
「愚者」
急ごしらえのそれに名をつける。
愚かな未練が生んだ愚かなペルソナ。使い魔にすら至らない鉄紺色の鴉。鴉には翼が半分しかなかった。
「連れ戻すのです。何があっても誰を犠牲にしても。結果としてそれが——マサキを傷つけても」
そのためにもこの【箱庭】は必ず、我が身に代えてでも必ず維持して見せよう。
「承知しました」
片翼の鴉はうやうやしく一礼すると邪神の呪詛を「標」として不思議の国へと舞い降りる。ただ一人を連れ戻し、ただ独りついえるために。
そうしてついに不思議の国は開園した
