エンディング
怪我の度合いを考えれば当然の結果ではあったが先に退院したのはシュウであった。
「もうほんと馬っ鹿じゃないのっ!」
国際指名手配犯であるシュウの素性を隠し堂々と州軍病院に匿うよう手配したのはセニアだった。厳密には魔装機神操者の「特権」濫用であったのだが。
「勝算は十分ありましたし、そこまで無茶をした覚えはありませんが」
「真顔で馬鹿言ってるんじゃないわよ。あの時、あたしたちがどれだけ大変だったかわかる?」
無事、脱出を果たし態勢を立て直して救援に向かったはいいものの瓦礫によって通路はふさがれ天井の落下もやむ気配がない。迂回しようにも通路は一本道なので天井の落下を警戒しながら地道に瓦礫を除いて進むしかなかった。
「しかも、ようやくたどり着いたかと思えばあれよ?」
大破したサイバスターに完全沈黙状態のグランゾン。おまけにサイバスターのコクピットは血まみれでマサキの姿はない。
最悪の結末以外、何を想像できただろう。
「おい、聞こえるか。シュウ、マサキはどこだっ‼」
絶句するメンバーの中で真っ先に立ち直ったヤンロンがグランゾンに通信を入れれば、返ってきたのは甲高い絶叫。
「モニカさん‼」
「は?」
「死んじゃう。このままじゃ死んじゃう。ご主人様もマサキさんも⁉︎ 早く。モニカさん呼んできてください、早く、誰かっ‼」
せっぱ詰まったチカの気配にヤンロンはすぐさまモニカを呼び寄せた。編成から外されていたとはいえ万が一に備えて、何より本人の強い希望で待機はしていたのだ。
「シュウ様っ‼」
駆けつけたモニカはその勢いのままノルス・グラニアをグランゾンにつけてコクピットに乗り込み——そして、絶叫した。
意識をなくし血にまみれた恋しい男がその胸に抱いていたのは。
「マ、ま……サ、き?」
横腹を裂かれ肩をえぐられ、手足のあちらこちらは裂傷で皮膚がめくれている。その顔色に至ってはすでに土気色で呼吸すらも怪しい。
「ちょっと! モニカ、あんた何してるのよ。シュウ様はっ⁉︎」
モニカの絶叫に異変を察知したサフィーネが駆けつけるが同じくコクピット内の惨状を見て立ち尽くす。
「坊やっ⁉︎」
とっさに腕を取る。かろうじて脈はあった。呼吸も。だが、これを生者とは言わない。ただ呼吸しているだけの肉塊だ。このままで間に合わない。
「サフィ、サフィーネ。わた、くしど、どうし……」
傷ついた仲間を回復術で癒やすことは多々あった。だが、こんな近距離でこれほど無惨な「死体」と向き合ったことはなかった。こんな、こんな血にまみれた。
「何ぼさっとしてんのよ。あんた、このまま坊やを見殺しにする気。仮にも王女でしょうがっ!」
引っ叩かれ我に返る。見殺し? そうだ、ここで自分が何もしなければ彼はここで死ぬ。モニカは大きく息を吸うとあらためてマサキの手を握りしめる。
思うところはいくつもあった。どうして恋する男の——シュウの腕に抱かれているのか。そして、どうしてシュウはまるで奪われることをかたくなに拒むようにおのれの胸のうちにマサキを抱えているのか。だが、それもすべて事が終わってから問いただせばいい。けれどその決意はすぐにくじかれる。
「どうして……、効かない⁉︎」
止血シートのおかげで出血自体はすでに止まっている。呼吸も戻ってきた。なのに思うように回復できない。まるで何かに魔力を打ち消されているかのようだ。
「これは……、ダメよ。ちょっと、ヤンロン!」
気づいたのはサフィーネだ。気が動転しているモニカをいったん押しのけマサキの右足を凝視する。
「どうした⁉︎」
「神殿に連絡取ってちょうだい。呪詛よ。今のままじゃまこれ以上回復できない。あとストレッチャー、担架でも何でもいいから、早く‼」
あまりの剣幕に気圧されるヤンロンに代わって動いたのはミオとテュッティだった。
「あの時ばかりはプレシアがいなくて本当に助かったわ」
ゼオルートを亡くしてからまだ数年だ。バゴニアにいる母親を除けばプレシアにとって「家族」はマサキ一人しかいない。あんな姿を見せられるはずがなかった。
「しかも何よ。運びだそうにも離しやしないんだから、手遅れになったらどうするつもりだったのよ。ほんと馬鹿じゃないの!」
セニアが辛辣になるのも無理はない。
マサキをコックピットから連れ出そうにもシュウが離さなかったのだ。意識がないにもかかわらずかたくなで、力尽くで運び出す手もあったが今まさに力尽きようとしている人間に余計な負荷をかけるわけにもいかず、刻々と時間だけが過ぎて行く中で声を張り上げたのはサフィーネだった。
「いい加減にしてください、シュウ様。マサキを殺す気ですかっ‼」
その場にいた人間の誰もが身をすくませるほどの大音声だった。
「時間がないのです。だから、早くその手を離してください。このままでは本当に、本当に間に合わなくなります。シュウ様!」
そこでようやく手が離れたのだ。
それからは文字通り時間との勝負だった。
近くの神殿に駆け込んだはいいものの破壊神の呪詛である。そうかんたんに払えるはずもなく、呪詛の侵食を抑えるのが精一杯で最終的にはやはりソラティス神殿を頼ることとなった。その間、マサキの命を繋ぎつづけたのはモニカの懸命な治癒術だ。
「来るのが遅いわ、この馬鹿どもがっ!」
大神官であるイブンの剣幕はそれは凄まじいものだった。
「……ド素人が反魂の法など無茶をやりよる。じゃが、それのおかげで間に合ったのも事実。今回ばかりは大目に見てやろう」
一仕事終えたイブンはそれはそれは大仰にぼやいたものだ。
「反魂の法ですって?」
セニアは耳を疑った。反魂の法は文字通り節理に背いて死者の魂を現世に呼び戻す死霊魔術。邪道のきわみとも言うべきものだ。
「もう言い訳はきかないわよ」
腹をくくりなさい。セニアは容赦なくシュウに現実を突きつける。
状況を理解できていないマサキを問い詰めたところでまともな答えは望めない。それはサフィーネもモニカも重々承知しているはずだ。となればその矛先が向かうのは当然シュウしかいない。しかも、今回マサキを「連れ戻す」ために単独で反魂の法を強行したと知れば待ち受けているのは修羅場の一択だ。
「言い訳をするつもりはありませんよ」
シュウにとって彼女たちは大切な「家族」だ。いつまでも隠し通せるとは思っていない。それでは彼女たちに対してあまりにも不誠実だ。
「あ、そう。なら勝手に修羅場ってちょうだい。でも、こっちに火の粉が飛んできたら全力で吹っ飛ばすから」
「手厳しい」
「自業自得でしょう。それで、このまま出て行くの?」
「いえ、その前に謝罪をしてから、と」
退院の手続きは済んでいる。だが、その前にせめて。
「一応、意識は戻ったけどほんとど眠ってる状態よ。無理に起こさないでちょうだい」
「心得ていますよ」
マサキの病室は一般病棟ではなく隔離された特別病棟の個室だった。何せマサキは魔装機神操者。その発言は一国の元首のそれに相当する。そんな人間を一般病棟、しかも大部屋になど放り込めるはずがない。
静まり返った病室には誰もいなかった。花瓶を飾る控えめな花々は任務の帰りにプレシアが購入してきたものだ。
セニアの言葉通りマサキは眠っていた。起きる気配もない。
「……」
失ったかと思った。サイバスターが破壊された瞬間、そしてヴォルクルスの呪詛を目の当たりにした瞬間に、二度。
「無茶をしました」
平素であれば考えられない。
おそるおそる髪に触れる。直接、頬に触れる勇気はなかった。
直後、弱々しい力が袖を引いた。
「——マサキ?」
目が覚めたのか。そう問う前に明らかな怒りがシュウの鼓膜を揺らした。
「謝れよ……ちゃんと、あいつに」
声は震えていた。
「……」
「あいつ、最後の最後に言うだけ言って……、おれは何も、言えなくて、言えない、まま……戻って、きて」
ただ一人を連れ戻す。その一瞬のためにだけに生まれ、そして独りついえることを宿命られた案内人。
「……な。もう、二度と……、や、る……な」
口を開くことはもちろん目を開けているだけでもつらいだろうに。哀れな姿に胸が痛む。けれど返す答えは決まっていた。
「——できません」
「なっ⁉︎」
即答だった。
「申し訳ありません。ですが、これだけは譲れません」
「どう、し……て!」
信じられないという顔をされた。当然の反応だ。自分の選択は大いにマサキを傷つけた。結末を知りながら何の躊躇もなく一つの「存在」と「世界」を犠牲にしたのだ。惨いことをしたと思う。それでもこれだけは譲れなかったのだ。
「私はあなたを失うことが怖かった」
沈黙が落ちた。シュウの袖を掴んでいた手からすとん、と力が抜ける。その表情には微かな恐怖すらにじんでいた。
無理もない。マサキは鈍感だ。他人の感情はもちろん自身の感情に対しても。その精神は成熟に遠く、彼の一側面はいまだ家族愛や友情、恋愛の区別ができていない。そんなマサキにシュウが告げた本心は明らかにマサキの理解を超えていた。もう後戻りはできない。
「だから、それだけは約束できません」
再びマサキの身が危機に瀕すればシュウはためらいなく同じ事を繰り返すだろう。どんな手を使っても誰を犠牲にしても。結果としてそれがマサキを傷つけても。
「お……、ま、前、最悪だ……、出てけ、出て、行きやがれ、馬鹿野郎っ!」
突きつけられた感情に対してマサキにできたことはかすれる声で怒鳴りつけるのが精一杯だった。自ら謝罪の機会を逸したシュウはそのまま病室を辞しマサキはそれを見送りもしなかった。
「ちく、しょう……っ!」
そうして独りになった病室でマサキはただ唇を噛みしめる。
あの時は理解できなかった。それが今ようやくわかった。否、理解するのが恐かっただけかもしれない。
「さようなら、マサキ・アンドー。『彼』にとってそうであるように、私にとってもあなたは太陽のようにまぶしい人でした」
ありもしないモザイク状の顔に見た、満面の笑み。
「何で、な、んで……‼」
鉄紺色のローブが音もなく燃えていく。ガラスの手はすでにひびだらけで真鍮の骨格もぼろぼろだった。気づけば七色の針金もあちらこちらが切れてしまってストローの血管を流れるバタフライピーティーなどとっくの昔に腐っていた。
「さようなら、マサキ。私たちのいとおしい人」
そうして笑いながら塵となった泡沫の案内人。
「どい、つ……、も、こいつも。馬鹿じゃ、ねえかっ‼」
捧げられ、失われた「存在」と「世界」——その事実に対する悔しさと怒り、後悔と怖れ。そしておのれの無知とふがいなさ。涙が止まらない。
「どうして……」
けれど返る「答え」など一つしかない。一つしか、ないのだ。
「私はあなたを失うことが怖かった」
それがすべてだった。
