エンディング

WONDERLAND
WONDERLAND長編・シリーズ

番外編 第二話 今は遠き

「私は彼を失うことが怖かった」
 それがすべてです。
 そう告げたシュウに対しサフィーネとモニカの反応は凄まじかった。狂乱。それ以外に何と表現すればよかっただろう。
「なぜです。どうしてなのです、シュウ様っ⁉︎」
 今にも喉が裂けんばかりの大音声で声を荒げたのはサフィーネだ。モニカは衝撃のあまり声すら出ていなかった。
 サフィーネたちにとってシュウはまさに理想的な偶像だった。けれどその口から放たれたのは誰も予期しなかった最悪の現実。
 彼女たちがシュウに捧げるそれは一種の信仰を含んでいた。彼女たちは恋する者であると同時に「捧げ、かしずく者」でもあったのだ。シュウとサフィーネたちの関係は対等とはほど遠いものであった。それが彼女らの狂乱に拍車をかけていたのだ。
「なぜ、どうして、どうしてよりにもよって……‼」
 これほどの仕打ちが世にあるだろうか。怒りをこらえようとして噛み切ったのだろう。サフィーネの唇には血がにじみモニカはあまりのショックで完全に声帯が萎縮してしまっていた。このままでは数分とたたずして卒倒するだろう。
「なぜ、マサキなのですか!」
 あんながさつで下品な人間のどこにあなたの隣に立つ資格が一体どこにあるというのか。
「こんな仕打ちはあんまりです!」
 気の迷いにしてもこれほど悪趣味なものはない。半ば我を失っていたからこそ出てしまったその一言。
「今、何と言いました?」
「ひっ!」
 室内に充満していた狂乱がその瞬間に窒息する。身を削る冷気に凍りついたのは全身を巡る血液だけではなくその精神もだ。歯の根が合わない。脳裏をよぎるのは逆鱗の二文字。
「これは私の感情、私の自由、私の意思。それを否定し侵害する者は誰であろうと許しません。彼が私にふさわしいかどうかは私が決めることであってあなたたちが決めることではない」
 その怒気はもはや鬼気に等しくサフィーネは恐怖のあまり身を縮め、気づけばモニカともどもその場にひざまづいていた。
「……少しきつく言い過ぎましたね」
 己の短慮を恥じる。シュウとしてはサフィーネの失言をただ叱責しただけであったが二人を襲った衝撃はその程度では収まらなかったのだ。
 シュウにとって彼女たちは「家族」に違いなかったが彼女たちがシュウを「家族」として正しく受け入れる日はおそらく来ないだろう。崇拝と従属。彼女たちが生まれ育った環境がそれを拒絶する。シュウとて地上に出て初めて知ったのだ。おのれの世界が如何に限られていたか。
 ラ・ギアスでは当たり前だったものの多くは地上において非日常だった。当然だ。地上と地底では国が違う世界が違う。
 「異なるもの」に触れる機会は生きていくうえでとても得難いものだ。シュウは地上でそれを学んだ。ゆえに可能ならば彼女たちにもその機会を設けたい。常々思っていたことだ。しかし、この有り様ではそれも当分叶うまい。
「二人とも顔を上げなさい。私も言葉が過ぎました。私は私の感情も自由も意思も曲げるつもりはありません。ですが、同時にあなたたちの感情、自由、意思を否定し、侵害するつもりもありません」
「……それでは!」
「シュウ様‼」
 「許可」を得た二人の顔がぱっと光輝く。
「私からこれ以上言うことはありません。いくつか済ませておきたい用事がありますから少し出ます」
「承知いたしました」
「いってらっしゃいませ」
 いつも通りのやりとりだというのにどうしてだか軽いめまいが治まらなかった。ただ、一秒でも早くこの場から離れたい。シュウは迷わずグランゾンのコクピットを目指す。済ませておきたい用事など何一つないというのに。
 
 あの時の表情は今も記憶にこびりついている。
「私はあなたを失うことが怖かった」
 そう告げたシュウに対してマサキが向けた表情には微かに、けれど明確な恐怖がにじんでいた。あれは未知に対する恐怖だ。
 架空とはいえ一つの「世界」と「命」を躊躇なく消費させた感情。罪悪感も倫理の軛すら当然のように振り切ったその一念。
 「世界」どころか「宇宙」すら巻き込み滅ぼしかねない意思と感情を有する者たち。魔装機神操者として幾度も相対してきたはずだ。だが、それと同等のものがまさか自分に対して向けられるとは夢にも思っていなかったのだろう。
「あいつ、最後の最後に言うだけ言って……、おれは何も、言えなくて、言えない、まま……戻って、きて」
 片翼の鴉はマサキの心に明らかな傷をつけて逝った。その事実は今もマサキの怒りの一端を担っている。
 使い魔のなり損ないとは言えシュウのペルソナの片鱗から生まれた者だ。何を思ってその傷をつけたのかは容易に理解できる。
「……度し難い」
 あの日以来、マサキとは一度も顔を合わせていない。療養期間中はセニアの配慮で面会謝絶状態だったせいもあるが回復後はあからさまに避けられていたのだ。恐慌の影はいまだ色濃く残っていた。周囲もそれを察してシュウがマサキに近づくことを警戒していたのである。
 それがわずかながら軟化してきたのはつい最近のことだ。逃げ回っていても事態は好転しないと理解したのか、はたまた逃げつづけるおのれにいい加減腹が立ったのか。おそらく後者の割合が大きいだろう。彼はたいそうな負けず嫌いであった。 
 風の向くまま気の向くまま。気晴らしにふらっと出かけては数日消息不明となるマサキの行方を捜すのは骨が折れる。何せサイバスターの機動力はラ・ギアスに存在するすべての魔装機の中でも突出しているうえ、おそらくラ・ギアスで唯一高高度飛行が可能な機体だ。空に隠れられたら追跡のしようがない。
「まー、でも、ご主人様には関係ないですよね!」
「あなたは少し静かにしていなさい」
 グランゾンの飛行能力はサイバスターに並ぶ。純粋な飛行速度に至ってはむしろグランゾンが勝るのだ。おそらく態度が軟化しつつある今なら追えるだろう。柄にもなく直感に任せて空をさまようこと数十分。レーダーに求める機影が映る。
「マサキ」
 通信チャンネルを開くがいらえはない。
「少し話をしましょう。あなたに謝りたいことがあるのです」
「…………何だよ」
 ようやく声が聞けた。
「彼らのことを」
 瞬間、息をのむ音が聞こえた。あれからそれなりに時間がたっていたがやはりまだ傷は癒えていないのだ。
「それだけ、……かよ」
「いいえ」
 正直に答える。ここで嘘をついても状況は悪化こそすれ好転はない。返された沈黙はたっぷり数十秒。
「その辺、……適当なとこに下りるぞ」
 二機が下り立ったのはある高原の端、いまだ未開の地であった。
「……もう、いい」
 先に口を開いたのは意外にもマサキだった。
「あいつらの……、あいつの、ことは……、もう、いい」
「なぜですか?」
「セニアから聞いた。お前だって……、ぎりぎりだったんだろ」
 それでも他に打つ手はないと危険を承知で強行した反魂の法。
「ほんと馬っ鹿じゃないのっ‼」
 邪神も裸足で逃げ出す剣幕とはこのことか。柳眉を逆立てて吠えるセニアにマサキは心の底から震え上がった。それだけの無茶を目の前の男は満身創痍の身でやってのけたのだ。
「私はあなたを失うことが怖かった」
 ただ、それだけの理由で。
「お前、もう、ほんと何なんだよ……、何で!」
 どうして、他の誰でもなく。その場で頭を抱えて叫びたくなる。怖い。どうして。
「無理に受け入れる必要はありませんよ。ただ、知っていてくれれば十分ですから」
 予想すらしていなかった言葉にマサキは口を開けたまま呆然と立ち尽くす。
「……答、え?」
「無理強いするつもりはありませんから、安心なさい」
 衝撃だった。今ここで「答え」は求めない。目の前の男はそう言ったのだ。リューネたちは折に触れて問うてくるというのに。 
「何だよ。リューネたちをあんまり待たせるなって言ったのはおまえ、じゃねえか……」 
 いつかのやり取りを思い出す。
「その件については謝罪します。私はあなたについて何も知らなかった」
 先天的あるいは後天的な要因によるものかは不明だがまさかその一側面がいまだ家族愛や友情、恋愛の区別がはっきりとできない状態だとはシュウですら理解の埒外であったのだ。
 区別ができない。その境がわからない。だからこそ「答え」に窮している人間に「それを区別して明確な答えを出せ」と迫ったところで何が望めよう。
 今のマサキに答えられることがあるとすれば「自分の感情がどのカテゴリに属するものか『わからない』という『事実』だけ」だ。
「不誠実とか優柔不断とか言わないのか?」
 仲間内から散々言われているのだろう。その表情は苦い。
「あなたの場合は不誠実でも優柔不断でもなく、文字通り『わからない』から答えようがないのでしょう? にもかかわらず力尽くで『答え』を引き出そうとするなどただの横暴。暴力です」
 本人にすら理解できていない感情に他者の都合で一方的なラベルを貼るなど傲慢にもほどがある。
「……わ、かんねえぞ」
「何がですか?」
「だから、い、いつわかるとか」
 なぜ区別ができないのか、どうすればその境がわかるのか。何もかもがいまだ手探り状態なのだ。それでなくとも彼女らを放置していることに少なからず負い目を感じているというのに。
「かまいませんよ。焦って解決する問題でもないでしょう」
「焦って……、おまえだって、関係ある、だろ?」
「ええ、ありますね」
「じゃあ、何で……」
「あなたの口から直接『答え』を聞けるなら確かにそれが理想ですが、それが結果としてあなたを追い詰めることになるなら本末転倒だからです。ですから、私は私で努力することにします」
「ど、努力?」
「ええ、私なりの努力です」
 にっこり微笑まれた。思わずのけ反る。ついでに数歩後ずさる。何というか何というかちょっと、否、すごく怖い。あと心臓に悪い。見た目が良い分、余計に。
「思ったより話が長くなりましたね。少し移動しましょう。疲れたでしょう?」
「お、お……ぅ?」
 そろそろマサキの緊張も限界だろう。そう判断したシュウは話を切り上げ近場の街への移動を提案する。おっかなびっくりしつつも素直にグランゾンの後をついてくるサイバスター。少し滑稽だった。
「否定されなかっただけで十分ですよ」
 思わず声に出る。だが、すでに通信は切ってあるので問題はない。軽い脱力感と拭い切れない疲労。自覚はあまりなかったがこちらも相当、緊張していたようだ。
 決して小さくない傷を負わせた身だ。正直、正面から否定され拒絶されるのではないかと覚悟はしていた。けれど彼女たちの件も含めて彼は想像していたよりもずっと必死で前向きだったようだ。
「こちらも今以上に努力しないといけませんね」
 退路を見いだされる前に。
「悪い大人がいる……」
 今の今まで沈黙を保っていたチカがついに口を開く。悪い大人だ。悪い大人がここにいる。
「何か言いましたか?」
「イイエ、タダノ幻聴デース!」
 しかし、賢明な使い魔はすぐさま口を閉じる。
「長い旅路になりそうです」
 今はまだ遠き理想へとこの歩みが届くのはいつの日か。

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